エルザリートは、屋敷の人々に、キサラギを自分の騎士だと紹介した。広間に集められた屋敷で働いている人々は、好奇と恐れの目でキサラギを見ていた。加えて、年配の男たちには不信の色を浮かべている。
(まあ、いつものことだけどさ)
 近づくとそうでもないのだが、キサラギは華奢に見えるらしい。それが、剣を持って戦うのだというから、本当に戦士なのかを疑うのは当然だ。
 なので、持ってこられた服に袖を通すと、腕部分が細くて入らず、女性たちが困惑して顔を見合わせた。想像していた以上に、キサラギのあちこちが太いのだ。身体の部分をあちこち測っていった後、別の衣装を渡された。
(舞台衣装……?)
 装飾過多なのはこちらの風習なのだろうか。身体にぴったりした上衣は何もなく真っ白だが、つやつや光る絹だ。襟がなく首が高くなった黒い上着には、肩と留め具が銀で装飾されていた。脚衣も足の形が分かる細さで、真っ黒の革には、黒い糸で気の遠くなるようなつる草の刺繍が施されている。
 着替えを見ていた女中たちが、困ったようにキサラギを見ている。先ほど採寸していった女性たちだが、ああ、と苦笑した。
「すみません、多分勘違いされてるんだと思います」
 この服は男物だ。舞台に上げられる前に、商品は全員水浴びをさせられ、綺麗な衣服に着替えさせられていたが、どうやらエルザリートには女性だと思われなかったらしい。
「これ、どうやって着ればいいか、教えてもらえませんか?」
 釦はともかく、あっちこっちに紐が付いているとお手上げだ。衣装をひっくり返していたキサラギは助けを求め、彼女たちに世話されて、なんとかその黒い衣装を身につけた。
「こちらをお渡しするように仰せつかりました」
 女性の一人が差し出したのは、捨てられたと思っていたキサラギの前の衣装、装備一式だった。
「これ……エルザが?」
 奪われたままだった剣もあるし、取り上げられていた耳飾りもある。
「処分を確認した者がいたのですが、そんな勝手な真似はするなとお怒りになられたようです。わたしたちには騎士のことは分かりませんが、装備に触れることは剣士の領分を侵す振る舞いだと、お叱りを受けたとか」
 意外だった。不用心かと思えば、こういう気の使い方をする。
(誰か身近に剣を扱う人がいるのかな……?)
 竜狩りは、身体の変化に合わせて、少しずつ装備を変えるものだ。キサラギは幼い頃から竜狩りたちについてまわっていて、お下りの装備を身につけていたし、使い込まれれば使い込まれるほど、自分が伸びていくことがわかって嬉しかったものだった。そうして少しずつ貯めたお金で、新しい装備を揃えていく。竜の革をなめした胸当てや、竜狩りの間で独特に使われる武器など、金額に見合ってかなり丈夫なので、手放すと後悔するものが多い。
「ありがとうございます。愛着があるものだったから、戻ってきて嬉しい」
 装備を抱きしめ、笑み崩れて言ったキサラギに、女性たちも「それはよかったですね」と嬉しそうに言ってくれた。
 着替えが終わると、キサラギは奥庭に連れて行かれ、この屋敷の警備主任だという剣士に引き合わされた。
 ヴォルスという名の、麦色の髪に同じ色の髭を蓄えた、三十代後半の男だ。傍にいる剣士は、彼の部下だというルイズという名の黒髪の男。ヴォルスはキサラギを見るなり、「やれやれ、姫も何をお考えなのやら……」と肩をすくめた。
「すみません、私、騎士がどういうものなのかよく分かってないんですけど、つまりエルザリートの護衛をすればいいんでしょうか?」
「エルザリート様と呼べ。異邦人のお前には分からんだろうが、あの方は高貴な身分でいらっしゃる。自分が気まぐれで拾われたのだと肝に銘じておかねば、いつ捨てられるか分からんぞ」
「えっ、それって自由にしてもらえるってことですか」
「……嬉しそうな顔をするんじゃない。まったく、若いもんの能天気さは自国でも他国でも変わらんか」
