="stylesheet" type="text/css" href="../dc_story.css">
   
    


「うーん、うーん……」と、中庭のど真ん中で唸っている男がいた。前任が逃亡し、あまり腕のない新しい庭師によって統制を失った庭は、落ち葉や折れ枝などで散々たる有様だ。それを掻き集めて形成された山を前に、男が座り込んで首を捻っているのだった。
(何をしてるんだ? あいつ)
 様子を伺ったのは、相手が危険だからに他ならない。
 確か、リュウジという聞きなれない響きの名前だった。似た印象の名を持つ人間を一人だけ知っていたが、現在は生死不明だ。
 今思えば、彼女がこの王国に来たのは前触れだったのかもしれない。
 飛来した竜たちは、ルブリネルクの城を住処にして、好き勝手に振舞っている。普段は人型だが、突然手や足を変化させて、人を襲うものもあった。城にいた者の多くは恐れをなして逃げ去り、ますますこの城は魔窟といった風情になってきている。
「ぅん?」
 人ならぬものだからこそ、こちらの視線に気づかないわけがなかった。ブレイドは構えたが、次の瞬間目のあたりにしたものを見て脱力しそうになった。
 何故、芋をくわえているのか。
「あんた、だーれ?」
 ふごふごと言ったのを翻訳するとそれだった。
 名前と顔を覚えられると厄介なことになりそうだ、と彼らとはなるべく距離を置いてきただけに、言葉を交わしていいものかいささか迷う。
「……何をしているんだ?」
 だが、興味の方が勝った。竜人は、あまり食事をしなくてもいいという。酒を飲んでいるか、適当に獣を屠って食しているようだとは聞いていたが、人型で芋を頬張っている図に惹かれた。
 ばき、と生だったらしい芋を噛み砕いて、リュウジは答えた。
「芋をね、焼いてたんだけど、うまく焼けねーの。最初は丸焦げにしちゃって、次のは早めに出したら生だった」
 それで落ち葉を集めて三度目に挑戦しようというところだったらしい。身体に隠れたところには芋が入った桶があり、しばらく試行錯誤できそうだ。
 ブレイドは言った。
「そのまま火の中に入れたのか? そりゃだめだ。炎が赤々と燃えているところに入れても焦げるだけだ。濡れた薄紙で芋を包んで、熾火か灰の中に一時間くらい放り込んでおくといい。紙はもったいないから……ああ、あのでかい葉っぱに包めばいい」
 言いながら、庭の木から大判の葉を二、三枚失敬し、芋を包んで枝を突き刺して留める。リュウジも、見様見真似でやり始めた。意外と手先が器用なのか、作業が早い。
「どうして芋なんて食ってるんだ」
「子どもの頃、よく食ってたから。こっちに来て、久しぶりに見て、ああ食ってたなーって思い出したら、なんか腹減ってさ」
 子どもの頃、と聞いて一瞬思考が止まった。そして、苦笑した。竜に子ども時代なんてないとどこかで思い込んでいたが、生きものなのだからあってもいいだろう。自分にも、あのオーギュストにも幼少期があったように。
「子どもの頃か。どこに住んでたんだ」
「いろいろ。人間じゃないから、長いこと一箇所にいるとばれるんだよね。二十歳過ぎたくらいから見た目ほとんど変わらなくなるし。で、人間の中で暮らす間は、人間に偽装するために食事してたわけ。そのうち郷の噂を聞いて、探し回って、ようやくそこに落ち着いた」
「郷があるのか」
 立ち入った質問に警戒されるだろうかと思ったが、リュウジはじっと燻る炎を見つめながら、自然な調子で答えていた。
「あるよ。すげーふつう。隠れ里って感じ。草原のやつらはだいたいそこで暮らしてたけど、王国にいる俺たちみたいなやつは、噂を聞いて来るんだって言ってた。結構いろいろ混じってたよ。俺は正竜人だけど、真竜人もいた。穏やかに暮らしてたのに、失竜人に堕ちるやつとか」
「せい……なんだって?」
「正竜人と真竜人と失竜人。親が竜人で自分も竜人なのが正竜人、元は人間だけど竜人になったのが真竜人。これら竜人が狂ったのが失竜人。あんたの王様がそうだ」
 息を飲む。
 竜人のまっすぐな目が、ブレイドを捉える。
「しゃべってて思い出した。あんた、オーギュストの近くにいたひとだよね。でも最近一緒にいない。喧嘩でもしたの?」
 意外によく見ている。息を飲み込みつつ、自身に冷静になるよう言い聞かせて、ブレイドは訊ね返した。
「それよりも……陛下が、なんだって?」
「王様、失竜人になってきてるよ。おかしいって思ったことなかった? それのせいだよ。竜化しないのはめずらしいけど」
 この男は、重大なことをぼろぼろと喋っているのに気づいていないのだろうか。
 彼は、オーギュストは狂っている、と言っているのだ。
「――失竜人になるとどうなるんだ」
「正気をなくして、ひとの姿をなくして、人を襲ってまわる竜になるんだけど、王様は違うみたいだね。人型のまま、ちょっとずつ壊れてる感じ。そういうのは、まぼろしを見たり、独り言が多くなったり、何かひとつのことに執着したりするんだって、ミサトから聞いた。最後には自分もろとも滅びるって」
 オーギュストが執着するものが、一つだけある。
 だがそれは、長きに渡って続けられ、守られてきたものだ。それこそ、彼が幼い頃から。
(まさか、そんなに昔から?)
