第7章 解   
    


 砂時計の形をした大陸の最も細い部分に当たるのがキズ山脈。北側も南側も森で囲まれ、山脈部分は緑を失った険しい岩場となっているそうだった。草原と王国は、陸路では移動されず、海路によって行き来がされている。キズ山脈が竜の住処であるためだ。竜の地を越えようとするなど正気の沙汰ではないと、この辺りの地図は確認されていない、未開の地である。
 キズ山脈に飛来した白竜は、やがて地上に舞い降りる。ほとんど機械的に背中を滑り降りたキサラギは、立っていられずに手をついた。
「こ……、高かった……」
 ある言葉を呑み込みそうとそれだけ口にすると、側で光が飛び、人間形のセンが現れる。
「だらしがない」
「なんだって!? あんな高いところ怖」
 ごくんと言葉を呑み込んだ。言えば馬鹿にされるからだ。だから黙って顔を背けると、辺りの様子を確かめた。
 ごろごろ岩が転がり、緑の気配は薄い。強く根を張る木も、石の粒の大地も乾いている。祝福されない土地なのだろうが、ほとんど呆然としていた空の上でも緑部が見えていたように思う。
「あっち? 緑が見えてたような……」
「そうだ。行くぞ」
 センに案内を任せ、足場の悪い道を踏み始めた。
 生き物の声が聞こえない。強い風の音と、転がる石の音だけで、非常に物寂しい土地だ。他の動物たちも知っているのだろう、この辺りは自分たちにとって喜ばしい場所ではないと。
 キサラギは竜の棲む土地に住んできたし、訓練も受けて各地で実戦も積んできたが、しかし人の手の入っていない土地というのはこんなにも険しくて苦しいものなのかと、今も岩を踏んでよろけながら考える。
 センはその気になれば何にもつまずかずに走ることができるのだろう。そういえば、最初に会った時も、ノグ山の岩場を飛ぶように走っていたような。しかし今は歩調をキサラギに合わせ、先に行って待っている。
 段々と辛くなってきて膝に手をおいて息を吐いていると、見下ろされる。
「抱き上げていってやろうか」
「ばっ……!」
 思わず叫びかけると、明らかにからかっているのが分かる顔にでくわす。かーっと頬が熱くなった。いつの間にこんなに人間臭くなりやがった。
「子ども扱いすんな、馬鹿!」
 さてどうかなといった様子でセンは唇の端に笑みを刻む。それを追い越して怒る足で岩場を越えた。直後、ごっと風が音を立てて吹き抜けていった。
「う、わ……」
 センが腕を掴みながら言った。
「あれが竜人の郷だ」
 下に広がるのは、地中をくりぬいたような巨大な穴だった。穴は層になっていて、見える場所に人工的な真四角の穴がいくつか見える。かなり深いところまでありそうで、望もうとすると吸い込まれそうな気がした。周囲を木々に囲まれ、まるで枝葉が穴を縁取っている。向こうには森の中を貫いているらしい川があるから、あそこが水源なのだろう。
「おい」
 呼びかけれたと思って振り向く、その前に身体が浮いた。
「えっ、ええ!? な、なに!?」
 横抱きにされたキサラギは思わず足をばたつかせる。
「じっとしてろ。暴れて落ちても知らんからな」
 そう言うとセンは岩場を飛び降りた。キサラギは悲鳴を上げることができず、落下しながら思ったのは、こいつは私の歩調にだいぶと苛立っていたのだなということだった。

