『分かって』。
 ユキの見せた透明な笑み。キサラギを見て、ああ無事でよかったと満ち足りた安らかな微笑み。そしてささやかに願うこと。理解と、聞いた者に向けた祈り。
 未来を生きてくれますようにと。

 ユキはすでに連れ去られ、門は閉じ始めて軋んでいる。
「……だ……」
 ユキの姿は見えない。キサラギに、なのに、強さとしなやかさ、思い出の人と同じ姿を焼き付けて。
「い……だ……」
 これが正しいか分からない。でも、今初めて、手に入れた。
 答えらしきものを。あの問いかけの解を。
「嫌だ、ユキ!」
 分かった。
 走り出す。キサラギを囲んでいた者たちが阻もうと手を伸ばし、門番たちがキサラギを守ろうと門の内側に押しとどめようとして。
「……ぅおおおおおっ!!」
 その狭間にとてつもない重量のものが落ちてきた。そして、風。
 振り向けば、ハガミが大剣を振り回す。それでも鞘に収まったまま。刃は消して抜けないよう、鎖でがんじがらめにしてあった。
「お前ら、行かせてやれ!」
 にかりと笑われれば、門番たちは慌てて進路を開ける。
 風が吹き、キサラギの髪を撫でるようにした。イサイは半分だけ振り向いて、いつもの穏やかな微笑みで頷いた。あの時、逃げたのに、今そうして笑ってくれる。
 それだけではなかった。あちこちの屋根の上や、街中から声が上がった。
「決して剣を抜かないよう! 私たちは人と戦うのではないのだから!」
 応じる声。そしてそれは、すべての味方の声となって背中を押してくれた。
「行け!」
 次の瞬間、翼を与えられたように閉まりかかった門へと駆ける。風が吹いて後を押すのに気付き、走りながら叫んだ。
「父さん!」
 弾かれたようにイサイは振り向いた。その驚きに目を見張る顔が楽しくて、嬉しくて、手を挙げた。思い出したのは、自分が笑えば、この父は己のことのように、養い子だけのために笑ってくれたこと。
「あとで、全部聞かせて!」
 そう、後なら全部聞ける。少しずつ聞けるのだ。未来があるから。ユキが守ろうとしてくれた自分がいるのなら。だから、願った。

   *

「よかったですね、『父さん』?」
「うるさい。あとで覚悟しておきなさい」
 鞘に収まったままの剣を手に、一振り。セノオの中でも突出して名が知られる竜狩り二人の構えに、剣など持ったことのない役人も、護衛ばかりに身を守らせている街長も、彼らに味方する竜狩りたちも怯んで後じさる
 養い子は大人になる。その胸に未来への誓いを持って。
 イサイは一言、誓いを立てる。
「娘の邪魔は、させません」