「街でも竜化したやつらがいたよね。小さかったみたいだけど、そいつら失竜人だよ。草原と色々違うのは、土地のせいなのかな。俺にはよく分かんないけど。……ねー、芋まだ焼けないの?」
「もうちょっと待て。……それで、お前はその、両親が竜人の、正竜人ってやつなのか」
「多分ね。物心ついたときには親がいなかったからよく知らない。でも子どもの頃から竜になれたから、多分そうだろうって郷で言われた。きっと親のどっちも失竜人になって狩られたんじゃないかなー。親がいなくなった後、俺は人間に適当に拾われたけど、育てられる途中で捨てられたんだと思う。気付いたらひとりだった」
 淡白な言い方だったが、それだけに寂しいものが混じっているように聞こえた。
「それで郷にたどり着いて……どうして、この国に来ることになったんだ?」
 リュウジは、にっと笑った。
「外に出たかったんだ。竜人って、隠れ住むのがふつうってみんな言うけど、そういうの、変じゃん。好きなときに外に出て、したいことをしたいだろ? だから来たんだ。自由に空飛べるっていいもんだね。で、ついでだからミサトに協力してる。でも、最近あの人もイカれてきたかなー。もともと、ちょっと堕ちかけてたみたいだったし」
 紅妃か、と推察した。オーギュストは、彼女を悲劇の公爵夫人ユートピア・アレイアールだと言っていたが、他の竜人が、リュウジのように彼女をミサトと呼んでいた気がする。
 闇の王国に、狂った王に、狂った竜たち。
(救国主でも現れそうな状況だな)
 考えながら、灰の中から芋を拾う。包み紙代わりの葉を剥がし、中身の芋を割ると、少し硬いがふっくらと割れた。
「ほら、熱いから気をつけろ」
「おお! ありがとう!」
 芋にかぶりついたリュウジは「うめー!」と目を輝かせている。がつがつと芋を食う彼は、どこかの田舎の若者のようだ。
「あんたは食わないの?」
「お前の芋だろ。俺は別にいいから、好きなだけ食っておけ」
 人を襲ってその肉を貪られるよりずっといい。なにせ、城中が、竜に襲われたらどうしようと恐れているのだ。おかげで閑散たる有様だ。賢明な貴族たちは遠方へ逃げ、刻々と反旗をひるがえす準備をしているという。
 オーギュストがそれに気付かないはずがないのに、それらを放置している。最近は、日中にも眠っていることが多く、覚醒時間が短くなっていた。まるで、晩年の先王のようだ。
 それをリュウジに言ったなら「狂ったからだろ」と答えが返ってくる気がして、問うことができない。
「ねー、あんたって兄弟いる?」
「いるよ」
「あんた兄貴の方?」
「いや、俺は弟だ。兄貴がいる」
「そうなの? ふーん、面倒見がいいから兄貴なのかと思った。じゃあ、面倒を見る相手がいたってことか。あ、わかった、あの王様だな? 昔からの付き合いっぽかったし」
 ブレイドは面食らい、次に苦笑した。リュウジの観察力に舌を巻く思いだった。
 騎士の名門ランザー家に生を受け、妾腹ながらも剣の腕で認められたブレイドは、早々に王家に差し出されてオーギュストの側につくことになった。だから、彼と母親である王妃との確執も知っているし、彼がエルザリートと接近した頃のことも覚えている。
 オーギュストは、美しい顔立ちをした、悪魔のような子どもだった。元から悪の芽を持っていたのか、それとも環境がそれを植え付けたのかは分からない。ブレイドがオーギュストと初めて会ったとき、彼はすでに完成されていた。冷たい目であらゆるものを憎んでいたのだ。
 似ている、と思ったのは、自分の生まれに理由があるのだと思う。
 嫡男として生まれ育った兄ヴォルスは、戦士のくせに情に厚くほだされやすい性格で、腹違いの弟であるブレイドにも、家族として分け隔てなく接していた。彼に何故戦うのかと問えば、頭を掻きながらこう言うだろう。『長男だから仕方がないだろう』。予想できて、馬鹿馬鹿しくなって、本当に尋ねたことはない。
 彼は自分とは違う。
