すみません、と苦しげにイサイは謝罪してきた。イサイという名を、センはセノオを訪れた時にそれだけ聞いていた。あの街を訪れた時に感じた気配は二つ。瞳だけ竜人となったユキという娘と、微弱な気配を残している誰か。
「すみません。あの子は、とても素直だから」
「謝罪される筋合いはないな」
 連れてきたのはこちらだ。暴くつもりで、自分はキサラギを伴ってイサイに会いにきた。筋としてはこちらこそ謝るべきだろうが、言うつもりはない。竜人でありながら竜人ではない偽竜人には、こちらの考えることが理解できないからだ。
 イサイは軽く肩を落とし、呟いた。
「この草原地帯において、中途半端な私は、この草原の人々の気持ちや、あなたのような本物の竜人の思いを真に理解することは出来ませんね……」
「俺は懺悔を聞きにきたわけじゃない。キサラギに考えさせるために来た」
 そして恐らく考えるだろう。疑問を抱き、答えを見つけにいくだろう。
 イサイは風貌に似合わぬ鋭い目を向ける。
「真の竜人であるあなたが、人間の少女を連れている……何故です。後に殺すつもりで歩いているようには見えない。何を求めているんです、あの、少女に」
「答えを」
 センは言った。
「問いかけられた答えと、一方的な願いのために。俺は、同じものを抱くキサラギの答えを知らなければならない」
 それこそがこの旅の目的。黒竜を狩ろうとする竜人が、姉だった灰色竜を狩ろうとする少女に会わなければならなかった理由だ。解へ至る式は彼女の手で少しずつ描かれ、センもまた自分自身で解答を書き始めている。
 センと。キサラギは、初めて名前を呼んだ。
「……あなたは、似ていると思っているんですね、自分とキサラギが」
 センは嘲り笑った。
「誰でもどこかしら似ているものだ。そうと見ればいくらでもそう見える」
 イサイはふっとため息をつくように笑う。それで、会談は終わる気配を見せた。だが。
「最後の一つ。先程言ったことを、キサラギに言いましたか?」
「言うわけなかろう」
 するとくつくつと喉を鳴らされる。
「ならやはりあなたたちはよく似ている。あの子は、肝心なことに限ってなかなか言わないんです」
 心当たりがありすぎた。一瞬むっとした後、鼻を鳴らして笑みを浮かべる。
「育て方を間違ったな。いい竜人もいると刷り込ませれば、楽だったろうに」
「あなたがですか?」
 顔をしかめた。イサイはしてやったりと笑い出す。これくらい当然ですよと。
 このまま踵を返すのは非常に癪だが、ここを出て行かなければキサラギを追いかけられないため、扉に手をかける。
 だが、最後の一言。
「ああ、本当にそうだな。簡単にいかなさすぎて――逆に燃えるな」
 ぎょっと飛び跳ねたのを見て満足し、笑いながら扉を閉める。追いすがるように何か声が聞こえたが、センは足を止めることなく歩き出した。キサラギのいるところは、すぐに分かる。あれは人の大勢いる場所より一人になれる場所を探すのだ。一人は、寂しいくせに。

