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「ディオール」
 生まれて最初に知覚した言葉、身に吹き込まれるそれは己の名だと知っていた。それは自分だけの名ではなく戦士たちの名であり、同時に自分の名でもある。
 目を開けると円形に開かれた天井が見えた。始めて見る世界は温かな柔らかい光に満ちていて、まず最初に目に焼き付いたのは、開いた天に渦巻く美しい銀色の雲だった。細かな光の粒を散らしてゆっくりと動いている。ここでは雲は乱れることはない。穏やかに美しく、神々の気紛れによって形を変えるだけだ。
 身体を起こす。そこは円形の部屋で、柱がどこまでも並び、壁というものが存在しない場所だった。
 自分を見下ろし手で触れてみた。留め具や縁は銀や銀糸で装飾された、手触りのよい黒い衣服。靴や手袋まで黒かった。それに包まれた自分の身体は、胸板は十分に厚く、肩はしっかりしていて、手足は伸びやかだ。指は長く拳を作るとぐっと力が入る。これなら武器を握るのに申し分ないだろうと思い、ようやく自分が寝かされていた大きな寝台から降りた。弾力のある寝台には寝ていたところにわずかな窪みが出来ている。
 初めて地面に立つというのにその足はしっかりしていて、歩き出すと地面を蹴り出した瞬間の押し返す力が心地よく、寝台の周辺を歩いたり走ったりしてはその感触を楽しんだ。そして一際力強く地面を蹴るとその場から跳んだ。人間からすればそれは超人的な距離を跳んだのだが、ここには人間はいないし彼は人間ではないのだった。
「【ディオール】」
 自分の呼吸と動き以外の音が聞こえた。振り返ると、柱の影に、微笑みを浮かべた【ディオール】が立っていた。
「我らの主がお呼びだ。こちらへ」
 その【ディオール】は背が高く金髪の巻き毛に青い瞳をした、外見年齢は自分とそう変わらないだろう、若い男だ。実年齢は分からないが兄であることは間違いない。彼の後に従う。
「我らの主より御言葉がある。その前に、そなたの前途を私も祝す。兄弟よ、再びまみえる日を心待ちにしている」
 金髪の【ディオール】はある場所まで来るとそう言って、ディオールの背中を押し出した。
 ディオールは薄い光の膜のようなものを通り抜け、次の瞬間には全く同じ風景でありながら、別の場所へと移動していた。
 先程と同じく白い柱が規則正しく立っている空間を、ディオールは真っ直ぐに進む。するとすぐに開けた場所に着くことが出来た。目覚めた場所のように天井が開いて銀色の空が見えている。
 光が照明のように当たる中央でその雲の銀を、美しい、と他に例える言葉を持たないのでそう表した。しんとした冷たさとじんわりと温もりのようなものを感じる。これが美しいものを見た時の感情なのだろうか。
「【ディオール】」
 声の方向に抗えぬ力を感じて目をやる。これ以上なく長い金髪と、引きずるほどの黒い衣装を着た主が立っていた。ディオールは本能的に跪いた。
「おはよう。目覚めはどうだい」
「未だ、心許ないところがございます」
 初めて聞く自分の声は妙だと思いながら答えると、主は笑った。
「そうか。目覚めたばかりなのだから仕方がない。それに私は我が主神のように創造の力は持っていないからね」
 立ちなさい、という言葉にディオールは従い、背筋を伸ばして主を見た。金髪は濃い色をしていて床に流れる先まで艶やかで、黒い衣装の上着は今は引きずっているが下には機能的な服を着込んでいるのをディオールは知っていた。今はその若い顔に柔和な笑みを浮かべているが、その時が来れば容赦なく死を与える。戦いと、生と死の象徴が、この御方。
 ディオールの思考を分かっているように、主は近付き、柔らかに頬に手を添えた。
「私は私からお前たちを作る。黒い髪黒い瞳のお前、美しい我が戦士。自分が何者かは解っているかい」
「戦神ディオグストの戦士【ディオール】」
 主――戦いを司る神ディオグストは頷いた。
「そう、お前は我が戦士の一人。神々の末端。だが我が創造主から作られたわけではないから未熟だ。私のようにね。だから私は、お前たちに人の世に降りることを義務づけている」
 頬に添えた手を離して、ディオグストは両手を上に向けて差し出した。そこにふわりと出現したのは、刃まで黒い剣。ディオグストは滑らかにそれを抜いて見せた。
 ディオールは目を奪われた。素っ気ない握りは自分の手に合うことが分かり、刃は光を優しく弾き返してはいるが、力を込めれば応える力があると感じ取った。鞘の中央の装飾は銀。ディオグストの紋章が小さく入っている。これは自分、【ディオール】の為に作られた物だ。
「すべきことが分かっているね? この剣を持っていきなさい。お前の為だけに作り上げられた剣だ」
 感謝を示す為に恭しくその美しい剣を戴く。
 そしてディオグストは人間界へ続く門を開いて、進み行こうとするディオールに祝福を与えた。
「我が戦士。我が子。父は、お前が戻ってくる日を楽しみにしているよ」
 ディオールは振り向いて直立不動の姿勢を取ってから完璧な角度で礼をし、そうして自らを育てる為の地上への門をくぐった。



 戦神ディオグストは【ディオール】という戦士たちを持つ。【ディオール】はディオグスト神のゆりかごで生まれ育つのだと言う。彼らは百年に一度作られ、人間界に降り立つ。未熟な自分たちの精神や技術を成長させる為に。その戦士が降り立ち力を振るうことを、人は戦神の祝福と呼ぶのだった。
 その祝福がこのコールセンにあったら。リゼロットはそんな詮無いことを考えている自分に気付き、その思考を素早く振り払った。
「打てぇっ!」
 五感は相手の一瞬の隙を見逃さず反射的に指示を叫ぶ。待機していた隊から一斉に矢が放たれ、体長約五メートルの竜に向かった。その鱗を持たぬ変異竜のぬめった体に、矢が次々と突き刺さった。耳障りな鳴き声が上がり、隊の若い者たちが怯まぬように「第二撃、用意!」と叫ぶ。
 爬虫類と両生類を混ぜたようなこの変種は足が発達して二足歩行が可能であり、長い舌と鋭い牙を持っている。水辺や湿った土中に掘った穴を巣とし、水が豊潤なコールセンはその竜の繁殖場となっていた。
「第二撃、打てっ!」
 空を切る矢の一本が鋭くその眼を射た。竜が絶叫した。
 体を仰け反らせ吠えた竜はそのまま後ろに倒れるかと思ったが、片側から紫の血を流しながら残った眼でこちらを見て吠えた。そこには強烈な憎悪と怒りがある。
 重たい音が迫ってきたと思った時には弓矢隊の多くは竜の尾で薙ぎ倒されていた。





こんな感じでどっちかっていうとリゼロット×ディオールが標準です(……)
滅多にオリジナルを描かない笹原さんの絵をご覧あれ!
男口調の姫君と柔らかい青年。シスコン兄上とナルシストとお嬢さまといい人が出てきます。
ギャグはありません、念の為。いつも通りいつも通り。