第4章 街   
    


 最初の目的地はセノオから南方に位置するマミヤという竜狩りの街に向かうことになった。センはセンでセノオ滞在中に道を定めていたらしく、南へ向かうのならこちらにも都合がいいと言っていた。
 馬を日中走らせて二日をかけた。開かれた気配はほとんどなく、広くて果てしない草原に、漆喰の壁に、黒い門構えの街がどんと現れる。
 マミヤは大規模と中規模の中間くらいに位置する古く歴史のある街だ。大規模と言い切ることができないのは、あちこちに遺跡が点在して簡単に取り壊すことができずに、新しい街が大きくなれず古い規模のままで残っているからだ。
 褪せた煉瓦と壁の色は、黒と茶と灰と白。瓦の色が黒い建物ほど富裕層の持ち物であるらしい。茶色の瓦は土に混ぜ物をしているのだとか。石畳は細かな粒が光る灰色。すべて先人たちが築き上げてきたもの。
 竜による被害が大きく見られずに街が保たれているのは、『ミヤ』の名を冠する街の施政と、屈強な竜狩りたちの存在がある。いくつかの竜狩り組織があるマミヤでは、一つの組織が街の守護団に任命され、『マミヤ守護団』という名まで付けられるのだった。
 キサラギがまずマミヤを訪れることを決めたのは、その竜狩り組織がいくつかある点にある。街に籍を置きながら違えている竜狩り組織、つまりこの街に各地から様々な竜狩りが集まっているのだと判断したのだ。すると、広い範囲での情報収集が可能になるはず。
「くれぐれも竜人ってことがばれないようにしろよ」
 ぼそぼそと注意すると、鼻で笑われた。
「お前じゃあるまいし」
 キサラギは鞘のついたままの剣を振りかぶる。避けられた。
 センは片頬に笑みを浮かべ、真っ赤なキサラギに笑いかける。何故こういう時にそんないい笑顔を浮かべるのだ。
「『覚悟しろ竜人』だったか。夢の中でも器用なことだ」
「うるさい! 夢なんか見てない! 寝言も言ってない!」
 センはまた鼻で笑うと黒い外套を翻して歩き始める。その後に続こうとして、はたと気付いた。何故あいつが前を歩く。
 歩調を速めてセンを追い越し、キサラギはまず街の様子を見て回った。
 マミヤの市場は南側にすべて固まっているらしい。宿も値段層に分かれて何件か営まれているようだ。中央部は政治に関係し、物見塔はそのために使われているらしい。街の北側で扇形に広がるように、様々な竜狩り組織の本部がある。一つの建物にいくつかの組織が入っている、ということもあるようだった。
「おい、退けじじい!」
 歩いていると男性に肩を押された老人がよろめいたところを目撃した。駆け寄ろうとしたが、連れの孫らしき少女がすぐさま支えに走ったので、少し安堵して見送る。だが、気付く。先程の男性が現れると、緊張感がそれに合わせて移動していくことに。
(……空気が悪い気がする)
 あの男が何かあるのか。だがどう見てもただのちんぴらで、恐れるところはないように思う。
 改めて思えば、マミヤはこんな街だとは聞いていなかった。市場を早々に閉めたり、あんなちんぴらがのさばったり、それに怯えるような人も聞いたことがなかった。どうやら、何かあるらしい。
 酒場にまずは足を伸ばす。磨かれた看板や惜しげもない灯りの様子は、それなりの店だと示している。開かれた入口に足を踏み入れ、席を探すと、キサラギに続いた足音に、場が一瞬、静まり返った。
 そして気付く。連れが袋でも被せてやりたいくらいの顔をしていることに。
 静まり返っていた店内は、人々が団結したかのように喧噪を取り戻していく。センが動いて適当な席を見つけると、惚ける店主にさっさと酒を注文していた。キサラギも後に続き、その隣に腰を下ろして注文すると、今度は店主の不思議そうな顔を見ることになった。
「お客さん……」
「なに、親父さん?」
 にっこり笑って竜狩りたちが呼ぶように『親父さん』と呼びかけると、店主はセンに目をやった。センはそれに気付いているだろうに、意に介せず酒を飲んでいる。やがて、まあ、いいか、この美形の兄さんの連れのようだし、と思考が見えるように店主は肩をすくめた。
(私が連れじゃない、こいつが連れ!)
