蹴り跳ばす勢いで酒場に押し入ると、「いつもの!」と叫び椅子を乱暴にひいた。わいわいと男どもがキサラギに近寄ってくるが、眼光鋭く左右を見れば、どよどよと席に引き返していった。こちらに窺うのに鼻を鳴らし、注文したものをあおる。一気に飲み干して息を吐いた。
(なんだあいつは。なんだあいつは!)
 剣を抜くのをあっさり制した竜人は、あれからキサラギの手首を掴んで人の輪から抜け出した。手を繋いでいると思われるのが心外すぎてキサラギは手を振り払い、竜狩りの本部に男を放り込んで勝手に情報でも何でも聞いていけと丸投げてここに来た。
 男たちはキサラギが美形の男連れなのを面白がり、女たちはキサラギの恩人だと知って笑っていた。皆、腕輪の片方がなかったのを知っているのだった。それはいい。それはいいが、最高に憤慨ものなのは、あの人間を何の脅威にも思っていない涼しいあの美貌の顔面だった。
「あの顔殴りたい……」
 静かに呟けば周囲がぎょっとしている。
 竜は嫌いだ。竜人はもっと嫌いだ。もう二度と会うまいと思っていた男が、何故ここまで来たのか分からない。
(黒竜を追う……でも、竜人が?)
 人間だったならば疑問に思わなかったことが浮かぶ。人間なら竜に恨みくらいあるだろう。だが、竜人が、同族である竜を狩るのか。
 その時、一際大きな笑い声の集団が酒場の入口をくぐってきた。
「おう、キサラギ!」
「部隊長、みんな………………どうも」
 長い沈黙は、彼らが連れている黒衣の男に向けられている。もう絶対そちらを見ないと強い決意を固めたのに、面白がった仲間たちが同じ机に男を付けさせた。
「センはいけるクチか?」
「手始めに琥珀酒頼むわ!」
 始まった酒盛りにキサラギはわずかに椅子を動かして遠ざかってから、自分の飲み物に口を付ける。
「キサラギ助けてくれてありがとな。あいつ結構無茶するからなあ」
「何してたのか全然話さないしさ。気になってたんだけど」
「センだったら間違いねえやあ。なあ」
(何がだ馬鹿!)
「顔色変わんねえな、にいちゃん」
「おーい、もっと持ってきてくれ!」
 こちらを見ず、話を向けられればきちんと答え、それ以外は酒を舐めている男。どうやら短い時間で信頼を獲得したようだが、こいつが竜人だと知ったらどうなるだろうと想像してみるのは消極的な意趣返しだ。
 言った方がどっと笑われる、というのは癪だから選択肢から外して、この場がひどく混乱して無茶苦茶になり……と想像したが、不吉なほど白い竜が、炎に包まれた街の上に君臨する光景がよぎって吐きそうになった。
 違う。あの光景は白竜じゃない。あれは、灰色だった。
 思わず席を立った。
 脇目も振らず店を飛び出し、行くところを考えた。ユキの笑顔が浮かべばそちらとは逆の方向へ走った。商店が並ぶ通りに差し掛かる頃には、酔いが回って足がふらつき、それでも行かなければならないと街の外へ出る。門番たちは危ないと忠告してくれたようだったが、気付けば草原の上で膝を突いていた。
 街は優しい光を灯して夜の草原に浮かぶ。焼き尽くす炎など見当たらない。
 それでも吐き気が止まらない。自分がひどく、不気味な怪物に思える。
 闇ばかりの草原を吹き渡る風の音が、目に見えない怪物の呻きに聞こえた。波のような音ではなく、ごうごうと地の底から洩れ出しているような。
「こんなところにいたのか」
 聞きたくもない声がキサラギを見つけていた。汗を拭う。こんな姿を見せるなんて。剣を意識して立ち上がったものの、熱いような冷たいような不快感を覚えたが、足をふらつかせるとまた近付いてこられそうで堪えた。
「なんで、あんたが来る」
 顔は見ない。そのままで問いかける。
「竜狩りたちに探してこいと言われた。ついでだから酔い覚ましにな」
