「どうしてこんなところにいるの?」
「そりゃ死んだからだよ。見たところお前もそうみたいだな」
 まったく悲壮さを感じさせない茶化した態度でそう言う。
 リカシェは少し考え、尋ねた。
「それは春二月の十一日以降のこと? 死因は何?」
 その日付はリカシェが何者かに薬を盛られ、生きながら水葬された日だ。エルヴィは何かに気付いたように目を瞬かせ、にやりと笑った。
「俺が死んだのは春二月の十三日だ。死因は毒だろう。夕食のぶどう酒か寝る前に食べた砂糖菓子のどちらかだ。そういうお前は?」
 寝る前のぶどう酒に眠り薬を盛られ、棺に入れられて流されたことを説明するとエルヴィは「うげえ」と下町の子どものように呻いた。
「毒のせいで上からも下からも血を吐いて死ぬのも相当だったけど、意識を持ちながら狭いところで溺死するのもごめんだな」
 ばちっ、と棺に押し込めれた瞬間が閃光となって脳裏に閃く。
 先ほどのめまいの時と同じだった。気分が悪くなり、視界に白い光がちらつく。あの瞬間と今の景色が激しく入れ替わる。
「……おい、大丈夫か?」
 よっぽど青ざめていたのか、エルヴィが心配そうにしている。今まではあり得なかった気遣いに、呼吸を整えながらリカシェは微笑んでしまった。
「大丈夫よ、ありがとう。あなたが心配してくれるなんてめずらしいわね」
 けれど彼はそういう気遣いのできる人間だった。ただそれほど深く接することがなかっただけだ。エルヴィが外郭の厩番の老人とその孫と親しく話しているのを、リカシェが屋敷の窓から見たことがあるというくらいだった。
「そんな口がきけるんなら大丈夫ってことだな。死んでもお前は変わらないな」
「私はまだ死んだつもりはないわ」
 強気に出ると、エルヴィは興味を惹かれたようだった。そしてリカシェの全身を観察し、違和感を覚えたようだった。
「お前、今どこにいるんだ。何をしてる?」
 リカシェは、自分が水葬された後、水葬王の花嫁に選ばれたこと。水葬王に彼の望む捧げ物をすれば地上に戻れる可能性があることを説明した。
「私は何としても地上に戻って弟を守らなくてはならない。エルヴィ、教えてほしいの。あなたがこちらに来る前、アスティアスはどんな状況だったのか。レンクは無事なのか。そして、あなたが犯人の顔を見たかどうか」
 話をじっと聞いていたエルヴィは、しばし難しい顔をして聞いた話を吟味していた。やがて一つの問いを発した。
「それを聞いてどうする」
「犯人を突き止め、糾弾する」
 リカシェは答えた。
「そうすれば継承者たちが殺されることはなくなる。弟を守ることができるわ」
「犯人ってことは、目星はついているのか?」
 王位継承権を持つ者たちが死んでいく中、それは必ず取り沙汰される話題だった。普通ならば、犯人の目的は他を排除することで自らが優位に立つことだろう。ならば犯人は継承権がそれほど高くない者だと考えられる。もう一つはシステリオ王の国を滅ぼしたいと考える者。継承者がいなくなれば別の氏族がそこに取って代わろうと考えるはずだ。
 リカシェの知る限り、後者が犯人である説が有力だった。ことごとく、というのに近く、高い継承位を持つ者はなんらかの事故に遭い、寝たきりになるか死亡するかしているからだ。
「東のソレーシュか、南のアンジュネッツじゃないかと思う」
「どっちもヘルブラーナの血とシステリオ王を目の敵にしている氏族か。まあ妥当なところだな。だが、それにしてはうまくやりすぎている気はしないか? どこもかしこも警戒しているのに、みんなあっさりやられているところが妙だ」
 リカシェは頷いた。
「だから犯人は複数、いくつかの派閥が中原で暗殺を行っているんじゃないかと思うの」
 王位継承権の位を上げたい氏族の者たち。
 ヘルブラーナの血を根絶やしにしたいと願うソレーシュ一族とアンジュネッツ一族。