 ブレイドが剣を持つ理由は、自分が貶められることのないための技術を得ようとしたためだった。騎士の名門に生まれたからには、嫡男を凌ぐ剣技を身につければ、決して迫害されることはないだろうという打算がそうさせた。
 そんなブレイドを、ヴォルスは感心したように「お前はすごいなあ」と言うのだ。自分とは違って弟は出来がいい。剣の腕はこいつの方が上なんだ。
 だというのに、ブレイドには少しずつ憎悪が降り積もった。
 ヴォルスは、ブレイドが王太子付きの騎士になっても余裕を失わなかった。できるやつは違うと言って、頑張れと励まし、身体に気をつけろと気遣った。へらへらと笑いながら、遅れはしたものの、結局王太子の騎士に抜擢された。
 ブレイドは、ヴォルスを、家族を、血を、生まれを、あらゆるものを憎んだ。どれほど強くなったとしても、決して得られないものが存在するというこの世界の仕組みを、心の底から恨んだ。
 オーギュストにつき、実力が認められて少しずつ彼に接近していくうちに、自分たちは同じ感情を抱えているのだと思うようになった。似ているという自分勝手な親近感は、オーギュストには気付かれていないはずだから、彼はブレイドが気まぐれとして側にいるように思っているかもしれない。
 そうではない。自分と似ている存在がいることで、離れがたくなっただけなのだ。
「だったら心配だよな。王様が変になってるの」
「……元に戻す方法はあるのか」
「悪いけど知らない。だってこの国だけじゃなくて、世界中が変なんだもん。どっかちょっとずつ壊れてんの。だから思いきってぶっ壊すか、壊れてるところを直すかしないと。それができるのは、竜王様だけだよ」
「竜王というのは……」
「センっていう。あんたの王様そっくりの銀髪の男が、一番候補だって」
 竜騎士を名乗っていた、あの男。
 紅妃に連れられてぼうっとしているかと思えば突然彼女に襲いかかったり、いきなり眠り込んだりする。しばらく姿を見なかったかと思えば、戻ってくるなり城の一部を破壊し、他の竜たちに抑え込まれて以来姿を見ていない。
「あいつも可哀想だよ。昔からミサトに頭上がんない感じだったけど、今回の件から思いっきり道具扱いだもん。みんな言ってる。いくら復讐だからってセンが可哀想だって」
 食べ屑を払いながらリュウジは立ち上がった。
「腹ごなしにひとっ飛びしてこようっと。あんたも行く?」
「遠慮しておく。俺には翼がないからな」
「あ、そっか。忘れてた、あんた人間なんだっけ」
 ブレイドも忘れそうになっていた。この男が自分とは異なる生き物だということ。
「ねー、あんた名前は?」
「ブレイド・ランザーだ」
「ブレイド、ブレイドね。なあ、ブレイド。また芋焼いてくれる?」
 笑ってしまったのは、まるで子どもみたいな言い方だったからだ。
「ああ、焼いてやるよ。今度は栗とか茸とかでもいいんじゃないか」
「おっ、楽しそう! じゃあ、約束な!」
 熾火に砂をかけて消火を終えると、リュウジはまたなーと手を振りつつ走って行ってしまった。しばらくすると空に飛影が見えたから、きっと彼だろう。
 一人になると、自然とため息が出ていた。安らいだ気持ちの名残が、暮れ行く空のように心に影を落としていた。自分はそれほどまでに、この場所を厭いつつあるのだと自覚させられる。
 人がいなくなる。生き物の気配が薄くなり、代わりに凍えるような冷たさが満ちていく。世界は初夏を迎えているというのに、この寒さはなんだろう。
 魔性の者たちが跋扈するルブリネルクの心臓部が、ゆっくり死んでいく音が聞こえる。
「閣下」と知った従士が走ってきたのはその時だった。
「お探ししました! どうか急ぎおいでください、陛下が!」
 蒼白な顔をする彼の背後から、怯えきった同じ従士たちがブレイドに助けを求める。
「陛下がお倒れに!」
「それから、陛下が、ランジュ公爵令嬢を――」

    



>>  HOME  <<