第1章 人   
    


 咆哮はキサラギの口からも迸った。
 だが地竜も怯みはせず、牙を剥き出して粘ついた唾液を垂らしながら頭を振るう。成人男性ほどの背丈がある地竜は、小竜、あるいは蜥蜴と一般的に呼ぶ生物が巨大化したものだ。二足歩行する身体は鱗で硬く、またその巨体に見合う重量がある一方で動きは素早い。そのためキサラギたちの持つような、特別な鉱石を打った剣でなければ息の根を止めにくい。
 キサラギは剣を両手で薙いで、まず一撃を喰らわせる。首元に入った傷に絶叫している地竜にもう一撃。仲間たちと比べ、力の劣るキサラギは一撃ではなかなか仕留めにくかった。今回は鱗の硬い地竜だ、水棲の水竜ならもっと簡単にいくのだが。
「キサラギ!」
「分かってる!」
 背後から地を蹴る音に振り向きざま剣を振るう。続いてさきほど仕留めた竜の死骸を足場に、突くように刃を繰り出した。そして血を浴びぬようすぐさま離れる。惜しげもなく貴重な剣を使い捨て、同じようにして置いていかれた剣を拾って次の竜に向かった。自身の身の安全、血に触れないようにすることが第一にある。それが出来なければ竜狩りとして認められない。
 斬り捨てた途端にそれまでにない咆哮がつんざく。竜のものだが、それにしても大きい。
「おうおう、出なすったぜ」
 仲間たちがざわめく。期待と興奮の色が見えるようだった。彼らの本能は戦いにあるためだ。
 竜は群れを作る。蟻や蜂と同じく、群れには長がいた。兵隊に始末をつけ巣からいぶり出して、長が巣から現れるのを待つ。今回はそれが早かった。
 目を光らせ現れた長の竜が翼を持っていないことにキサラギは安堵する。長には時折翼を持つ飛竜がいる。飛竜は地竜などに比べ物にならないほど巨大だ。その力も半端なく強く、仕留めるには念入りな作戦が必要になる。事前の調査でこの巣の長は地竜が更に巨大化したものだと分かっていたが、しかし実際確認するのとでは意識が変わる。決して油断してはならないが、不安が払拭され、力がみなぎってきた。
「突撃!」
 男たちの咆哮に、キサラギの高い声が混ざる。
 弓を射かけられ、矢につけられた縄が竜の身体を束縛する。多くは振り飛ばされてしまったが、一時だけ動きを止めることに成功したその間に、剣と槍を持った竜狩りたちが襲いかかる。地竜が吠え、地を蹴る。
 しかし次の瞬間、竿立ちになって絶叫する。背後から攻撃部隊が一斉に躍りかかったのだ。竜が怒り、尾を振り振り返るその直前に、竜狩りたちは飛び離れる者攻撃に転じる者に分かれ動き出している。そしてその中で飛び出せる素早さこそ、キサラギの最大の攻撃だった。
 すでに動き出したキサラギは死骸を踏み台に、鱗に覆われていても目に見える弱点、頭部へ剣を振りかぶる。
「あああっ!」
 頭部に剣が深く沈むのを感覚すると、その頭部を蹴って飛び離れる。着地して見上げた時、竜は傾いで倒れていくところだった。
 どおっ、と土埃が舞い上がり、若い歓声があがる。
「油断するな! 他の地竜を逃がすなよ!」
 部隊長からの叱責に身を竦ませた若者たちは、長の竜に近付きかけた足を止める。だが一部の者たちが、剣を手に竜の頭部へ近付いた。
「エンヤ、お前ら、勝手をするな!」
「分かってますって。だからとどめを刺しにきたんですよ!」
 振り向いて答えた瞬間、竜の目がぐるりと彼を捉える。
「エ、エンヤ!」
 弛緩していた人々の間で再び緊張が光のごとく走る。竜の頭が地を這う。ぎょっと硬直したエンヤの足下を狙い、そして。
「――!」
 剣に縫い止められ断末魔を上げ、今度こそ事切れた。
 どっと空気が緩まる。竜狩りたちは剣が飛んできた方向を見て、そちらから近付いてくるキサラギに、特に部隊長のハガミなどは呆れて肩をすくめた。
「剣を投げ飛ばすやつがあるか。それも俺のじゃないか」
「仕方ないだろ。ちょうど回収してて手元にあったんだし」
「だからってお前、自分の二倍ある剣を投げるか?」
「ちゃんと両手で投げたよ? いくら私でも片手では無理無理」
「そういう問題か?」
 キサラギは刺さった剣を両手で抜こうとするが、重さがあるためかなかなか抜けない。竜の頭に足を置き、ぐいぐいと少しずつ抜いていく。手の中に重みが全部収まる頃には汗をかいていた。そして、自分をずっと見ている目に気付く。
「ああ……大丈夫だった、エンヤ? 血、触ってない?」
 手を伸ばすと思い切り撥ね除けられる。憎々しいという目と一緒にだ。眉を寄せて、忠告する。
「あんまり勝手をしない方がいい。ここじゃ何が起こるか分からないんだから」
「うるさい、そんなこと分かってる!! 女のくせに命令するな!」
「分かってなさそうだから言ったんだって」と言ったもののエンヤはとうに聞いていない。肩を怒らせて歩いていく彼の後を追おうかこちらに礼を言うべきなのか悩んでいる、彼の友人たち別名金魚のフンたちに、さっさと行きなと手を振った。