 苦い顔をしつつも、ヴォルスの目から警戒が消えた。
 彼が説明したキサラギの仕事は、端的に言うならやはりエルザリートの護衛だった。彼女の寝起きに合わせて予定を組み、彼女の行くところへはどこでもついていく。片時もそばを離れず、命じられるままに剣を振るうべし、とのことだった。
「まずは、お前が本当に使えるか確かめねばならん。一回きりの盾など、飯を食わせるだけ無駄だからな」
 木剣を放られる。危なげなく受け取って、左右、斜めに振って感触を確かめた。いつも使っているものより、少し軽い。
「もうちょっと重いの、ないですか。これじゃ軽くて、振り回すと腕を痛めそうです」
「文句が多いやつだな」
 少し長い、重い剣が放られる。持ってみると、これが一番普段使うものに近い。
 軽くその場で跳躍して、呼吸と筋肉を整えた。息の使い方が、少し乱れている。十数日拘束されていた影響だろう。呼吸法だけは気をつけていたが、運動ができない環境は、戦士の身としては痛かった。
 しかも、相手はかなり手強そうだ。体格で負けているから、押し合いになれば絶対に負ける。
(長期戦は不利だな。素早さっていう弱点を把握してない剣士には思えない。うーん、かといって相手を翻弄させられるほどの技術は私にはないし、どうしたもんかなこれ)
 しかも、ヴォルスは構えてもくれないのだ。自然体でふらりと立っている。これでは、相手がどう獲物を使うのか判別できない。
(でも……すっごくわくわくしてきた!)
 こちらに来るまで、草原地帯で路銀稼ぎによその竜狩りと仕事をしたが、こうして手合わせをするのは久しぶりだ。しかも、このヴォルスは並々ならぬ使い手と見えた。故郷の街セノオの、年上の竜狩りたちに稽古をつけてもらっていた記憶がよみがえる。
「そろそろいいか。時間は無駄にしたくないんでな」
 キサラギは息を吸い込んだ。
「よろしくお願いします!!」
 大声で言って一礼し、剣を構える。ヴォルスは顎を引き「いいねえ」と呟いた。
「……始め!」
 ルイズが開始を告げる。キサラギはヴォルスの動向を見極めようとまず距離をとった。剣の構えから、今まで戦ったことのない技を使う気がしたせいだ。
(片手持ちか。よっぽど腕に自信があるのか)
 腕一本でいなせると判断されたということでもある。これは厄介だ。両手を使われると、確実に押し負ける。
「おいおい、お前の試験だぞ。早くかかってこい」
「それじゃ、遠慮なく……、はっ!」
 一歩半の距離を、キサラギはたった一歩で飛び越え、懐に入った。だが、ヴォルスの剣は素早くそれを打ち払う。
 その力に任せて跳んだ先で、一瞬の間をおいて地を蹴った。
 今度は懐にも入れない。上から振り下ろされた剣は、キサラギの首を正確に狙っていた。このまま受ければ昏倒させられてしまう。キサラギは腕を上げて剣を受け止め、そのまま刃の部分を滑らせると、くるりと一回転して、一歩、二歩、三歩と後ろへ下がった。
 ヴォルスの顔は渋い。
「お前……さっきのを真剣でやってみろ、刃が使い物ならなくなるぞ」
「木剣だからやったんです。さすがに、命の危機でもない限りやりません」
 しかし、ヴォルスの見方は変わったようだ。最初に懐に入ったときにぎょっとした顔を見られたし、剣を滑らせたときに怯んだのも分かった。
 大丈夫、自分は冷静だ。相手の動きがちゃんと見えている。
(ちょっと息が上がってるけどね……)
 王国地方に来る前なら、こんなことで肩が上下しなかったのだが、やはり日々の鍛錬は大きい。海賊の阿呆どもが恨めしかった。
「で? お前の力はこんなものか」
「もうちょっと付き合ってください。剣を持つのが久しぶりで、こっちも探り探りなんです……よっ!」
 後ろに引いた剣を横薙ぎに振る。ヴォルスは正確に打ち返す。もう一度同じところを狙った。打ち返された。逆方向から振り、返され、上から下ろしたものも打たれた。
