打ち返しが、四度、五度と続く。王太子の騎士に名を連ねているのは伊達ではないということだ。キサラギは冷静にルオーグを観察していた。確かに、他の四人とは違って、もともと素地があるのだろう。目もいいようだし、反応も早い。よく返してくる。
 だが、それだけだ。
「王太子の騎士には、戦闘用と観賞用とがあって」とブレイドは話し始めた。
「姫様もご存じかと思いますが、騎士を排出する家系というものがあります。我がランザー家もそうです。ただ、この家系が真実、騎士として物になるかというと、そうではない場合が多い。親類縁者が家名のおかげで騎士に取り立てられ、どこかの貴族の禄を食むおかげで裕福ですが、過去の栄光や家名に縛り付けられて、名ばかりになっていることの方が多い」
「ルオーグもそうだというのね」
「血縁者に騎士が多ければ、それだけ縁故も多く、顔も広いということです。それを当てにして、オーギュスト殿下は騎士を選んでおられます。幸い、王子殿下なので騎士を養うことをに躊躇しなくていい。殿下は、彼らを騎士ではなく、騎士として飾り立てている家名や縁故のために選びました。だから観賞用なんです」
 ルオーグたちはそれを見目麗しいからという解釈で誤魔化していたようだが、実践に出されないことからも明らかだ。キサラギにはその事情が分からなかった。
 騎士に選ばれながら、戦わせてもらえない。剣を与えられながら鞘に収めたまま。
 その屈辱を。
「どうして、お前なんだ」
 ルオーグが呻きを吐き出した。
「何故お前が騎士なんだ」
 重なった剣が、鈍い音を立てた。
(えっ!?)
 異変を感じてキサラギは飛び離れる。だが、ルオーグは気付いていない。肩で息をして、キサラギを睨んでいる。
「ルオーグ」
「奴隷のくせに。異邦人のくせに! どうしてお前は、そんなに強いんだ!?」
「ルオーグ、聞いて。剣を見て!」
 キサラギの言葉に、ルオーグは静止した。驚いた様子でおずおずと自らの剣を見る。
 木剣だった。そのはずだった。
 けれど、その木の表面が削れ、鈍い白が顔を覗かせている。キサラギは剣に爪を立て、まっすぐに引き下ろした。ずるっ、と皮がむけるようにして、表面が剥がれる。
 現れたのは、剥き身の白刃。
 どうしてこんなものが。こんな細工が。こんなことをするのは。
(オーギュスト!)
 キサラギの嫌悪を受け、薄い笑みをはいた王子は、観客席から立ち上がると、豊かに響く声で宣言した。
「この第五回戦の勝敗を、エルザリートの騎士の選出に変更する」
 観客がざわめいた。
「現在エルザリートの騎士であるキサラギが敗北すれば、騎士の資格を剥奪し、ルオーグに資格を与えるものとする」
 キサラギは、その場にいる人々の表情をさっと確認した。誰がどこまで知っていたのか。
 青ざめているエルザリートは、知らなかったのだろう。だが隣にいるブレイドは違う。彼はオーギュストと共謀して、ずっと観戦していたのだった。残りは何人か、騎士として腕の立ちそうな男たちが、笑みを隠しながらキサラギの反応を見ている。
(殺しあえと言っている)
 刀身が露わになった剣が意味するところは、それだ。キサラギが提示した条件がぬるいと、オーギュストとブレイドはキサラギに人を手にかけさせようと画策したのだ。
「……どうする、ルオーグ。ここで終わりにするか」
 青年はぶるぶると震えていた。ルオーグ、と不審に思って呼びかけると、彼は木剣の皮を剥ぎ、むき出した剣をキサラギに向けて構えた。
 その目に、覚悟を見た。
 キサラギは嫌悪に目を細めた。それは覚悟じゃない。使い捨てにされる覚悟なんて持つべきじゃない。剣は、生きるための手段だ。守るための術だ。
 こんな風に、殺すか殺されるかで、物事を決めるためのものじゃない。
 ルオーグが来た。攻撃は、二段、三段と続いた。先ほどとは比べものにならない動きになっている。観客からは感心したような声が上がった。キサラギ自身の迷いが、受け方に現れてしまっているから、押されているように見えるのだ。
 呼吸を意識する。ここで、オーギュストたちの思い通りにさせるわけにはいかない。