 鼻を鳴らした。酔ってもいないくせに何を言う。
「情報が手に入ったならさっさと出てけ。知られれば狩られるぞ」
 くっと押し殺した笑い声が聞こえ、振り返ってしまう。初めて見た愉快そうな笑顔は、元が嫌いすぎて嫌味な笑い方だった。
「自分が狩るとは言わんのだな」
 かっと血が上った。
「世話になった奴に剣を向けられるか! 見くびるな!」
 自分でも考えないようにしていただけに目眩がした。何故だろうと考えかけて、その寸前で答えを得ようとしなかった問い。しかし今感情のままに叫んで、そうだそうなんだとむかむか思う。世話になった奴に剣は向けられない。それだけだ。
 今度は相手が鼻を鳴らす番だった。
 言葉もなく睨み合う時間が続く。目を逸らしたのはキサラギが先だ。今なら分かる、男の目が暗闇でも光るのは男が竜人だったからだ。その目を見ていると、自分の嫌なところを見透かされる気がして気分が悪かった。あの想像は、酒の勢いでは言い訳できないほど悪趣味で、最低だった。
「色々お前の話を聞いた。故郷が竜に焼かれたそうだな。それが灰色竜を追う理由か」
 霜が降りたように頭が冷えた。唇が、ちがう、と震え声を呟く。
「違う。そんなんじゃない」
 街の人の仇とか、両親の恨みを晴らすとか、そういうことではなかった。もっと深い。罪深い理由がある。誰かのためになんていう、美しい理由はキサラギにはない。持っていない。この手は、ただ、剣を握るために。
「……灰色竜を追うか?」
 弾かれたように彼を見た。
「俺は黒竜を追う。共に来るか」
 また、何を意図しているのか分からない。注意深く、言う。
「竜人が、竜を狩るのか。同族殺しじゃないのか」
「果たされなければならない責務がある。己との誓いだ。お前も同じだろう」
 堂々と言い放った竜人は、キサラギを逃しはしない。
 キサラギがまずやったのは、一歩退きそうになった足をその場に留めることだ。
 何故この男は知っているような口を利く。どうして一緒に行くと言う。
 一緒に行くということは街を出るということだ。だがキサラギは未成年で、自由に所属替えをすることは許されていない。つまり出て行けば、この男と共に、保障が得られない流浪の竜狩りになるということになる。
「私は……」
 出て行けない、そう言いかけて、そうではないと声がした。出て行くことはいつでも出来る。自分が成人という縛りを考えなければ。出て行きたい時にはいつでも行けると、キサラギは他人に言い放っている。
 しなければならないこと、そのための力を手に入れようと生きていた。もう十分だと認めてくれる人たちがいる。出て行けると自分でも思った。なのにどうして、ここにいるのか。
「…………」
「三日後、答えを聞こう。はっきりとした答えが得られない場合、セノオを焼く」
 顔を背けていたキサラギはぞっとして男を見た。どれほどのことを口にしたのか、彼はただキサラギだけに目を向けている。
「否でも諾でもいい。どちらかの答えをもらう。それ以外はいらん」
 はっきりと意思を告げると気配が消えた。夜の草原に灯火も持たず、白い髪が光を集めて輝き、しかし本当に姿を消してしまったのかいつの間にか見えなくなった。
 キサラギは呆然として、求められた回答を探す。
 することは決まっている。答えは最初から持っていた。彼はそのきっかけを無理矢理こじ開けたに過ぎないのに、ひどく、寒かった。
 雨の音が聞こえる。草原の音が地を打つ無数の雨音のように、キサラギに行くべきところを示し続ける。己に誓った、あの姿を追うことを。

    



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