その時、こんこん、と軽やかに扉が叩かれた。
「ロディ、いるかい? 矢を取りに来たよ」
「やあ、アーリィ」
 現れたのは、兵士の服装に身を包んだ大柄な女性だった。ひっつめにした彼女の前髪は、一房だけ水色に染まっている。ぎょろりと大きな目でリカシェを見下ろして、めずらしそうな顔をした。
「おや、新入りだね。女官かい?」
「まだ来たばかりで何も聞いていないらしい。名前はリカシェ。リカシェ、彼女はアーリィ。弓隊に所属してる射手だ」
「リカシェです。よろしくお願いいたします」
「アーリィだよ、よろしく。まあ、あんたが内勤めだと会う機会もなくなるかもしれないけどね。それにしても、城の従士から割り当てを聞かなかったのかい? めずらしいこともあるもんだ、従士たちはそういう見落としはしないと思ってたんだけど」
 見た目通り、はっきりと物を言う人物のようだ。あまり話すと怪しまれるかもしれないから、ひとまず何もわからないふりをして困ったように笑っておく。
「まあいいや。ロディ、矢をもらっていくよ。今日はご出陣だそうだから」
「そうなのか。だったらそっちの矢入れを持って行ってくれ。そっちの矢籠でもいいけど」
「どっちも欲しいな。往復するか」
「お手伝いします。こっちの矢籠を持っていけばいいんですね?」
 アーリィが一抱えある屏風型の矢入れを持ち上げたので、リカシェは弓と矢が一つに収納されている台を右と左に手に取った。意外と重いが、運べないということはない。
(きっと彼女の他にも人がいるはず。私はここのことをまったく知らないのだし、顔なじみを作っておいて損はないもの)
「あんた、見た目通りの女じゃないね。生きている時は結構苦労しただろう」
 途中で半分振り返り、アーリィが言った。
 彼女にとって、上質な寝巻きを着て手入れされた巻き毛をゆったりと垂らしているリカシェは、高貴なとは行かずともある程度裕福な家庭に生まれ育ったように見えるらしかった。彼女の知る通り、身分のある女性の行動は限りなく制限されている。外出には常に乳母やお付きがそばにいて、娘がその辺りの男と恋仲になって駆け落ちすることなどないよう目を光らせているものだった。
 一見してはそうかもしれないが、リカシェはしばらく一緒に過ごすと『何か変だ』と思われるらしく、同年代の娘たちはともかく、さらに上の母親や祖母の世代の女性にはひどく嫌われることが多かった。恐らく幼い頃から受けてきた長子教育のせいだと思うのだけれど、リカシェもまた、内に篭って不自由さを義務のように受け入れる彼女たちとは反りが合わなかったのでおあいこだろう。
「アーリィさんも。女性の射手はめずらしいですね。徴兵ですか?」
 戦力が十分でない時には、女性だけの部隊を編成して出陣することもある。狩りをするので弓に慣れた者、山を歩くために潜伏が得意な者と、男性とそう変わらないことができる者がいるからだ。
 アーリィは首を振った。
「いんや。徴兵されたこともあるけど、用心棒をやってた。護衛中に運悪く強盗に襲われて、そのまま」
 リカシェは青ざめた。
「申し訳ありません。失礼なことを……」
 ふふふ、とアーリィは悪戯に成功したように笑った。
「そうだね、ここじゃ死因は聞かないのが一番だ。殺された場合も、自分で命を絶った場合もある。それよりももっとむごたらしいことだってありうる。子どもは死んだことをしばらく理解できなくて泣くしね。でもまあ、相手が言ったってことは話したかったってことだから気にしないでいい。少なくとも今はそうだから、謝らなくていいよ」
 リカシェが新入りなのを見越して、実践的に教えてくれたらしかった。かなり面倒見のいい性格のようだ。彼女は、リカシェの知人だった厨房のケティーナによく似ている。厨房にひょっこり顔を出すと、『痩せすぎると病気になっちまいますよ!』と言って何かしらおやつをくれるのだ。それはどこにでも生っているような木の実や果実で、レンクと二人で夜中にこっそり食べたものだった。
 やがて人の声がする広い場所に来た。あちこちで談笑している彼らは皆、兵士のようだ。だがロディとは違って防具を身につけ、剣を帯びている。まるでこれから戦いに行くみたいだ。