(勝てばいい。勝てば、私が、正義だ)
 嫌悪するそのやり方を用いれば、キサラギが正当性を主張できる。
 その矛盾に、吐き気がする。
 がん、と剣が鈍く響く。
 キサラギは剣を軸に身体を回転させて蹴りを見舞った。蹴りと同時に、剣がくるりと反転し、剣の腹が体勢を崩したルオーグの首に当たる。ルオーグは、どっと倒れた。
 だが、それで終わらなかった。唸り声を上げると、剣を振り捨てて飛びかかってきたのだ。もみ合った二人は、そのまま地面に転がる。ルオーグの拳がキサラギの頬に入った。エルザリートが悲鳴をあげた。
 だが、キサラギも殴られっぱなしにはならない。相手の襟首を掴むと、思いきり引き寄せ、勢いよく額をぶつけた。がつんという音がして、ルオーグが力をなくす。
 それを引き剥がして、キサラギは起き上がった。頭突きを食らったルオーグは、目を回していた。
「こんな、……こんな」
 勝敗は決した。額を押さえて唸るルオーグには、もう剣を取って戦う力は残っていない。
 イルダスを見るが、彼は動かなかった。肩をすくめてにやにやしている。どうあっても、明らかな決着をつけさせたいらしい。
「ルオーグ。降参して。私はあなたを殺したくない」
「何を、甘っちょろいことを……! お前の勝ちだ、俺を殺せよ! お前にはその権利がある……」
「権利? あなたを殺せる? ……そんなの、何の役にも立たない」
 ルオーグは屈辱に顔を赤く染める。キサラギは首を振った。
「違うよ、ルオーグ。人殺しなんて誰にでもできる。でも殺さないことは、誰にもできることじゃない」
 そして生かすことは、守ることは、それよりももっと難しい。
「降参って言いな。負けることは恥でも死でもない。生きることを止めたときこそが本当の敗北なんだよ。あなたは死にたいの? 死にたくないのなら、死ななければならない状況に、負けてはいけない」
 ルオーグは、真っ青な顔でぶるぶる震え、次第に顔色がどす黒くなってきた。拳を握り、地面に叩きつけ、うめき声を漏らす。早くやれ、と飛ぶ野次を、キサラギは睨んだ。
「戦ってもいない奴は引っ込んでろ」
 にやついた歓声と口笛が響く。どうする、とキサラギは尋ねた。
 ルオーグは、がくりと肩を落とした。
「……お前に従う」
「じゃあ、生きて。それで時々は、私に剣を教えて欲しい。こっちの剣術は、やっぱり違うね。あんたは型が綺麗だし、踊りみたいだ」
 にかりと笑ってキサラギは言ったが、ルオーグは怯えたように観客席を仰いだ。
 立ち上がったオーギュストが、麗しい微笑みでキサラギを見下ろす。背後に己の第一騎士を引き連れて、席を降り、ゆっくりと演習場にやってくる。ルオーグははっきりと分かるほどに震え、顔を上げられなくなっていた。キサラギは、そんな彼の前に立ち、オーギュストを迎えた。
「君が勝者だ。よくやった。ひとまずは、君にエルザを預けることとしよう」
 呼ばれたエルザリートが夢から覚めたように立ち上がり、慌てて演習場に降りてくる。
「だが、君はこの国の闘技の決まりを知らないようだ。――ブレイド」
「お兄様――!」
 ブレイドは、剣を抜く直前までまったく動かなかった。だから速すぎて、キサラギにはとても追いつけなかった。右手には細工はされていても真剣があり、もっとも距離が近く、動けたはずなのに、キサラギがようやく反応できたのは、背中にぱっと燃えるように熱い血糊を浴びたときだった。
 振り返ると、ルオーグが血だまりの中に伏していた。
「残りの者には後日処分を申し伝える。以上で闘技を終了する。……私が宣言するものではなかったかな、イルダス」
「いーえ。お望みのままに、殿下」
 観客がぞろぞろと解散を始める。オーギュストとブレイドはそのまま立ち去り、イルダスがやってきて「すっげーな、心臓一突き」と検分している。青ざめたエルザリートの手の冷たさが頬に感じられて、キサラギはのろのろと顔を上げた。エルザリートはそのまま何も言わず、キサラギを抱き寄せた。
 キサラギは目を閉じた。
 何も言えなかった。言う資格がないと思った。
 心臓が、後悔を咆哮していた。
(守れなかった。守ってあげられなかった――!)