   *

 剣を取り、走る。走れ、走れ走れと忙しない呼吸が自分を叱咤する。なくしてはならないもののために、走れ。薄暗い世界にユキの姿を見出し、キサラギは声を上げた。
「うああああっ!」
 そうしたのは剣筋から避けさせるためだ。思った通り、竜狩りとして訓練されてきた彼らは気配を察知してキサラギの剣を避ける。鞘に収まったままその剣を横薙ぎにして周囲を開くと、ユキに手を伸ばした。
「ユキ、帰ろう!」
「娘が出た! 捕らえろ!」
 前方で声が上がる。ユキの受け渡しに来ていたらしい騎馬が三騎疾駆してくるのが見えた。
 セノオの竜狩りたちは戸惑ったように二人を見て、襲撃にどう対応するべきか視線をさまよわせている。彼らもまた、何が正しいのか分からない。
 ならば、指し示す。
「行け!」
 キサラギの一声で彼らは目を覚ます。
「セノオを守れ! 竜狩りが人狩りになるな!」
 彼らの背筋がみるみる伸びる。キサラギは威勢よく微笑んで頷くと、ユキの手を一度握り、離した。だがユキが再び手を絡める。
「キサラギ、やだ、一緒に……!」
「ユキ」
 気持ちは今、穏やかだった。ユキにもそれが伝わっているはずだ。目を合わせて、笑う。今久しぶりに彼女の目を見た。綺麗な金色の竜の瞳。素直に美しいと今なら言える。誓うにふさわしい光。
「あとで、また」
 鞘を払った剣を握って、馬車に繋いでいた馬の、手綱を斬るとその背に飛び乗った。さっと手綱を結んでしまうと、腹を蹴って走り出す。追いすがるユキの声は強く強くこちらを呼ぶものだったが、振り向かずに、前へ。
「キサラギ――!」
 蛇行しつつ相手を引きつける。ユキたちが十分に逃げられるよう、泡を吹かせる勢いで何度も手綱を振るい駆けさせる。相手は三方向から追い詰める策に出た。展開する三つの騎の音や風を感じながら、薄く笑った。
「人狩りのキサラギって呼ばれたりしてね」
 どうやらこのままでは竜狩りが人狩りになってしまうらしかった。大変不名誉なことだと皮肉と苦笑を浮かべる。だが恐ろしくはない、澄んだ気持ちがあった。少し止めるくらいに怪我をしてもらおうと思う。
 もし何かあっても大丈夫だ。
(分かってくれるよね、ユキなら)
 得た答えを、ユキも持っている。だからきっと、センに伝えてくれるだろう。
 疾駆する駒は四つ。左右と後方から、少しずつ疲れ始めたキサラギの駒に接近する。薄闇の中で光る刃が迫り、キサラギもまた、手綱を片手で支えながら剣を構える。左の騎馬は剣を閃かせ、右の騎馬は槍を。
 自分の装備が少しだけ足りないのを惜しく思う。いつも身につけているはずの手袋は置いてきたままにしてしまった。竜狩り用の重装備だったら、もう少し傷を負わずに済んだだろうに。穴を空けられまくって連れていかれるのは勘弁願いたいが。
 考えたのは刹那。素手は痺れて剣と解け合っていく。手首を振り、一度刃を翻す。呟く、魂の名。
(私は――竜狩りだ!)
 振るわれる槍を弾き返し、馬足は急に大きく右側に蛇行する。左側の獲物は剣だったためだ。右側の槍の懐に入れば、動きは多少制限されるはず。
 左手が懐を探り、素早く掴み出したものを槍兵に投げつける。投擲は成功し、相手が怯んだために馬の勢いが少々削げた。
 入れ替わって右側に並ぼうとする背後だった駒の獲物も剣で、キサラギは舌打ちして思考を巡らせる。
 竜狩りは、数人を組織して動くことが多い。馬は相手によって怯むことがあるため、騎乗しての竜狩りは行われることが少ない。守護団のように、竜狩りと共に人民の守護を目的とする軍でなければ、騎兵としての訓練に慣れたものはいないだろう。キサラギも、あまり得意とは言えない。
 馬を捨て、白兵戦に持ち込みたいところだったが、大人の男であり騎兵を相手にするのは、どう考えても分が悪すぎた。
 どうする、と焦燥で真っ白になりそうになったことに、更に焦りが生まれる。次第に自分を追い詰めていくのが分かり、せめて相手のただ中に飛び込まないようにするのと、セノオから遠ざけようするのに精一杯になっていく。汗が浮かび、手綱を握りしめた手が滑り落ちていきそうに錯覚する。
 誰か。無意識に唱えていた。剣を弾き返し、切り詰めながら。今まで、こんなに誰かの助けを望んだことなどないのに。だってあの男が、いつでも助けてくれたから。
 その時閃光のように走ったものがある。ミヤ祭りの際のことが浮かんだ。自分を落ち着かせた、魔法の言葉。
 あの男ならどうするだろうか。あの男ならどんな顔をするだろうか。どんな言葉を投げつけ、どんな嫌味を言うだろう。そして、最後に助けてくれるかもしれない。
 黒竜の時、キサラギは諦めた。
 でも、今は答えを手に入れたのだ。だから、伝えなければならない。長く長く待っていてくれた、あの男のために。唱えた、その名前。
(――)
 その剣に、光が降った。

    



>>  HOME  <<