 竜の死骸は集めてすべて燃やすことになっている。万が一血に触れるようなことがあってはならないためだ。火は汚れを浄化する。だがキサラギはそれを見ずに、一人、竜の巣穴のある岩山から下りて、帰り支度をしていた。見上げた上には高く空へのぼる赤い色と煙があり、生き物の焼ける嫌なにおいが漂って、息を吸うごとに喉に張り付いてくる。
「やだな。……ユキのところに行けない」
 そう呟いたものの、本当は、思い出すから嫌なのだ。あの赤い色も、黒い煙も、雲の色まで、過去に重ね合わせてしまう。
 だが近付いてくる音に意識を切り替えた。農業用と見える馬車が止まり、中年の男性と女性たちが数人やって来る。何故こんなところにと思ったが、ふと思い当たる。依頼人だ。
 思った通り、彼らは村の名を名乗り、キサラギに礼を言った。
「ありがとうございます。これで作物が荒らされたり、襲われたりする心配がありません」
「いいえ。お役に立てたのならよかったです」
 もう一度礼を言った後、間が空いた。不思議そうな人々の目に、キサラギは苦笑しつつも笑っておく。だが。
「ねえ、もしかしておねえちゃんが、竜狩りのおねえちゃん?」
 言わなかったことを真正面から尋ねる声に、驚いたのはキサラギではなく依頼人の村人たちだ。ぴょこんと馬車の荷台の影から顔を出した少年に一斉に目を剥く中、ただ一人怒りを表した女性は母親だろう。ずんずんと子どもに近付いて首根っこを掴むと、両頬を左右に引っ張った。
「この子は! 忍び込んだりして!」
「ねえおねえちゃん、そうなんでしょう?」
 ひりひりする赤い頬にめげず少年は尋ねてくる。キサラギはまた苦笑して、人々に聞こえるように言った。
「うん、そう。私は竜狩りだよ」
 大人たちの顔には意外と納得が半分ずつ。この装備を見れば、いくらキサラギの姿形が年頃の娘でも竜狩りだと分かる。
 手の先や足の先から全身を覆う、決して身体に傷を負わないようにする分厚い革や金属の装備と、腰に下げた剣。数少ない女の竜狩りがこの地方にいるというのは、恐らくそれなりに知られているのだろう。子どもでも分かるくらいに。
 子どもは目を輝かせて手を伸ばす。キサラギがすぐさま飛び退くのと子どもの母親が恐怖の声で制止するのが同時だった。青ざめた人々の中、手を宙に浮かべたその子だけがきょとんとしている。
 キサラギは首を振った。
「あのね、竜の血には触っちゃだめだって言われてるでしょ? 私は竜狩りだから、どこかに竜の血がついてるかもしれない。だから、触っちゃだめ」
「おねえちゃんの、手にも?」
 子どもは不安そうに、手袋を外していた手を見つめている。
「私にも」
『竜の血に触れてはならない』。それは古くから伝わるこの世界に生きる人々のための教えだ。そのため竜に関わる者として竜狩りは、一般の人々に最も忌まれる者たちに当たる。
 キサラギはふるりと首を振ると、営業用の笑顔を貼付けて言う。
「また何かありましたらセノオをお訪ね下さい。竜に関して気になることがあったら、いつでも」
「その竜なのですが」
 村人たちが顔を見合わせる。なにか、と先を促すと、頷いた男性が答えた。
「西の方に、黒い竜が飛んでいくのを見た者がいるのです。巨大竜だったと言っていました」
 黒竜、と目を見張った。黒竜は竜狩りたちが狙う、大物だ。またこちら側に飛んできたのか。
 太陽を隠す闇の色、翼は光を遮る巨大。知らない者がいない近頃の最大の獲物だ。未だ誰にも狩られていないため、キサラギはある疑いを抱いている。
「では、私たちはこれで」
 気付いた時には村人たちが踵を返している。
「待ってください! あの、灰色竜の話を聞いたことはありませんか?」
 思わず呼び止めて聞いていた。灰色竜? と彼らは思い出そうとして眉を寄せる。
「しばらく話を聞きませんね……」
 首を振ったのが答えだった。キサラギは肩から力が抜けていくのを感じる。安堵なのか落胆か、この感覚が長過ぎて分からない。
「そうですか……。ありがとうございました」
 できればまた街に来て担当の者に話をしてほしいということをお願いすると、村人たちは了承して、キサラギにもう一度礼を言って帰っていく。もう空は炎ではなく本物の太陽の赤に染まっている。岩山からも少しずつ人の声がするようになった。そろそろ日も落ちるし帰り時だろう。竜だけではなく獣も出る。
「おねえちゃん」
 去る大人たちの手をくぐり抜けた子どもが、キサラギに距離を置いた場所で呼びかけた。
「竜の血に触ると、どうなるの?」
 彼は真剣そのもので、不安に揺らいでいても、竜狩りから慎重に距離を置いていても、答えを聞かねばならないと知っている。強い目だ。きっと、大切なものを知っているのだろう。
「大丈夫。竜の血は、触ると病気になるだけだから」
 その答えは大雑把なものだ。触れると言っても、体内に取り込むようなことがなければ異変は起こらない。だが子どもには触れないようにという前提で話した方がいいと、世の中ではそう教えている。
 だが、でもね、とキサラギは囁いた。
「でもね、竜人の血には絶対に触ってはいけない」
「竜人……?」
「竜にも人にもなれる、竜。見分けはなかなかつかないし、見た人はそうはいないけど」
「どうなるの?」
 距離を置いたことに安堵している大人たちは、更にキサラギから遠い。そこからまたキサラギは声を落とす。秘密だよと囁いているように見えたかもしれない。年上の娘が年下の少年に嘘をついているようにも。けれど、これは、勇気ある少年のための真実。

 竜の血に触れてはならない。

「竜に、なるんだよ」

    



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