翌朝本部に顔を出すと、ハガミから「ばばあどもが呼んでたぞ」と言われた。奥さんにババアはないだろうと注意すると、彼はからから笑って、あんなのばばあでいいんだよと恐ろしいことを言っていた。女たちの目と耳はどこにあるか分からないから、多分、今日の彼の昼食は抜きだろう。
 指定されたのは何故か衣料品店で、不思議に思いながら店を覗く。だがきらびやかなものが目に入った瞬間、嫌な予感がして手は勝手に扉を閉めていた。だが、扉が向こうから開かれて手がにゅっと伸びてきた。
「げっ」
「げっ、はないでしょう、キサラギちゃん?」
 この店の店主でハガミの妻であるヨウコは、にっこり笑ってキサラギの両頬を押さえつける。
「分かりました、ごめんなさい!」
「分かればよろしい」
 解放されてすぐに頬を揉みほぐす。口の中に歯形がついていそうだ。
「呼んでるって聞いた。なに?」
 にやりとヨウコは笑ってキサラギを手招く。誘われるまま行くと、先程のきらめきがいくつかの手でキサラギの真正面に広げられた。
「じゃーん!」
 星をまぶしたような粒子が光る白い衣に、五枚花弁の朱色花が大中小と様々な大きさで散っている。側に掛けてある打衣は同じ鮮やかな赤だ。近くの棚には冠まで揃っている。
 戸惑って、ヨウコと、いつの間にか集まっている女たちを見た。
「これ」
「成人の衣装。あんたには母親がいないから、勝手だけど揃えさせてもらったわ」
 言われても、キサラギはまごつくことしかできない。成人なんて、さっと証をもらってそれで終わりのはずだ。
「お、女物じゃないの、これ」
「あんたの性別は何だって言うのよ」
 顔が熱い。みるみる口が動かなくなる。
「お、男物じゃだめなの? 私、竜狩りなんだよ?」
「一生に一度の晴れ姿なんだからイサイさんのためにも着なさい」
「やだよ、絶対似合わない!」
「着てみりゃ分かる!」
「そうよ、ほら、当ててみなさい」
 衣装を押し付けられ、姿見の前まで引きずってこられる。周囲には女性たちの顔が興味津々、見てごらんなさいと自信に溢れた表情が覗いている。
「いい色。キサラギには白と赤が似合うわね」
 確かに衣装は美しかった。動かすときらきら光が散るようだし、朱色もキサラギが着るようなくすんだ赤ではない。小さな花には目立つよう小さな珊瑚の玉が縫い付けられている。
 だが自分を見るとどうもそぐわない。髪は短いし、顎は尖って、声変わりする頃の少年のようだ。白い布を持つ手は節くれ立って固いのが分かり、そっと指を隠した。期待を持った顔をいくつも目の当たりにして、キサラギは弱々しく微笑んだ。満足げな笑みが返ってくる。
「これでいい人がいたらねえ」
「エンヤとかどう?」
「エンヤぁ?」
 ぎょっとする。
「何言ってんの、あいつ私の成人に文句つけたんだよ」
 まさか目の敵にされている相手の名が出るとは思わなかった。向こうもいい迷惑だろう。
 だが女性たちはどこ吹く風だ。
「ああ、聞いた聞いた。あの子は昔っからああだもんねえ。ありゃ父親が悪い」
「キサラギはしっかりしてるから、文句もつけたくなるって。それって好きな子いじめ……あら」
 風がふっと吹き込んだ、と思えば、声がした。
「こんにちは」
 涼しい風をまとって養父が現れた。いつでもさらっと現れる人だなとキサラギは思う。竜狩りの装備だが鎧をしていない簡略衣、引き締まった身体が目に見えて、夫のいる女たちはほうっと息をついてうっとりしている。いいのだろうか。
「キサラギ、良いものを持っていますね。……これは、皆さんが?」
「そうです!」「あたしが!」「いいや私が!」「何言ってんの私でしょ!?」と先程まで和やかだった場が一気に修羅場と化す。出来れば衣装に気を使ってほしいと、そっと遠ざかっておく。
 ぎゃあぎゃあとかしましい女性陣を横目に見ながら、言った。
「……で、長。私に用ですか?」
「ええ。成人の件です」
 キサラギは渋面になる。
「その話はもういいです」
「よくありません。あなたの未来に関わります」
 この人の優しい声がキサラギは苦手だ。どんな時でも有無を言わさぬ強さを持っている。昔からの刷り込みみたいなものだろう。
 将来と、この人は言う。だが竜狩りのキサラギに将来などあるのだろうか。目的はある。だがそれは竜狩りとしてしか成し得ない。美しい衣装をまとって成人を迎えても、キサラギは竜狩りでしかないのだ。
 すると、頭に手が置かれた。そっと、子どもにするように撫でていく。
「未来という言葉が指すものを狭めてはいけません。私が言っているのは、近い未来を示す将来ではなく、ずっと遠く長いさきのことです」
 ――灰色竜を追う。
 キサラギの目的。そのために力を求め、養父を師と仰いだ。吐くほどの訓練は、心から流れる血に比べればなんともない。やっと十七歳。十二年の訓練で、ようやく成人の話が出たのだ。そのさきと言われても、思い浮かぶことなんてこれっぽっちもない。
 だからそんなことを言われても分からなかった。拒みもせず、笑うこともせず、ただされるがままの養い子をどう思ったのだろう、イサイは手を離し、静かに頭上から見つめている。
「キサラギ第三部隊副隊長」
 声の改まりに、反射的に背筋が伸びた。
「守護神ヒトトセの名の下、竜狩り長イサイの名において、第一から第五部隊に、黒竜討伐を命じます」
 それは、竜狩りの長としての命令の言葉。
 キサラギは竜狩りの習いとして踵を揃えて直立し、帯の剣を立てた。
「つつしんで拝命致します」
 何故かイサイはひどく傷付いたような微笑を浮かべた。内心で首を傾げると、彼はキサラギの目から逃れるように視線を逸らし、女性たちに暇を告げると、風をまとって去っていった。
 そして、いつの間にかそこここで小さな風がため息として生まれる。
「ああ、イサイさんはやっぱりいい男! うちの旦那と取り替えられないかしら」
 ねえ、と修羅場が今度はうっとりする乙女たちの会になる。
 仕方がないなあと思いながらキサラギも衣装の礼を取りあえず言って立ち去ろうとすると。
「ああ、キサラギ、うちの旦那に今日あんたの昼飯ないから顔見せたら殴るって言っておいて」
 という声がかかったので自分が怒られたかのように背中を丸めて退散した。
(巨大竜討伐、か)
 大仕事だ。成人という大きな節目に嵌まるような。
 外に出た途端強い風が吹いて、思わず目を閉じた。開いた視界いっぱいに映るすべてが、なんだか騒いでいるような気がする。何かが始まりそうだと思うのは、空を行く雲が白い竜のように見えたからかもしれなかった。

    



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