 この三つの勢力がそれぞれに暗躍するために、他の候補者を暗殺した者が別の勢力に殺され、その勢力が推したい人物がまた別の勢力に殺され、ということが繰り返されているのではないかと考えたのだ。
 エルヴィは考えている。リカシェの言うことは自分の予想に当てはまっているが、今となっては納得しきれないところがあるようだ。
「何か気になるところがあるのね」
「さっきも言ったが、うまくやりすぎているんだ。例えば、俺のシエト伯父貴は、お前も知っての通りずいぶん疑り深い、用心深い男だった。常に毒見役を置き、常に手袋を身につけ、着替えさえ最低限にしていた。新しい使用人には目ざとく気付いたし、誰かからもらったものは絶対に口にしなかった」
「覚えているわ。いつも人から遠ざかって暮らしていた。王から贈られたお酒を放置していったのを見たことがあった」
 送り主を確認して持ち帰りもしなかったのを、使用人たちが「なんともったいない」と呆れていたのだった。彼の屋敷にはそうした品が山と積まれた部屋があるのだと聞いたこともあった。
 だがそんなシエトも死亡している。死因は不明だが、もともと病的に神経質な人物だったのでそれが理由だろうという医師の見立てだったそうだ。
「犯人は複数なのは間違いない。だがその三勢力だけではないように思う。もっとヘルブラーナに入り込める、もっと近しい何者かがいるんじゃないか」
 低く言ったエルヴィは、リカシェが深く聞き入っているのにはっと我に返ると、唇の端に軽薄な笑みを乗せた。
「まあそんな推測は無意味だ。なにせ俺たちは死んだ身なんだから」
「だから地上に戻る方法を見つけて、犯人を捕まえるのよ」
「犯人を捕まえてどうする。復讐するのか?」
「いいえ。それは私がすることじゃない。私は弟から脅威が去ればそれでいい。たとえ私が地上に戻れなくても、犯人を突き止めて地上に警告することができれば、あとはそこにいる人たちが思う通りにするでしょう」
 出来もしないことを、と笑い出しそうなエルヴィに、全身が熱くなってくる。
「あなたは悔しくないの? 何者かの罠に嵌められて命を失ったのに、その犯人はまだ生きている。あなたは手に入れるはずだった可能性を潰されて、大事なものを置き去りにして冥府の門をくぐらなければならないのよ」
 浮かぶのは弟の姿。
 彼の未来の輝きを摘み取る者を、私は絶対に許さない。
「あなたは、大事なものが脅かされているのを見過ごせるというの?」
 エルヴィは一瞬視線を逸らした。リカシェは彼の大事なものが何かは知らない。しかし彼にとって心の大きな部分を占めるものは、まだ地上に残されているのだとわかる仕草だった。
「……レンクは死んでいない、多分な。だが俺はお前が死んだことを知らなかったから、情報が遅れている可能性もある」
 希望の光を得て目を輝かせたリカシェを諌めるように言って、壁にもたれる。 
「悪いが、俺は犯人の顔を見ていない。お前は見ていないのか。意識があったんなら何か覚えているんじゃないのか」
 リカシェは目を閉じた。
「……何か見たような気がするけれど、記憶がはっきりしないの。薬で朦朧としていたし、幻覚のようなものだったのかもしれない。……白い光が見えた気がする」
「白い光? 蝋燭か、それとも稲妻か」
「あの日は一日中晴れで、夜も雨は降っていなかった。白い何かを見たのかもしれないけれど、よく思い出せない……」
 そうだ、ずっと脳裏に閃くあれは、意識が揺れる中で見た犯人の『何か』なのだ。けれど何度思い返しても白と黒の景色がちらつくだけで、暗闇と狭い場所への息苦しさと恐怖を感じ続けていると、鼓動が不規則に乱れて震えが止まらなくなってくる。
 それでも拳を握って耐えた。自分を殺して安堵している何者かを喜ばせるのは、何度も殺されていると同じことのように思えたからだ。
 しばらくして、エルヴィが大きく息を吐いた。