 跳躍、上昇、飛翔、落下と、セノオを出てから空を行くことすべてを体験したキサラギは、地面に降ろされても自分に起こったことが信じられなかった。普通、人を抱いて落下するだろうか。
(足折れるって普通……)
 荷物とキサラギを軽々と抱き上げたセンは、地面に降り立っても二本の足で立って何ともない顔だ。それが日常という当然さを感じる。彼は一体どういう生活を送ってきたのだ。
 降り立ったのはさきほど望んだ穴の中、最下層に当たる部分だ。思ったより深いものではなかった。光が十分に当たって広場のようになっている。下から見上げてみるとやはり層があり、今数えられた五つのすべてに、四角い切り取りが見えた。そしてそれはここから見ると、人の手の入った家の窓だと分かるのだった。
「セン? セン、戻ってきたのか!」
 声がして振り向くと、すらりとした年若い男性が現れた。その声を聞きつけて一斉に声が上がり反響するのが聞こえるが、何を言っているのか聞き取りは難しい。しばらくして人が集まり始め、センとキサラギを取り囲む。
「セン、ランカは狩れたのか? ランカはどうなった?」
 見知らぬ名前が叫ばれる。
(ランカ……)
 その時閃いたのは天啓としか言いようがない。それは、センが竜狩りとなった理由なのだと。
(……黒竜の、こと?)
 ランカはどう考えても人の名前だ。竜人が竜人を狩ると考えるよりも、キサラギが真っ先に思いついたのは、そのランカという人物が元は人間ではないかということだった。
 黒竜を追うのは贖罪だと、センは言った。
 もし彼が、自らの血で、人間を竜にしてしまったのなら。
 キサラギは何を誓っただろうか。
「……その娘さんは?」
 自分に話題が及んだことで顔を上げた。不思議そうな顔がいくつも、だが皆一様に探るように目を細めるのは、どこか同じ生き物を感じさせた。
「……竜人、か?」
「そうかセン、お前、竜人の花嫁を見つけてきたのか!」
 花嫁なる単語に硬直したキサラギを放って周囲が沸く。
「そうだよ、それがいい! お前も悟りに入ったか!」
 あまりに喜ばしい声に圧倒され、逃げ出したくなったが引き止められる。背中を支えている手があった。見上げた彼の顔は冷静で、真実を口にしない少しの沈黙の気配がある。聞かれても、答えるつもりはないのだ。
「人になる夢は捨てた方がやっぱりずっといいよ。竜人種は竜人種として生きればいい」
「ミサトはどこに?」
 遮るようにセンが問いかけた。
 キサラギはその前の会話を記憶に留めていた。何故かそうしなければならないと思って。
「ここよ」
 ふっと響いたその声には、妖艶と老成の気配があった。あまりにも強く響いたために、キサラギは自然ぐっと力を込めてそちらを見る。
 立っていたのは、美しく輝く女性だった。年齢を不詳にさせる美貌、腰まであるのに滑らかに波打つ赤い髪、金をはめ込んだような明るい色の瞳。肉感的な身体は、この場には非常にそぐわない、王国地方のものと思われる、派手で腕や足を見せる衣装を着ていた。
「お帰り、セン。私の小さな竜」
 そう言って女性はさらさらと近付き、彼の首に腕を回した。顔まで近付け、息が吹きかかるくらいの距離。キサラギは悲鳴を呑み込む。周囲が当然のこととして受け入れているので。
「私の小さな子は竜を狩れたのかしら」
「……いいや」
 落胆の声が周りで洩れる。
「いや、ランカは惜しかったよ。しばらくは竜人だったんだから」
「何が悪かったんだろうねえ」
「しかしそこまでセンが責任を持つことないのに」
「竜人になりきれない失竜人はね、仕方がない。資格がなかったんだと思わなくちゃ」
 その点、とキサラギは再び視線を集めた。
「このお嬢さんは正竜人らしい。お嬢さん、お名前は?」
「き、キサラギです」
 失竜人、正竜人という単語の意味を考えていたため、妙な間の返答になってしまった気がしたが、彼らの気にするところではなかったらしい。笑顔でようこそと言われてしまった。
「ようこそ、竜人の郷へ。家の用意をしよう。君は今日から我々の仲間だ」
「待て」
 手が伸びてきたのをセンが制止する。
「彼女はここには住まない」
「どうして?」
 不満の声があちこちから聞こえた。
「俺が連れていく。今日立ち寄ったのは情報が欲しいからだ。灰色竜の話が聞きたい」
「灰色竜?」
 驚きの声が上がり、今度の視線は、ひどくキサラギをいたわるものだった。
「キサラギさん、あんたもセンと同じく竜狩りをするつもりなのか」
 恐る恐る頷く。因果だなと誰かが呟き、そして声がした。竜人の竜狩り二人がつがうのか。
 同族狩りは忌まれる。人間にも言えることだ。だが聞こえたはずなのに反応しなかった竜狩りの竜人は、キサラギの腕を掴むと歩き出した。
「家はそのままか?」
「え、ああ、うん、掃除しなきゃ寝れないよ」
「分かった」
 まるで逃がされるように腕を強く引かれながら、散り始めた竜人たちを振り返ったキサラギは、ただ一人、艶やかに笑う赤い女性の視線を受けた。生温く、嘲って、獲物を狙う甘ったるい目。唇が何事かを囁く。だが、聞き取れなかった。

    



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