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 アスティアスの城に、ヘルブラーナ城から使者がやってきた。使者は慇懃な態度で、システリオ王がお呼びであると告げ、近日中に登城せよと言い置いていった。療養という名目で物見高い人々からの視線を避けていたリカシェも、これには応じなければならなかった。
 父や叔母たちは巣をつつかれた蜂のように大騒ぎして、リカシェを飾り立てるのに必死になった。地味な衣服はすべて物置に追いやられ、華美な衣装ばかりが用意されたが、それをいなしたのは、アスティアス一族の後継であるレンクに礼儀作法の教師となったゲーティアのジェニスだった。
「システリオ王は、華美なものはあまりお好きではないようですよ」
 ヘルブラーナ一族の妻の一人であった経歴が功を奏し、彼女の助言通りの、慎ましいが品の良い訪問着が用立てられた。城へ向かうリカシェの髪を結ったのもジェニスだった。
「何を考えていらっしゃるの?」
 ――地上に戻って以来、リカシェはぼんやりすることが多くなっていた。
 水葬に用いられた棺は、不思議なことに常ならば地上に戻ってくることはない。だがある日、近くの村人が川岸に流れ着いた棺を発見した。彼らが蓋を開けると、生きたリカシェが眠っていたのだという。父らが迎えに来た時には、すでに噂が広まっていた。
 古来からの習いの通り、死より戻った巫者として、リカシェの名はとどろいてしまったのだった。
 そうしていつの間にか、リカシェの意識は時々半分だけ別のところに行ってしまうようになっていた。突然眠り込むこともあれば、目を開けながらぼんやりすることもあった。巫者を抱えているという優越感と、生きているのか死んでいるのかわからない厄介者を抱えているというわずらわしさを感じている一族の中では、レンクだけが、それ以外では彼の教師であるジェニスが、リカシェに親切にしてくれる。
 その彼女の問いかけはしばらく経ってからリカシェの心に届いた。リカシェは答えた。
「私のなすべきことを」
 部屋の扉が叩かれる。リカシェが返事をすると、レンクだった。
「姉上。入ってもいいですか」
「どうぞ」
 そっと扉を開けてレンクが入ってきた。なんだか毎日背が伸びている気がする。以前は同年代の子どもたちの中でも小柄な方だったのに。
 彼は大きく目を見張り、頬を紅潮させて言った。
「姉上。とっても綺麗です!」
「そう? ありがとう」
「その青いドレス、初めて見ます。でもその髪にとってもよく似合ってる」
 リカシェは微笑みながらレンクを抱いた。
「私はこれからヘルブラーナ城へ行くけれど、あなたも気をつけるのよ。出掛けるときは必ず誰かと一緒に。困ったことがあったらジェニスに相談して。……口うるさいと思う?」
「ううん。理由があるから、心配だから何度も言うんでしょう? わかってるから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、姉上」
 戻ってきたリカシェになりふり構わず抱きついて泣いていた弟は、背が伸び、泣き虫がなりを潜め、自らの振る舞い方を試行錯誤して、少しずつ大人になっていくところだった。
「どうか無事に戻られますように」
 ジェニスの祈りの言葉を受け取って、リカシェは父と護衛をつけてヘルブラーナ城へ向けて発った。
 到着は夕刻になり、なんだかんだと待たせれて夜になった。城の周囲はひっそりと静まり返っており、木々ですら息を潜めているように思えた。リカシェの知る静寂とは異なり、誰もが目立たぬよう、影の中に身を潜めたがって息を殺しているようなのだ。
 やがて案内の者が来て、玉座の間に向かいながら、リカシェはそこかしこに凝る闇を見つめた。それらはこちらを見つけては逃げていく。そのどれもが同じ方向、同じ場所を目指していた。
 薄暗く粘ついた影と渇いた灯火に照らされた扉が開く。
 玉座の間は、その座に向けて一直線に明るく照らされており、広いはずの周辺は暗いままにされていた。だがそこには多数の人の気配があった。重臣、この場に居合わせる資格を持つ者たちが、リカシェが進む姿を息を詰めて見守っているのだ。その視線を受けながら靴音を響かせていくと、ふす、ふす、という肺が軋むような呼吸が聞こえてくることに気付く。
(胸を悪くしているのか。この城の空気ならばどこかに不調を覚えていても仕方がない)
 玉座には王がいた。白髪をまとめ、頭に冠をいただき、黒い外套で身体を包み込んでいる。彼の年齢は刻まれた皺と染みが物語る。彼こそヘルブラーナ一族を率いて中原を統一せしめようとしている、システリオ・ヘルブラーナだった。
 リカシェは父とともに、玉座の足元で跪いた。
「……青い」
 システリオの一声はそれだった。
「死よりよみがえりし女。その噂は真であったようだ。その青い髪が、染めたわけでないのなら」
 続けて、立って面を挙げよと王は命じた。言われた通りにリカシェは立ち上がり、それを望まれていると知ってまっすぐに王を見据えた。王はその瞳が青いことも見て取ったはずだった。
 水葬都市から帰ってきたリカシェの髪と瞳は、以前の色を失って鮮やかな青に変わっていたのだった。
 噂が広まったのはそのせいでもあった。そして王はそれを確かめるためにリカシェを召喚したのだ。
 王はつくづくとリカシェを眺め、顔を歪めた。
「ヘルブラーナの巫者として余に仕えよ。そなたには水葬王の加護があろう」
「人殺し」
 リカシェの放ったたった一言は、暗い玉座の間に響き渡った。
「あなたは玉座にしがみつく亡者だ。継承権を持つ者たちを殺して回り、自らの罪が露見することを恐れて罪のない者たちを殺した。自らの地位と影響力、協力者を利用して、蟻を潰すように殺し続けた。近年絶えず続く継承候補者たちの死は、あなたがやったことだ」
 くふっとシステリオは笑った。
「何故そう思うのだ」
 息を詰めて見守っていた人々の間に静かな驚愕が広がっていく。リカシェの瞳は光を帯び、青い炎が揺らめくような残光を彼らの目に焼き付けた。その光は一直線に、影をまとう王に据えられる。
「私は見た。薬を飲まされ、生きながらにして水葬されるその時、棺に私を押し込める者が帯びた『白い十字』を」
 リカシェの指先が示すのは、王が腰に帯びた剣。それは王権の証。その柄にはこの世に二つとない青い宝石がはまっている。その宝石が希少なのは、光が当たると白い光彩が浮かび上がるからだ。
 今も、その青い石の上には白い光が縦と横に交差している。
「私が見たのは宝玉の光彩――白い十字の光彩が入る宝玉など、私はその『光の青』以外に知らない」
 手を下ろし、リカシェは告げた。
「私を殺したのはあなただ」
 ひいっとどこかで悲鳴が上がった。これがただの娘の言葉ならば皆一笑に付しただろう。心のどこかで真実かもしれないと思いながら、疑惑の種を潰したはずだ。
 だがここにいるのは死の世界から蘇った女であり、そこかしこで巫女や神官たちが囁く噂通りならば、水葬王の最後の花嫁とされた者だった。その言葉は託宣であり、神の意志だ。リカシェはその力ある言葉でもって、システリオを罪人だと断じたのだった。



 

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