「リカシェ」
 不意に呼びかけられ、振り返ると、エルヴィが入ってくるところだった。心臓がどきんと不安を打つ。
「悪い。待たせたな」
「いいえ。気にしないで」
 ルビナの邪魔をしたくないので、リカシェはエルヴィとともに壁際の椅子に移動した。座ってすぐ、エルヴィは口火を切った。
「『親戚を探してる』と言って最初は役人に当たろうかと思ったんだが、そういう問い合わせには回答していないらしい。ここじゃ街に入った後は、誰がいなくなったとかいう名簿は作っていないらしいな。それでも全部知っているやつがどこかにいるんだろうが、会えないようになっているんだろう。でなければ、家に割り振りできるとは思えないし」
「それで、聞き込みをしたのね?」
「ああ。『あんたも家族を探してるのかい』って同情してくれる人がたくさんいた。代わりに自分も探している人がいるからと交換条件を出す人が多かった。会いたい人に会うのなら自力で探し出すしかないらしい。だから、そういう情報を持っているやつがあちこちに網を張っているんだそうだ」
 情報屋が多数いるということか。だったら対価を渡したのではと思ってリカシェが口を開こうとすると、エルヴィはそれを制して自分の話を続ける。
「で、そいつらに教えてもらった。シエテ伯父貴がいたら犯人に見当をつけていたんじゃないかと思うんだが、どうやらもう冥府の門をくぐったみたいだ。めぼしい奴らもそうだ。俺が会えたのは、ヘルブラーナのウィスティと、アネーシュのケッツァ、後今回初めて会った継承者の何人かだ」
 ウィスティは戦士にしては涼やかな顔立ちと物腰が人気だった、ヘルブラーナ一族の継承権が高かった青年。ケッツァは名前を聞いたことがある。だが思い出すと嫌な顔になってしまうのは、ウィスティがやたらとリカシェに絡んできたからだし、ケッツァは恋人と結婚したいあまり婚約者の不貞をでっちあげて真冬に彼女を身一つで追放したという噂のせいだ。
 そんな彼らの持つ情報が有用だとはあまり思えない。エルヴィもそれを承知していて、苦い表情になった。
「死ぬ直前の状況を教えてもらったが、芳しくはなかった。どうやら犯人は上手く顔を隠しているらしい。みんな自分は毒殺されたと言っていて、毒が入っていたと思われるのは寝酒だったり、髪を固める油だったり、花の匂いだというやつもいた。持ってきたのはいつもの使用人だとか、毎日使っているものだとかで、特に不審に思わなかったそうだ」
 殺害されている候補者たちの死因はほとんどが毒ということか。口にするもの、肌に触れるものは気をつけろという警鐘はあちこちで鳴らされていた。それでも毒殺が続くということは、その扱いに巧みな者たちが暗躍しているのかもしれない。とすれば彼らを雇う財力を持つ者が有力だろう。となれば、東のソレーシュ、南のアンジュネッツか。
 そこで思い出したことがあった。店の外を眺め、今まで来た道を思い返す。
「あなたが話を聞いたのは、大人だけ?」
 この都市には、子どもの姿がない。
 しっかり意見を言える十代らしき子どもの姿はある。だがそれ以下の幼児を見かけない。見ないだけだとしてもこの都市で一人で暮らしているのか。
 エルヴィは静かに頷いた。リカシェが何を言いたいのかを正しく理解したようだった。
「そうだ。俺が会ったのはこの街で一人で暮らしている大人だけ。この都市じゃ、言葉のおぼつかない年齢の子どもは特別な場所で保護され、もう少し大きい子どもはよしと判断された大人に引き取られて一緒に暮らすんだそうだ」
 リカシェはその先を言うのをためらった。
 死亡した継承者の中にはもちろん子どももいた。年端のいかない幼子も、生まれたばかりの赤子もだ。しかし、起こってしまった出来事とはいえ、子どもに自分が死んだことを確かめさせたり、その時のことを思い出させたり、などということはしたくない。
 そんな甘いことをと嘲笑されるのはわかっていても、人道に背くような真似はできない。リカシェは口をつぐみ、しばらく思案した。
「……目撃者は?」
 思いついたのはそれだった。
「目撃者や協力者がいるはず。中には、自分の死と前後して口封じで殺されてしまった者もいるでしょう。犯人と直接接したわけではなくても、それを辿っていけば……」
「俺もそれを考えた。それで聞いてみた。『知り合いが死んだ周りで、不審な死に方をしたやつはいないか』と。すると一人いたんだよ、『川で死んでいるところを発見された村の幼子がいる』って言ったやつがな」
 エルヴィが告げた村と川の名は、確かに近くに城がある村だった。
 沈黙が落ちる。
 やはり子どもなのか。もしかすれば無関係という可能性もあるが、犯人は、子どもには姿を見現されてしまうのかもしれない。取るに足りないと思って周到さを欠くのか。そう思った時、何かが引っかかった。
(『周到さを欠く』……それは、私の場合にも当てはまるのではない?)
