少女が歌っている。なのに世界は光り輝かない。
 白い月と銀の星、そして共鳴の夜は、二人に優雅なざわめきを遠くに聞かせて静かに更けていく。星光に輝く、花の上を舞う雪のような淡い光は、風が庭園の果樹を揺らして奏でる『共鳴現象反応』だった。
 すべてのものは波動を帯び、他のものの波動と激しくぶつかるとその振動が増大しやがて一致した時に光を生み出す。それがこの世界のことわりだ。一般的には防護材や人工土などの素材によって反応は遮断されるよう法律で決まっているが、この庭園はその手を入れていないらしい。法律の目をくぐる力を持つ資産家なのだろう。富豪の邸宅であってもこのような庭はめずらしかった。
 人間もまた例外なく波動を帯び、それが干渉波という無声で意思を交わす能力となり、ありとあらゆる人間が有している。声帯は普通に使用する分には波動を抑制するらしく、呼吸や会話では現象は起こらない。しかし唯一『歌う』という行為によって、どんな防護材や抑制装置を用いても例外なしに共鳴する理由は、まだ明らかになっていなかった。ことわりであるからと誰しも受け入れている。
 しかし世界の秘密は存在する。この【都市】が実は影によって担われていること。青年が影の存在であること。この少女の歌声、存在そのものが例外である理由も。
 少女の歌は、共鳴を生み出さずに夜の中に吸い込まれていく。共鳴の歌を歌えない声が高く伸びて、消えていった。
 次の瞬間、歌声が消え風が吹いたことでこの場所で奏でられる共鳴が一斉に解き放たれる。白い月よりも銀の星よりも青く、家々の明かりより淡い黄金の光が、地上に宇宙の庭園を造ったように溢れ。
「あなた、これからどうするの?」
 そのただ中で彼女はくるりと振り返ると、その歌声のまま澄んだ声で問いかけた。
 問いを受けた青年が少しの間を置いた後の、仕方なしの答えに気付きもしない様子で彼女は笑う。
「あらあら」
 その笑顔で、青年は自分の答えの素っ気なさが思春期の中学生のようだとようやく思い至る。むっつりと彼が黙り込むと、楽しげな笑い声が響いた。それでさらに彼は押し黙る。
「じゃあ、あなたに私に対して質問する権利をプレゼントします。何でもどうぞ? ……そんな嫌そうな顔は人に嫌われてしまうわ。これは遊び、一夜の魔法よりもずっとささいなゲームなんだと思って、付き合って下さいな」
 引き下がらない頑固さをさきほどからひしひしと感じ取っていた彼は、雇い主に対して耐えきれずにため息をついた。腰を下ろした彼女は両手で頬を支えてにこにこと笑っている。
「……何故、歌を?」
 最も無難で、そして最もこの場にふさわしい問い。
 彼女はどこか笑顔に影をちらつかせた。一瞬見えたそれは悲しみだったのか、悟らせないまま、少女はすっと立ち上がり、宣言する強さと包む込むような柔らかさを持った声で青年に答える。
「受け止める人によって形を変えるのが歌だって知ってる? 歌は自由よ。どこまでも溶けていける――孤独の中にさえも」
 彼女は白い人差し指を優しい色の唇に当てる。とっておきの秘密をささやくように。
「だから寂しくないわ。だいじょうぶ」
 世界を輝かさずとも、夜よりも深く覆われた影の中だけで、それは瞬きを始める。
 言葉は彼に向けられていた。確かに、彼に向かって微笑んだのだ。
「だから、覚えていてね。私の歌を」


本編よりPrologue抜粋。
本編[Dear dark]は二人と一人の話。短編[Near light]は一人と二人で三人の話です。
千歌(女)→←叶途(男)←光輝(男)みたいな関係です。別にあぶない関係ではありませんよ!
テーマは孤独と歌です。


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