 すると視線が気になり始めた。少し顔を向けると一斉に頭が動く気配がする。むうと顔中に苛立ちを表現すると、おい、と小さく呼びかけた。が、答えない。むかっとして髪を掴もうとすると、するりと逃げるようにセンは顔を向けた。
「おい、髪くらい結べよ」
「何故」
「目立つんだよ」
 白いような銀のような髪、そして結んでいない長い髪は非常に目に留まる。もちろん、それだけが理由ではなかったが。
「ごめんだな」
「なら斬ってやろうか……」
 切るではなく、斬るつもりで笑いかければ、センもまたせせら笑う。
 酒が持ってこられる。かなり薄めに割られているようだ。見た目がどうしても娘だからだろうと多少むっとしつつ一口二口傾ける。この隣の男は美女よりも美形なのに男と分かるから不思議だ。
「お二人さん、旅人かい?」
 店主が戻ってきて声をかけた。ああと応じる。
「灰色竜と黒竜って最近どう?」
 微妙な顔をされる。何故か、センにも。隣になんだよと睨んでおく。
「なんだ、巨大竜を追ってるのか? 止めた方がいいぞ。最近セノオが討伐に乗り出したが、失敗に終わったからな」
 思わず苦笑が浮かんでしまう。
「あー……らしいね。黒竜は南に向かったっていうような話を聞いたような」
「黒竜はなあ、ここ最近の大物だから。つい前までは灰色竜だったんだが、とんと噂を聞かなくなったな」
 ぎくりと身体が強ばった。「へえ……」とかろうじて声を出したものの、真剣すぎて目が笑っていないのが自分でも分かる。
「灰色竜で一番新しいのは?」
 店主は奥の壁へ向かった。そこには様々な覚え書きが貼られており、今もまた新しい紙が針で止められていく。下の方に埋もれている褪せた紙を取り出した店主は、日付と場所を言った。
 場所は南南西リモウ地方。日付は、一年と四ヶ月前。
「一年四ヶ月……じゃあ……」
 センは一年ほど前、南方キズ山脈方角と言った。それならば、彼の情報が最も新しい。街の竜狩りですら手に入れられていない情報を、竜人のセンは持っていたことになる。さすがは竜というべきなのか。特殊能力でもあるのだろうか。
 ともかくこれで行き先は決まった。南方、キズ山脈周辺で何らかの手がかりを得られるかもしれない。
「……なあ、お嬢さん」
 馬鹿笑いの響く酒場に似つかわしくない、深刻そうな店主の声がかかった。
「竜を追うなんて止めておいた方がいい。お嬢さんはまだ若いじゃないか。あんたほど綺麗な人が竜を追うってのは深い事情があるんだろうが、竜狩りは一人で成せるもんじゃない。一人だけの憎悪では勝てないから、竜狩りは群れる。あんたはそんなものを抱いちゃならん」
 それに、と店主はどこか泣きそうな声で言った。
「それに、過去に囚われると未来の方向を見失うんだよ」
 小さな瞳の中に見えた気遣いに、キサラギは目を伏せた。
 閉じた目に見えたのは、雨だった。灰色の景色。浮かんだのは、笑いだった。
「親父さん、なかなか詩人だ」
「お嬢さん」
「最近の竜狩りってどうなの? マミヤ守護団の話、聞いてみたいな」
 それが答えだと知って、店主は少しだけ傷付いた顔をしてから肩を落とした。そして、奥の席にたむろしている三人の男を示した。
「守護団の次に力を持ってる組織の奴らだ。しっかりした奴らだから肴でも出せば何か教えてくれるだろう」
 キサラギは礼を言って、出してもらっていた炒り豆の類と、干し肉を更に注文して受け取ると席を立った。

 酔客の笑い声を縫って机に近付くと、とんと器を置いた。しんとした三人に、やあと人懐っこく笑う。
「ここ、いいかな」
 三人が視線を交わし、続いてこちらを窺う。キサラギもまた三人の関係を読み取ろうとする。