 リカシェの死は毒によるものではなかった。すなわち、犯人は子どもと女に対しては手心めいたものを加えていることになる。それが歪んだ優しさなのか侮りなのかはわからないが、犯人を推測するのに必要な情報だ。
「エルヴィ。今まで聞いたところだと、犯人は女性と子どもを軽視しているように思うわ」
 考えたことをエルヴィに話すと、彼もまた考え込んだ。そして「いや」と否定の言葉を発した。
「軽視とは限らないんじゃないか」
「え?」
 意味がわからずに問い返すと、俺なら、と前置きをしてエルヴィは言う。
「毒で死ぬか、生きながら水葬されるかなら、俺は毒を選ぶ。毒には血を吐いて苦しむものもあるが、眠るように効くものもあるからだ。だから俺には、まるで女子どもを苦しませて殺したがっているように思える」
 エルヴィの底光りする目を見て、背筋がぞっとした。彼の言う通りだとすれば、なんという執念だろう。継承者たちを殺して回り、中でも女と子どもは苦しむように仕向ける。複数犯だとしても、それを行っているのはよほど歪んだものを持つ何者かだろう。
 不意にエルヴィが立ち上がった。
「……エルヴィ?」
「気になることがあるからもう少し調べてみる。何かわかったらまた連絡する。お前はもう帰った方がいい。ウィスティとケッツァに俺が動いているのを知られたからな。見つかると確実に絡まれるぞ」
 それはご免こうむりたい。彼らとは相性が悪いのだ。
 リカシェがルビナに辞去の挨拶をすると「またね」と彼女は手を振ってくれた。周囲に気をつけながらアーリィとの待ち合わせ場所まで来ると、彼女はまだいなかった。もうしばらくうろつこうかと思っていると、街の入り口の方からやってくる彼女が見えた。
 だがその歩調はどこか頼りない。雲の上をふわふわと歩いているかのようで、機敏に動く彼女らしくなかった。
「アーリィ?」
 リカシェの呼びかけにはっと夢から覚めたように、アーリィは瞬きをし、どこかほっとしたような深いため息をついた。
「ごめん、待たせたね」
「それよりもあなたがぼうっとしている方が気になるわ。何かあった?」
 悩みや憂いごとなら心配だったのだが、彼女が浮かべたのは暖かい微笑だった。興奮したように頬が上気し、目が輝く。
「ずっと頼んでいたことが、ようやく叶ったんだ。これからそこへ行くんだけど……リカシェ、一緒に来てくれないかい? あたし一人だと落ち着いていられるかどうか……」
 驚いた。快活で豪胆なアーリィが、少女のように不安がっている。
「私でいいのなら付き添うわ。あなたのように戦うことはできないだろうけれど」
「安全は保証するよ。なにせ青の乙女の領域だから。ありがとう、リカシェ」
 うろたえていた心は、リカシェの取るに足らない返答ですっと落ち着いたようだ。浮ついていた足取りもしっかりして、城へ戻る道を行く。
「青の乙女の領域というのは、城にあるのね?」
「そうだよ。西棟の、本当に端の方にある。限られた者しか立ち入れない場所だ。『鎮めの宮』という。だから西門から入ろう。そこの門番に言えば案内してくれる」



 

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