 手首が痺れた。反撃の力が強いため、柄を強く握りしめてしまっているが、持ち慣れていないせいでひりひりしてきた。
 ヴォルスは、反射も早い。それに反応できる鍛え方をしている。キサラギを片手でいなせる力の持ち主だ。どう勝とうか、考えた。
 身長差が問題だ。どうしても、上段からの攻撃ができない。広い庭を使っているため、障害物がなく、身一つで戦わなければならなかった。
(うーん……あれでいってみるか)
「だから……実戦じゃ考えてる暇なんてないぞ、とっとと来いや」
 息を吐ききった。
 踏み込む。三歩の距離を、一歩半で跳ぶ。
 もちろん払われる。その力を待っていた。
 反動を得て地を蹴る。ここまでは最初と同じだ。だがキサラギは、途中で剣を逆手に持ち変えた。
 押し合いでは負けることは分かっていた。だが、態勢が崩される直前、キサラギは、自由な左の手で拳を作ると、それをヴォルスの脇腹に叩き込んだ。
「うぐっ!」
「うわぁっ!?」
 ――倒れたのは、キサラギだった。
「おまっ、ちょ、えっ!? って、すまん! 本気で殴り返した!」
 殴った方なのに悲鳴をあげたヴォルスが、伏したキサラギを慌てて助け起こす。ヴォルスの左拳はキサラギの胸を打ち、すんでのところで手が届かなかったキサラギは、息を詰まらせた挙句に攻撃できず、そのままひっくり返ったのだ。
「いや、大丈夫です……すみません、軟弱で」
「大丈夫じゃねえ! お前……」
 ヴォルスは、ごくりと唾を飲み込んだ。そして、有無を言わさずキサラギの腕を掴むと、見知らぬ空き部屋に放り込んだ。
 キサラギが困惑しながら止まらない咳を繰り返している前で、ヴォルスがばたばたと戸棚をひっくり返している。ルイズも何事かと忙しない彼の動きを見守ることしかできないようだ。
 そのヴォルスから手当の道具を放られ、言われた。
「手当が終わったら、呼べ」
 その低く、堪えるような響きに、扉が閉まってからあちゃあとキサラギは顔を覆った。
 彼は気付いたのだ。手が当たったのは、キサラギのつつましい胸だったのだから。
 青あざになっているところに軟膏を塗り、その上から布を当てて服を着る。ヴォルスとルイズを呼び入れると、二人は黙りこくっていた。待っている間に、ルイズもキサラギの性別を聞かされたのだろう。不自然に視線が定まらない。
「えっと、それで……私は合格ですか?」
「合格だ。荒削りだが、文句のつけようがない。けど、それだけに惜しい」
 ヴォルスは長く息を吐いた。
「どうして女なんだ、お前……」
「それって褒められてるって思っていいんですよね?」
「女に使う褒め言葉じゃないのは分かってる。その腕、どこで磨いた? まだ十五、六だろう、お前」
「もうすぐ十八ですよ」
 女性だと分かったときと同じくらい、ヴォルスは驚き、ルイズもえっと声をあげた。
「お前、姫より年上か!?」
「年上? エルザこそ十八くらいでしょう?」
「エルザリート様は十六歳だ」
 ずいぶん大人びた顔立ちをしているのだと思ったが、ヴォルスが「ちなみに俺は三十だ」というのでぎょっとした。なるほど、王国地方の人間は、みんな実年齢より上に見える顔をしているらしい。だから、キサラギが年下に見えるのだ。
 ヴォルスは乱暴に後ろ頭を掻いている。
「はあ……姫も、ややこしいのを騎士に選んだもんだ。ただでさえ不安定なお立場だが、女騎士を連れてるなんて知られた日には、こりゃ悪目立ちするぞ」
「女騎士ってめずらしいものなんですか?」
「少なくとも、首都では見たことがない。普通、女ってもんは、騎士を連れて歩いて守られる存在だ。自分から前に出て戦うなんて酔狂な真似、せんよ」
「私がいたところでは、数は少ないけれど、女も戦って当たり前でしたよ。結婚を機に引退する人が多かったけど、子どもが大きくなると、後方支援に回ります。街の守護や警備は、そうした人たちが負っていました」
 どこから来たんだと尋ねられたので草原地帯だと答えると、ヴォルスは一瞬言葉に詰まったあと「あー」と上を向いてなんらかの感情を逃していた。