   *

 思い切り叫んだ後はぜえはあと肩を上下させ、膝が折れて座り込み、堪えきれず寂しい子どもがするように膝を抱える。そうすれば恐ろしいものは過ぎ去ってくれると子どもなら信じていられた。だが、キサラギは到底思えなかった。いつか付けようと決めていた、成人の証の感触が懐にあったのだ。
 いつまでそうしていたのか。
「気が済んだか」
 声が聞こえたが振り返られなかった。ぎゅっと抱える手に力を込める。
「あんた、どうして」
「竜は狩ると言った。なら竜人はどうかと思っただけだ。どうする、あれを狩るのか?」
 胸がきりきり悲鳴を上げた。更にそこに、センは剣を突き立てる。
「竜は狩らねばならんのだろう?」
「私は……」
 センは非常に優秀な竜狩りで、もっと言えば人間にも容赦がなかった。泣きたいのに泣けない。泣けば、軽蔑されると分かっているから。
「私は、あの人に育てられたんだ……」
 厳しいことを、優しいこと、少しだけ怖いこと、とても綺麗なこと、風の匂い、みんな知っている。五歳から始まったキサラギにとって、最も近い大人だった。
 竜を狩る力を、あの人にもらった。竜人だと言ったあの人に。でも、あの人は人を襲うことはなかった。
「竜人って、なんだ」
 疑問を口にする。
「王国地方の人間は、竜人の血が流れてるって言ってた。人間の血を求めない竜人だって、……竜人は、人間を食べるんじゃなくて、血を、求めるのか?」
 もしそうだとすれば、それは何故だ。
「セン。この地方に、私の養父と同じ竜人はいるのか」
「さあな。だが南へ行けばいるかもしれん」
「あんたと同じ竜人は」
「いない」
 それだけは断言できると、はっきりと言った。だがキサラギは眉をひそめる。
「竜人はあんただけなわけ、ないよな?」
「そうだな。だが、竜人の郷にいるのは正しい竜人だ」
 竜人。人間の血を求めず襲わぬイサイのような竜人。センという人間を襲わぬ竜人。そして、竜人の郷にいるというセンの言う正しい竜人。この三つは少しずつ、違う。
 ではその違いは。竜人とはなんだ。センは考えるキサラギを向かい合い、待っている。だがキサラギは答えを出せない。持っていない。
「セン」
 立ち上がる。風が吹いた。空にまた雲を運ぶ。
「連れていってほしい。竜人の郷へ」
 雲の動く音が、引いて寄せる草波の音と響き合う。
「イサイのことはどうする」
 センの視線に耐えられずに目を閉じた。だが、思いは変わらない。
「……どうするかは、私が答えを出した時に考える」
 瞼がゆっくりと伏せられ、やがて大きなため息に震える。近付いてきたセンは、上着の前を開けると首から下げていた細い鎖を外す。突き出した手から揺れるその先を見ていると、更に手が突きつけられた。意図されていることに気付き、手を差し出すと、三角を組み合わせた飾りが中に落ちた。
「護符だ。気休めだが」
「……古風な護符だな」
 飾り部分は長い三角形を花のように重ねていた。真ん中の白い飾り玉は真珠だろうか。とても古そうだ。三角の護符が流行ったのは随分昔のはず。受け継がれてきたのなら家系を表す大切なものだ。
 だがセンは言及しなかった。
「竜は人を喰らう。竜人は人間を求める。人間だと気付かれないようにしろ」
「寝ながら夢は見ないからな。『私は人間です』なんて叫ばないよ」
 自虐気味に笑ったが、センは無表情だった。キサラギは段々声を小さくして、やがて黙って護符を首にかけた。キサラギが不安になるように、センもまた思うところがあるらしかった。
「行くぞ」
 そこに光が溢れる。
 閃光の後、センの黒衣は見当たらなくなった。あるのは白く輝く鱗の巨大竜。
「……うん?」
 まさか、これに乗れというのだろうか。
 キズ山脈までいくらかかってもいいと覚悟していたが、まさか竜狩りが竜の背中に乗ることまで考えが及ぶはずがない。呆然としているとぐるると唸り声がした。突っ立ってるな馬鹿者と言ったのが分かる。
「わ、分かってる!」
 そろそろと背中によじ登る。掴む場所がないので白いたてがみを掴むと、ふっと足下で風が舞った。
 翼がはためき、大きく飛び立つ。風をいっぱいに浴びていると、ぐんと背中がしなり、空の中へと連れていかれる。竜狩りが竜に乗ることも信じられないが、竜狩りを乗せた竜もまた異例のはずだった。
 答えのある空へ、竜は羽ばたいていく。

    



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