 こちらを見て眉を上げたごつい男が一人、困ったような顔をした小柄な青年は、奥の眼鏡の男を窺っている。席の配置的に、退路確保を終えている眼鏡の男が一番上、次がこちらを見ているごつい男で、小柄な青年は最後。
 座ってくれと言ったのはごつい男だ。遠慮なく椅子を引く。
「俺はゴウガ、眼鏡がケイ、こっちはロンだ」
「私はキサラギ。よろしく」
「君も竜狩りのようだが」
 如才なくキサラギを見ているのは眼鏡の男、ケイだ。
「まあね。親父さんに、マミヤ守護団の話を聞くならあなたたちって言われたからさ」
「守護団か? 止めておいた方がいいと思う。あんた、腕は知らないけど、組織に入るんなら今の守護団だけはだめだ」
 率先して喋り出したのはゴウガ。キサラギは少し気分を良くした。こちらを女と見ずに竜狩りとして見たのが気に入った。店内を行き来する女の子に酒を三杯頼んでから、切り出す。
「どういうこと? 教えてくれるかな」
 草原地帯にはいくつかの古都が存在する。マミヤもその一つで、古都の習わしとして街長を都ノ王と呼ぶ。その都ノ王が一つの組織を任命し守護者とするのが、守護団である。マミヤはマミヤ守護団。セノオは中規模であるが新興都市に類されるため、都ノ王と守護団は名乗れない。
 そのマミヤ守護団だが、守護団は古都の守りであって、街の主ではない。だがその行動が、次第に分を越えてきたのだという。
「商店から品物を略奪する、弱者からは金を奪って女子供にも容赦ない、竜狩りの仕事は下位組織に任せて報酬だけはねる、反抗した者はどこかに連れられて姿を見せなくなる。挙げ句の果てには市政に口を出してそういう行いを認めろっていう。都ノ王も狂ってる」
「都ノ王と守護団の入れ替えは出来ないの?」
「出来たらいいんだけどな。都ノ王は出てこない。出てきたら何をされるか分かってるって感じだな。守護団が塔の守りをしていて、簡単には近付けない」
「あなたたち、辛いね」
 ふと落ちた言葉に、三人は目を瞬かせた。
「大切な街なのに。何も出来ないのは辛い」
 それまで不満を口にしていたゴウガも、静かに視線を落とした。
「数年前はこんなんじゃなかったんだよ……今の守護団は、宝物を手に入れたらこうなったらしいんだ」
 男二人がロンを見た。ロンは慌てて口をつぐむ。キサラギは素早く切り込んだ。
「宝物、って?」
 しかし隠すほどのことでもなかったのか、あっさり答えてくれた。
「マミヤ守護団は任命制だ。今の組織が任命されたのは、都ノ王も無視できない『宝』を手に入れたから、っていう噂があるんだ」
「ああ、『竜の宝』ってやつか」
 竜は宝を隠しているというお伽話になぞらえているのだ。確かに竜は光物を好んで集めていることがある。しかしどれもがらくたばかりで、それで一攫千金を成したり目をつけられるようなものを見つけたりという話は聞いたことがないが。
 その時、黙っていたケイが腕組みを解いた。
「その『宝』だが、ここ一番の巨大竜の狩りで手に入れたそうだ」
 ぴんと背筋が伸びた。
 黒竜はまだ狩られていない。しばらく前で最も大物といえば、先程聞いたではないか、キサラギが追っているあの。
「それって、灰色竜じゃなかったか!?」
「確か、そうだ」
 胸に起こったのは大きな衝撃だった。衝撃は高鳴りとなり、指先にまで震えとなって走る。泣き出したいような叫びたいような、目眩にも似た喜び。
 やっと、やっと手がかりを見つけた。
「どうやったらその宝に近付ける」
 ゴウガが目を見張って乗り出したのを、ケイが抑えた。
