第3章 共   
    


 ぽかんと浮かぶ雲に目をやる。
 療養という名の退屈な日々が始まって二週間。ほぼ傷は塞がっており的確な手当がされていると医師も笑顔だったが、行方不明だった十四日間、そう、驚くべきことに二週間ほども生死を彷徨っていたらしいが、ともかくその十四日間のことを誰に問われても、それまで笑顔であってもキサラギはむっつりと黙り込み、誰に助けられたか口を割らぬまま二週間が経っていた。
 退屈であっても親友と日がな一日一緒に過ごせるのは嬉しいことで、ユキは絶対聞いてこないと分かっているから、キサラギものんびり傷を庇いつつ、しかし黒竜に襲われた失態を忘れずに、二度とあんな無様を晒してなるものかと決意も新たに訓練に取り組んでいた。訓練場に顔を出すとどうしても好奇心で尋ねられてしまうので、自主訓練か、ハガミなどの気心知れた知り合いをつかまえての訓練だったが。
「キサラギ、窓辺にいる?」
 ユキが手探りでやって来た。いるよと答えて伸ばした手を掴み、ユキが窓から落ちないようにする。
「何を見てるの?」
「うん? うーん、別に何も」
 見ていたとしたら雲だろうか。
「退屈してるの分かってるんだから。私のところばかり毎日来なくていいのよ」
 それからちょっとユキは笑って、言った。
「成人が流れてしまって残念だったわね」
 キサラギは笑ったが、ユキは感じても見えないだろうと思い直して、少しだけ声を出した。
 黒竜討伐は失敗に終わった。費用や人員をつぎ込んだセノオの作戦は、街の内政に響いて一部から反発を買い、竜狩りとしての評判を多少落とすことになった。当然キサラギの成人の話も流れることになったが、それ以前に生死不明で葬儀が行われようとしていたというから、キサラギとしては生きて帰ってこられただけでもよかったと思っている。
 事件の元凶となったエンヤは、一時の謹慎のみで後は通常通り竜狩りとして任務に就いている。謹慎で済まされたのは組織が街の権力者たちに配慮した形である。死者が出たというのにそれで済むとはと遺族などは怒りの声をはばからず、キサラギの帰還に目を潤ませたハガミなどは絞め殺してやりたいくらいだと本音を語ったが、エンヤがこれから竜狩りとして、ひいてはセノオの住人としてどう扱われるかを考えると、キサラギ個人の恨みとしては責め立てようとは思わなかった。
 世界から消えるようだった十四日間、その記憶を、キサラギは封じ込めることにした。思い出したくもなかった。助けてくれたのがよりにもよって竜人だったなどと、竜狩りのキサラギが言えるだろうか。
「成人できないわけじゃないからね。二十歳になったら大人だ。それまで待ってもいいと思ってるよ。急がば回れだ」
 巨大竜は滅多に狩られることはない。それならば、目指す灰色竜はまだ、どこかにいるはずだ。例え、このしばらく噂を聞かなくとも。狩られたという話を聞かないのだから。でも、行かなければならないと、空を望む。
 その時、繋いでいた手が、きゅっと握られた。
「ん、ユキ?」
「……キサラギ、あの」
 ね、とユキが言った瞬間に、妙な騒ぎの声に気付いた。
 キサラギはその方向へ身を乗り出す。何か変事があったというわけではないが、しかし人々が街の入口の方へ走っていくのが見えている。
「どうしたんだろう……あ、おーい、ミナさーん! 何があったの!」
 知り合いの女性が走っていくのが見えて声をかけた。彼女は少しの間姿を探してきょろきょろした後、塔の上階にいるこちらに気付いて何故かぱっと顔を輝かせた。ん? と思ったのもつかの間、キサラギは、信じられない言葉を聞いた。
「すっごい美形が来たんだって! キサラギ、あんたを探してるらしいよ!」
 もうすんごいらしいのよう、と嬉々としている彼女を見ながらキサラギは客の正体を想像し――次の瞬間衝撃のあまり外側へ横向きに倒れた。落ちる音を聞いたユキが、悲鳴を上げる。


 まさか。
「キサラギ、お客さんが来てるみたいよ!」
 いやまさか。
「キサラギあのひとだれー!?」
「すっげー綺麗なにいちゃんだぜ!」
「結婚すんの?」
 いやいや、まさか。
「おう、キサラギ、お前も隅にお」
「キサラギ、おま」
「キサ」
(まさか。まさかまさかまさかまさか!)
 入口周辺は悪夢のように人の固まりが出来上がっていた。住民だけではなく立ち寄っただけの旅人も物見高く眺めている。キサラギが呆然と立ち尽くしていると、気付いた誰かの「キサラギが来ーたぞー!」の声で神話もかくやとばかりに人の波が割けた。キサラギは目眩を覚えた。目の前に現れた「すっげー綺麗なにいちゃん」に覚えがありすぎたのだ。
「なんで」
 ぶるぶる震える指を思いっきり突きつけた。
「お前が、ここにいるんだ――!!」
 対してため息は馬鹿馬鹿しいと言った。
「お前がこの街の名を言ったんだろう」
 白銀の髪、銀灰色の瞳、光の美貌を持つ、黒衣の竜人は言った。
 その何を今更という顔で沸点を超えた。思わず剣を鞘から――抜きかけて素早く手を押さえつけられた。がちがちがたがたと強い力が剣を抜こうとする手首で拮抗する。身を寄せたことで周囲はどよめいたが、耳にも入らずキサラギは抑えた声で怒鳴った。
「どういうつもりだ。ここは竜狩りの街だ!」
「そうだ。情報が集まるとお前が言った」
「殺されたいのか、狩られるぞ!」
「狩られると思うのか?」
 光を弾いた瞳は獰猛で、認めたくはなかったが美しかった。なんて不遜。なんて自信。なんて傲慢。言葉を失ったキサラギにますます身を寄せたセンに、周囲が悲鳴に近い声を上げる。だが囁かれたのは期待されているような甘い囁きごとではなかった。
「案内しろ。黒竜の情報が知りたい」

    



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