「……こんなところで何をしている?」
 不審と嫌悪の声音に、キサラギは項垂れた。
 頭の天辺から爪先まで、つくづくと見下ろされるのが分かった。衣装のきらびやかさが目に入り、青くなる。いつもと違う格好。絶対に似合わない、女性ものの衣装。
「これは、その……」
「まさか、エルザもここにいるのか」
「オーギュスト、落ち着いて。私が頼んだんです」
「当然だ」と王太子は顔を歪めてキサラギに言った。
「今までのあの子ならこんなところに近付きはしなかった。だが、近頃の振る舞いは目に余る。君の悪い影響を受けすぎているようだな」
 じろりと睨めつけられて、キサラギは顎を引くと同時に、ぎゅっと胸が締め付けられた。
 センとよく似た表情と態度は、先ほどの竜騎士から答えを得られなかった焦燥から、切なさを呼ぶものになっていた。
(この人はセンじゃないのに)
「それで? 護衛の立場で、君はそんな格好か」
「……一応変装のつもりです。似合わないのは分かってます」
「似合わないとは言っていない。むしろ、女性らしくて驚いている」
 弾かれたように顔を上げた。オーギュストはちらとも笑っていない、真面目な顔でその台詞を言ったらしい。態度に表れるのは恥と知りながら、堪えきれず、キサラギは顔を赤くした。
 その様子をオーギュストが見て取って、自身の発言の迂闊さを呪ったようだ。目を逸らし、しばらく黙った。
 冷たい夜風が二人の間を吹き抜ける。
 かすかな音楽が聞こえてくる。竜騎士はあちらに戻ったのだろうか。口を開くと、喉がからからだった。頬が火照るのに、肩に当たる風が冷たい。
「あなたは……竜騎士の顔を見たことはありますか」
「……竜騎士? そういえば、姿があったな。私も顔は知らない。誰かが見たという話も聞かないな。何故、竜騎士の話を?」
「気になって」
「何が?」
 言葉少なに答えて、勝手に解釈されることを期待したのに、オーギュストは追及の手を緩めなかった。キサラギは曖昧に答えた。
「あの強さなのに、名前が知られていなかったのは変です。どこの誰なんですか?」
 その答えに、オーギュストはある程度納得したようだった。
「私もそう思って調べさせた。レイ・アレイアールという名は、恐らく偽名だろう。アレイアールの名を持つ家は過去に存在していたが、今はもうない。龍王による取り潰しだったため、一族はその名を名乗ることができないはずだ」
「名前を取り上げられたってこと?」
「当時、アレイアール公爵家には美しいと評判の夫人がいた。その存在が龍王の耳に入り、公爵夫人は妃の一人に召し上げられた。公爵夫人は寵愛を受けたが、そのうち狂って死んだ。自殺とも言われているのは、このことによって龍王がアレイアール家を取り潰したためだ。自身の寵愛を拒んで自死を選んだ女に侮辱されたと思ったのだろう」
 キサラギは眉をひそめた。
 無理矢理に奪われて、耐えきれず死んでしまった女性がいる。その女性を踏みにじっただけでなく、家族や親類縁者を巻き込むなんて暴力は許されない。自分勝手が過ぎる。
 キサラギの不快を、その直系であるオーギュストは薄く笑っていた。
「だから、公爵家の類縁でもアレイアールは名乗れない。それでもあえてその姓名を使うのだとしたら、王家に対して何か思うところがある人物なのかもしれないな」
「それは……」
 紅妃、竜騎士、どちらがそうなのか。
 キサラギが尋ねる前に、オーギュストは歩き出した。いい加減にエルザリートを迎えに行きたかったのだろう。広間に戻ってきて、彼はすぐに彼女を見つけ出した。
 オーギュストを目の当たりにしてエルザリートは大きく目を見開き、叱られることに怯えるのかと思いきや、嬉しそうに、にっこり、と笑みを見せた。
「ごきげんよう、お兄様。おめずらしい。どうしてこんなところに?」
「それは私の台詞だよ。いったいどういうつもりだ。紅妃は危険だと言っただろう」
「くさくさしていたので気晴らしをしようと思ったのです。見てくださいな、キサラギの格好。とても素敵じゃありませんこと? これで剣帯をつけると、きっと映えますわ」
「そういうことをすると、悪いものにも目をつけられる。今この瞬間にも、私たちは目立っているんだから」
 キサラギは集まっている視線に振り向く覚悟ができず、二人のやりとりをへらへら笑いながら見守るしかない。いったいあれは誰なんだと、オーギュストとエルザリートが揃ってからずっと、視線が矢のように突き刺さるのだ。
「遅くならないうちに早くお帰り。紅妃には、適当に言い訳をしておくから」
 この辺りが引き際だった。オーギュストがこういう言い方をするのは、エルザリートをこれ以上ここに留めておきたくないからだった。
 帰りの道すがら、竜騎士とどうなったかを尋ねられた。キサラギは見たこと、自分が一方的に話したことなど説明し、それを聞いたエルザリートは、少し考えたようだった。
「……あの竜騎士が、紅妃のお気に入りだっていうのは間違いないようよ。彼は紅妃の指示にはよく従うらしいわ。龍王に従っているのも、彼女が命じたからだという噂になっている」
「紅妃ってどんな人? 今日の会には出てなかったよね」
「紅妃は、もとは踊り子で、龍王に見初められて妃の一人に召し上げられたの。以来、その寵愛を一身に受けている。美しい女性よ。燃えるような赤い髪をして、薔薇の花のよう。けれど、どこかみだらな感じがするから、わたくしは嫌い」
 エルザリートは嫌悪に眉を寄せている。
「でも、相当に立ち回りのうまい、賢い女性だということは分かるわ。でなければ、入れ替わりの激しい妃たちの中で、寵愛を受け続けることはできない。こういう会を催すけれど、奥の部屋では別にお気に入りの者たちだけを呼び寄せているらしいわ。その本当の会に呼ばれるのが、貴族たちの誉れなの。そういう、人の自尊心をくすぐる真似がお上手なのね。だから、お兄様とはすごく相性が悪いみたい」
「へえ……そうなの?」
 天敵なのか。好奇心がむき出しになってしまったのは、オーギュストはそういうことすら微笑の下に隠すことができるように思っていたからだ。だが、エルザリートはそれが分かるらしい。
「龍王陛下を支えているのはお兄様だけでなく、紅妃もそう。だから、お兄様は彼女を邪魔に思っている。彼女が立ち回るせいで、うまくいかないことも多いよう。似た者同士だからでしょうね」
 その呆れたような口調に、イルダスの言葉を思い出した。
「エルザは、いつかオーギュストと結婚するの?」
「しないわ」
 きっぱりと、はっきりと、エルザリートは否定した。
「約者候補というのは名前だけよ。そういう約束で、お兄様のところに引き取られたの。公爵家で肩身の狭い思いをしているわたくしを見かねて、居場所をくれた。……そのはずなのよ」
 言い聞かせるように呟いた後「どうしてそんなことを尋ねるの」と聞く。
 どうして怯えるのだろう。エルザリートの瞳の中に、震えるものが見える。
 キサラギは内心で首を傾げつつ、話をはぐらかした。
「いや……そういえば最近、オーギュストを見てなかったなと思って」
「お忙しい方なのよ。最近がめずらしいくらい、普段はなかなか会えないわ。キサラギは、お兄様が嫌いでしょう」
 うっと詰まったのを、エルザリートは咎めたりしなかった。怯えが明るいからかいに変わる。
「でも、お兄様はあなたのことが気にかかるようよ」
 そう微笑した。
 夜風がエルザリートの髪を柔らかく躍らせる。なんだか溶けて消えそうな雰囲気で、キサラギはふざけることしかできなかった。
「えー……? それ、あんまり嬉しくないよ」
「お兄様の視界に入る人は少ないのよ。お兄様と、わたくしと、ご自分の持ち駒。それ以外はみんな敵のはずなのに、あなたはどうやら違うようなのだもの」
 それが寂しい、とは言わないけれど、エルザリートはどこか切ない表情をしている。じっと見つめるキサラギを見つめ返して、エルザリートは真剣な顔つきになった。
「キサラギ。何かあったら、お兄様をお願い。あの人を止められるのは、きっとあなだけだと思うから」
 頷かなければならない気迫に満ちていた。それが少女の祈りというこの世のもっとも清浄なるものなのだとしたら、エルザリートは確かに、別名が巫女である、約者の候補にふさわしい存在だった。