「他国は他国でも、とんでもない遠国じゃないか。さらに面倒な事情がきたぞ……どうすんだ。どうしたらいいと思う、ルイズ」
「これから代わりを、というのは難しいと思います。あれほど騎士を選ぶのを渋っておられたのですから、これは不良品でしたから次を選べというのは、姫のご不興を買うでしょう」
「だよなあ! そうだよなあ……」
「さっきから困ってるみたいですけど、私がいるのはそんなに不都合ですか? なら、出て行きますけど」
「お前、自分に付けられた値段を覚えてるか。二百万だぞ、二百万! 首都の一等地に家が買えるぞ! 少なくとも、百万の働きをしてもらわなければ割に合わん」
 そう言うが、心底弱り切った顔をしている。うだうだする前に、早く解決策を考えればいいのに、これだから年を食った大人の男は面倒くさい。唸っていたヴォルスは、やがて肩を落とし、気持ちを切り替えるように、一つ一つを口に出した。
「……とにかく、姫にはご報告申し上げておこう。その反応を見て、他を選ぶか、こいつにするか考えることにする」
 ヴォルスはさっそく報告に行くという。いくつか疑問は生じたが、キサラギは頭を下げた。
「分かりました。よろしくお願いします」

 しばらくしてルイズに呼ばれ、彼とともにエルザリートの部屋を訪れた。ヴォルスを傍らにおいて、椅子に腰掛けた少女は、淡い日の光を受けて、やはりお人形のように可愛らしく、今は神々しささえあった。だが、よく見てみると、その青い目には不審が浮かんでいた。
「ヴォルスから聞いたわ。お前、女性だったんですって?」
「うん。ごめん、勘違いしてたよね」
 エルザリートの咎めるような視線を受けて、ヴォルスはため息した。
「いかがしましょう」
「構わないわ。戦闘能力に支障はないのでしょう?」
 エルザリートの唇が、酷薄に緩む。
「いいではないの。贔屓姫に、草原出身の女騎士。傑作ね。貴族たちの注目を浴びてよ」
 ヴォルスが咳払いした。
「では、キサラギ。お前にエルザリート様の騎士としての任を与える」
 空気が変わった。キサラギは両手をまっすぐに下ろして指先を揃え、胸を張った。
「エルザリート様の護衛任務に就き、必要とあらば剣闘試合に参加せよ。姫様の身の安全を第一に優先し、己が傷つくことをためらうな。お前の裏切りは、このヴォルスの剣が断罪する。逃げず、厭わず、戦うことを誓え」
 騎士とやらが持つ意味をキサラギは曖昧にしか理解していないが、誓うべき言葉があるなら、それは竜狩りとしての誇りに由縁するものだ、と思った。
 胸に手を当てる。
「私は、私の誇りにかけて、戦うことを誓う。この誓いは逃げぬために。この思いは切りひらくために。この剣は、守るために。守護神ヒトトセの名において、竜狩りの魂にかけてあなたを守ろう。エルザリート」
 剣の誓いは絶対だ。
 窓辺から射す光が、ゆっくりと強くなっていた。しばしの静寂ののち、ふっとエルザリートが息を吐いた。
「ずいぶん変わった誓いの言葉だこと」
「申し訳ありません。宣誓を知らぬことを失念しておりました」
「いいわ。面白かったもの。いつもの宣誓の言葉よりずっと本物らしかったわ」
(あれ、まずかったかな)
 どうやら、決まりの文句があったらしい。後からヴォルスに絞られそうだが、主人が笑って許したのでとりあえず置いておくことにしたようだ。心なしか、エルザリートの目の光は、和んで見えた。
「……逃げず、切り開き、守るために。ルブリネルクの者には決して言えない言葉ね」
 呟いたかと思えば、目は、氷が張ったように白く濁った。
「五日後、マイセン大公が主催する夜会が開かれる。そこにお前を同伴させます。騎士としてふさわしい立ち振る舞いを期待するわ」

    



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