「守護団でも『宝』を拝めるのは一握りだそうだ。あとは、都ノ王だな。どこか分からないところで厳重に守られているらしいが、近付くには守護団の中に入り込むしかない。
 宝がマミヤ守護団にあるのならそこに行けばいい。守護団がキサラギを中に取り込めば、近付く機会もあるだろう。だが街の守護者に任命される組織、竜狩りの質も高いはず。自分の腕がどれほどか大体分かっていることもあって、団員として潜り込むのは難しそうだった。
 拳を額に当てる。良い方法が思いつかなかった。だが考えることは出来る。ここまで待った、ならば時間をかけて確実に見つける。ようやく掴んだ灰色竜の痕跡を、見逃すつもりはなかった。
「ありがとう。これ食べて」
 つまみ類を押し付けて席を立つと、センもまた席を立ったので、そのまま店を出た。すると、呆れたため息が聞こえた。
「行くのか? 面倒なことに首を突っ込む奴だな、お前」
「灰色竜の宝だ。手に入れなきゃならない」
「お前の目的は灰色竜そのものじゃなかったのか?」
「そうだよ」
 灰色竜。追わなければならない竜は、何を残しているのかキサラギは知らなければならないのだ。
「でも、私は灰色竜の痕跡はすべて追う。嫌ならここで別れよう。私は構わない」
 センはじっとキサラギを見下ろす。キサラギも真正面から、その刃物のような銀の目を見返した。何故そこまで灰色竜に固執するのか疑問に思っていそうなのに、見定めるように冷静な目だ。いつものように面倒だとその顔面に書かれるところを想像する。そうして首が振られた。目を閉じ、ため息。
「仕方のない奴だ」
 キサラギは瞬きを繰り返し、まじまじとセンを見た。
 一瞬何を言われたのか分からなかった。想像した通り面倒すぎるとありありとした突き放されるような苛立ちの眼差しだが。
(……付き合ってくれるってこと?)
 センは向こうから近付いてくる、不逞の輩を目で斬り捨てている。非常に鬱陶しく感じているらしい冷たい目。だが、それはキサラギに向けるものとは暖かみが違う。強いていうのならば、キサラギの場合では――少しだけ柔らかい。
 どうやらいつもの、面倒だとか呆れたとかいう表情は、彼の持っている数少ない感情らしかった。不意に、そう腑に落ちた。そして、人離れた美貌でも、人間らしい感情をずっと浮かべていたのだと。
「断ると、思ってた」
 竜人にも感情があるんだ、と思ったのもつかの間。
「お前を預かった責任だ。あちこちから頼まれてな。だが餓鬼のお守りはこれで最後にしたいな」
 報酬をもらうんじゃなかったと一人ごちている。
「あ、預かった? それに餓鬼!? 報酬とか、私は物か! 私は竜狩りだぞ!」
「成人していないくせに何が言える」
 素早い切り返しに目を剥いた。成人の説明をしたのはつい先日。
 黙り込んだキサラギに、センは違うのかと問いかける。
「成人していない竜狩りは、自由に外に出られんのだろう。現に出発の時に妨害にあったしな。俺のおかげで外に出られたんだから、感謝してもらいたいところだ」
「……成人の証はもらった」
「証でも成人なら石ころでも成人だな」
 その不遜な言い方。傲慢。皮肉と嘲弄は、その美貌にふさわしいと言えばふさわしいが、しかし、しかし――。
 ぶちん、と荒縄が切れるような音。
 瞬間迸った叫びに、夜の街を行く者たちや、路地裏で寝転がる泥酔者、屋根の上の猫や、家々の住人が、一斉に何事かと身を乗り出した。
 すんなり伝統理解しやがって。この。
「この、竜人野郎――!!」

    



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