 エルザリートの部屋で自身を拘束する衣服をすべて脱ぎ終えたキサラギは、自室にあてがわれている騎士舎に戻った。訓練の時刻も過ぎて演習場は静まり返っており、自室にいる者たちは休息を得て、外出している者は別の形で鬱憤を晴らし、あるいは任務を命じられている。
 けれど、キサラギの部屋の前には、イルダスがいた。戻ってきたキサラギに、よお、と手を挙げる。
「どうしたんですか? また食事ですか。今日は……」
「そうじゃない。これを渡しにきた」
 言った瞬間、目の前が白くなった。
 白い手袋が落ちる。
 どうして手袋が投げ捨てられたか分からず、目を瞬かせるキサラギに、イルダスは笑いながら言った。
「お前に決闘を申し込む。キサラギ。命をかけて、俺と戦え」
 言葉を失う。
 遅れて、どうして、と唇がわなないた。
 だが彼は答えない。詳しいことはまた後日、とまるで連絡事項を伝えるだけみたいにして、階段を下りていく。
「……どうして!?」
 声が響く。
 イルダスが階下からキサラギを仰ぐ。柔らかさに包まれた戦士の意思が、研がれた刃のようにきらめく。キサラギの瞳は濡れてはいたが、それを見て取れないほど曇ってはいない。
 彼は覚悟を決めている。何のためか。
 何かを引き換えにしたのだ。譲れないもののために。
「俺の、自由のためだ」
 イルダスが勝てば、彼は自由になるのだ。王太子の騎士を辞めて、十分な金銭と名声を手に旅立つのだろう。それは、自分以外のもののために命をなげうつものたちに比べて、純粋な願望だったけれど、やりとりされるものの重さは変わらない。
「イルダスさん……!」
 イルダスは、呆れたように少しだけ笑ったが、何も言わなかった。もう決まったことなのだと、揺らがないことを思い知らせてくるだけだった。
(オーギュストだ)
 キサラギを巻き込めるのは、彼しかいない。
 あなたはどうやら違うようね、と脳裏で呟くエルザリートがいたけれど、キサラギは首を振った。
 あの優しさ。穏やかな口調。そうあるように自分を制している。
 だから彼は、私を嫌っているんじゃない。

(――私を、憎んでるんだ)

    



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