「ありがとう、リカシェ。すごく助かったよ。後はあたしが運んでおく」
「皆さん、戦闘の準備をしているように見えるんですが、これは……?」
「見たまんまさ。戦いに行くんだよ。といっても、戦うのは水葬王で、あたしたちは後ろから矢を放ち、音を鳴らして守護の陣を作るだけだけど」
 水葬王と聞いて、リカシェは慎重になった。
「……水葬王がお出ましになるということ?」
「そうさ。あたしたちに見向きもなさらないがね。音が出る便利な道具、くらいにしか思っていないのかもな」
「声をかけることはできないんですか?」
「まさか! 恐れ多い。冥府の闇を狩る御方に気軽に声なんてかけられないよ。何を言われるかわかったもんじゃないし」
 ハルフィスの評判はあまりよろしくないようだ。普段からリカシェにしたような態度を取るなら当然の評価かもしれない。
 だが死者の都を治める神として畏敬の念を抱かれてはいるようだ。死と無を振りまく冥府の闇を追い払うのは、水葬王の勇猛さを示す姿の一つで、詩歌やタペストリーに綴られるものだった。
(それがあの方の普段の姿なら、観察するいい機会かもしれないわ)
 アーリィが矢を運んできたのを見て、仲間が集まってきた。リカシェもまた彼らに弓を渡したが、周囲の会話が聞こえてきて耳をそばだてた。
「そろそろ新しい射手が欲しいところだな。イーグもサティもいなくなってしまったことだし」
「門をくぐる時が来たのに行くなとは言えねえからなあ。街から引っ張ってきちゃいけないもんかね? 大勢暇してるんだろ?」
「死してもなおさだめはある。めったなことを言ってはいけない」
 話しているのは、品の良さそうな若者と、戦慣れしていそうな年かさの男、ゆったりとした物言いをする老爺だ。男をたしなめたのは老爺で、本気に取るなよぉと言い返されている。
 リカシェはそこに近付いていった。
「死んだからって冗談を禁止されてるわけじゃないんだぜ。そりゃ、あの王の前じゃあこんな軽口は言えねえけどよう」
「あの、すみません」
 突然リカシェが割り込んだので「おうっ!?」と男は飛び跳ねた。
「な、なんだよ……新入りかよ……」
「何かご用ですか? お嬢さん」
「申し訳ありません。話が聞こえてしまったので声をかけてしまいました。射手が足りないんですか?」
 男たちはきょとんとした。その話が、目の前の娘とどうつながるのかわからないようだ。
「ええ、確かにその話をしていましたよ。仲間が冥府の門をくぐっていってしまいましたからね」
「その射手に、私を加えていただけませんか?」
 水葬王ハルフィスの言動を確かめたい、という思いからの申し出だったのだが、二人の男は目を大きく見開き、ついには笑い出してしまった。
「おいおい、遊びじゃねえんだぞ。暇してる街のやつらを引っ張ってこようとは言ったが、あんたみたいなお嬢ちゃんに手を貸してもらうほどじゃあねえや」
「申し出は大変ありがたいのですが、危険がまったくないというわけではないので……」
 かちん、ときた。
 他愛ない子どもを笑うような態度。聞き分けのない娘を言いくるめようとする微笑。死者の都でもなお、女はこうして侮られるのか。
 その時じっと黙っていた老爺が口を開いた。
「では、蟇目矢を射ってもらおう」
 男たちも怒りに震えていたリカシェも、えっとなって老爺を見た。
「ちょ、爺さん!?」
「死者の都で射手になるというのだから心得があるのだろう。蟇目矢ならば最初と最後に射るだけだ、危険もさほど多くはあるまい。これもニルヤの導きだ」
 そう言って、大神に感謝する祈りを呟く。そう言われると何も言えなくなるらしく、男たちは顔を見合わせ、リカシェを見た。
「ええっと……心得が?」
「ありますわ」
 なんにせよ老爺が助けてくれたのは間違いない。にっこりと答えたリカシェに、彼らは笑いを収めた。だったら、とアーリィを呼ぶ。彼女に事情を説明し、準備について教えてもらえと送り出された。



 

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