「有意義な時間だった」とオーギュストが呟いた。そうですね、とブレイドは同意した。どちらも城に向かう道すがら、とりとめなく先ほどの闘技を思い出している。
 突如現れた、異邦の剣士。しかも少女だ。見たことのない剣と、冴えきった技を見せて、あっという間に男たちを叩き伏せた。彼らは、仮にも王太子の騎士だ。死んだルオーグは、常々観賞用と戦闘用があると言っていたが、金がかかる鑑賞物を飾る趣味は、この王子にはない。
 キサラギの腕は、確かに証明された。少なくとも、幼い頃より訓練を受けて、家柄によって自動的に騎士になる男たちとは、比べ物にならない力量がある。
「ブレイド」
「はい」
「私は、あれを堕としたい」
 ブレイドはそれと分からない程度に眉を上げた。
 オーギュストは、笑っていた。心から楽しめることがあるかのように。
「殺さないという誓いを立ててあの力だ。一度手を染めれば、あれはどこまで強くなると思う?」
 その時、ブレイドの脳裏に思い描かれたキサラギは、まるで神官のような白い衣を身にまとい、澄んだ白銀の剣を掲げていた。白は汚れのない証。白刃は潔斎と拒絶だ。そう思った時、彼女は不可侵の場所からやってきた迷い人なのではないかという考えが浮かんできた。
(確かに、あいつは何かが違う。戦い方も、考え方も。身体そのもの、魂そのものが、この国のものとはまったく違うもののように思える)
 だから浮かび上がるのだろうか。奴隷に身を落とされようとも、ルブリネルクの龍王家にまつわる人々に見つけ出される。そうして今、狙いを定められた。
 ブレイドは答えた。「どこまでも」と。
「月のように冷たく、嵐のように暴力的で、心を石にした冷酷な騎士になるでしょうね」
 そしていつかきっと俺たちを殺しにくる。純粋な憎悪からやってくる殺意で。
「しばらく様子を見て、次の闘技をさせてみよう。その時にどう動くのか、見てみたい」
 ぞくりとするような声で言った。ブレイドすら、顎を引いた。
「でも、キサラギはエルザリート様の騎士です。さすがにそれは越権でしょう」
「キサラギは、必ず次の闘技を行う」
 オーギュストは断言した。
「私には分かる。キサラギは、絶対にこのままにはしない。次の戦いがあれば、必ずそこで答えを出そうとするだろう。殺すか、殺さないか、殺されるか。殺す方を選ばなければここでは生きていけないと理解を始めたからだ」
 半歩離れたところを歩きながら、ブレイドはある疑いを持った。
 何故、この人はキサラギに執着を始めたのだろう。これは、興味が好奇心へ、そして執着へと変わる前段階だ。まるで、見えない何かが絆をつないだような。逃れえぬ鎖をお互いに掛け合ったような。
(これは、荒れる)
 オーギュストは笑っていた。
「――堕としてやろう。竜狩りの娘を、このルブリネルクの血と涙の海へ」

    



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