「……わかった。俺がここにいるということは、俺たちより先に死んだ連中もこの街に来ているかもしれないということだ。探して、犯人の顔を見ていないか聞いてみよう。お前は地上に戻る方法か、地上に警告する手段を探せ」
 礼を言おうとしたリカシェの鼻先に指が突きつけられた。
「すべての人間が協力してくれるとは思うな。地上に戻るとしたらお前だけだろう。全員が生き返れるわけじゃない。そのことを恨みに思うやつがいるに違いないんだから」
 傲慢で自尊心の高い男たちの顔を思い出しながら「わかったわ」と頷いた。もし見つかって、リカシェが水葬王の花嫁という立場であることが知られれば、たかられるのは間違いない。普段はただの雑草くらいにしか思っていないくせに、利用できると見ればぼろぼろになるまで使って捨てるのが彼らのやり方だった。
 だからこそエルヴィの態度は際立っていた。リカシェの話を聞いた上、協力までしてくれる。今までそんな手助けはなかったけれど、彼もまた、地上では何かに囚われていたのかもしれない。
「どうやって情報交換をするか決めておこう。こっちだ」
 そう言うと彼は先導して歩き始めた。しばらくも行かないうちに、箱型の燈明が青い光を放っている店の前まできた。両開きの扉は開け放されており、中がよく見える。そこは、部屋の隅々まで透明な光で満たされていた。
 硝子か水晶かでできた鳥の置物。青い石を彫って作った花籠。すべての針が止まっている柱時計。がらくたを組み合わせたようでいて中心に姿見が据えられている不思議な調度。
 店主らしき老婆が、エルヴィとリカシェを見て、ふんわりと微笑んだ。綿毛をふわふわと丸めたような、柔らかい微笑みを浮かべる人だ。椅子に深く腰掛けた姿は置物のようだが、若い頃は可憐な少女だったのだろうと思わせる大きな目をしていた。
「ここは飾り物屋。俺がお前に連絡する時は、ここの飾り物を城に届けさせる。逆の場合は、この店に注文をしてから次の日品物を直接取りに来い。この店はなかなか人が来ないから、馴染み客同士が度々顔を合わせても不思議じゃないだろう」
「ここが飾り物屋だったのね」
「婆さん。そんなわけでこの店を待ち合わせに使わせてもらう。代わりと言っちゃあなんだが、彼女が品を買ってくれるから、勘弁してくれないか」
 エルヴィの勝手な言い分を、老婆はにこにこと聞いていた。
「さだめのままに。でも、あんまり悪さをしちゃだめだよ」
 そう言ってリカシェに目を向ける。曇り水晶のような淡い瞳が、知恵の名の下にリカシェの心に隠れた何かを見透かそうとしていた。リカシェはそれに真っ向から対峙した。
 そうした年配者の瞳をリカシェは恐れない。むしろ好ましく思っていた。彼らはリカシェの無謀さや浅慮を指摘し、未来ある者が過たないよう導く者だった。血気盛んで武勇を馳せる若い戦士よりも、田舎で村の子どもに剣と弓を教えている老爺に教えを乞うたおかげで、リカシェの弓はその辺りの男に負けない腕になった。一人で山野を歩くための術や、馬を操る方法、傷の応急手当や病を得た時の簡単な処置の方法は、そうして身につけた。彼らはかつては輝かしい功績を打ち立てた人々だったが、それを捨てて慎ましく暮らすことを選んだ賢者たちだった。
 やがて老婆は、年老いた羊のような静かな目をして、リカシェに微笑んだ。
「かわいいお嬢さん。この店のものは、物作りが好きな人たちがこの街で手に入れることができるもので作った、不思議な飾り物ばかりなの。あなたの気に入るものがあればうれしいわ」
 リカシェも微笑み、深々と頭を下げた。
 そしてエルヴィと別れ、アーリィの元へ急ぐ。約束の場所で待っていた彼女は、リカシェが戻ってきたのにほっと安堵の息を漏らした。どうやらこのままいなくなるのではないかと心配していたらしい。
「面白いものはあったかい?」
「ええ。いろいろと」
 リカシェは頷いた。



 

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