結婚式の準備に当たって、キサラギは、ハガミの妻ヨウコを中心とした女衆に、センは、セノオの竜狩りの男衆に助力を求めることになった。
「うちの娘を送り出すつもりで花嫁修行するからね、キサラギちゃん」
「よろしくお願いします!」
 ヨウコとその近所の奥様たちは、それはそれは嬉しそうな笑顔でキサラギを引き入れた。式が終わるまで、これからキサラギはハガミとヨウコの家で寝起きすることになる。結婚前の男女が同居しているのは問題だったし、結婚前の習慣では夫婦になる予定の二人はしばらく会えないことになっていた。
 センのことを心配しつつ、キサラギは、ヨウコたちから、料理、洗濯、掃除、裁縫などの仕事を仕込まれることとなった。女親のいないキサラギは、これまで彼女たちに基礎的なことを教えてもらっていたので、以前の続きという感じだ。人並みになった時点で、本格的に竜狩りの道に進んだので、女衆の張り切りぶりは尋常ではない。毎日、ヨウコの家には近所の奥様たちが現れる。
「もっと丁寧に!」
「はい!」
「もっとゆっくり手を動かしなさい?」
「はい!」
「焦らなくていいから、落ち着いてね」
「はい!」
 そうして休憩を挟むと、自然、話はキサラギの旅のことになる。いつどこでセンと再会したんだとか、竜人でもいいのかとか、質問の真意は、興味が半分、心配が半分といったところだろうか。お茶請けにするには格好の話題だった。
「あら、あんた」
「おう、お嬢さん方。休憩か?」
 ハガミが姿を現し、机に箱を置いた。近所の菓子屋の焼き菓子だ。奥様たちがにっこり笑う。ぬかりない。
「そっちの様子はどう?」
「順調だよ。キサラギ、センは面白いな。前にも思ったけど、ああ見えてあいつ、かなり付き合いがいいぞ。俺たちの馬鹿話に、しれっと応じてる」
 だいぶ丸くなったからね、とキサラギは笑うが「そういうことじゃないの」とヨウコはちょっと怒ったように言った。
「女は色々と入り用なのよ。家はもちろん、衣装とか。趣味の悪いものを投げて寄越したら承知しないからね!」
「そこは心配しなくていい。というのは……」とハガミが話したところによると。
 結婚において、男の器量は結婚装束で決まる、といっても過言ではない。
 支度を男にすべて任せる上で、財力と趣味の良さが見極められるのだ。女側は、一応どんなものをまといたいか要求するが、最終的に決めるのは男の方だ。しかし、ここで豪奢な衣装を用意しても、結婚生活が苦しくなるようではいけない。ほどほどに、かつ壮麗なものを、男は力の限りを尽くして準備する。どこの店、職人に、衣装と装身具の何を頼むか、というのは、格に応じて大体決まっている。高級志向、普通、ちょっと格が下がる、の三段階だ。
 既婚者たちの評判や最近の流行などを聞いて、センは揃えなければならない品とそれらを取り扱っている高価な店、職人を挙げて「確かめに行ってくる」と言ったという。
「おいおい、大丈夫か? あんまり気張ると、後が大変だぞ」
「問題ない。金なら十分にある」
 とりあえず、と彼はセノオで酒を商いしている者に、小袋を渡した。式の後の披露宴での振る舞い酒を準備するための資金だ。その小袋の中身を確かめた全員の時が止まった。
 信じられない大金だったのだ。
 おかしな空気を察知してセンは「足りないか」と的外れなことを聞いたが、みんなが揃って首を振ったので、怪訝そうながらも頼んだと言ったという。
 しかし全員が目を丸くして首を縦に振りあったので、「そういう人形みたいだった」とハガミは述懐した。
「というわけで、めちゃくちゃいい衣装が出来上がってくるだろうから、心配しなくていい」
 女衆たちは「はああ……」と口を開け、はうなだれるキサラギを振り返った。
「もしかしてキサラギちゃん、玉の輿?」
「さすが、いい男は稼ぎも違う! 旦那に見習ってほしい!」
「あんた、もしかしなくても、すごい人と結婚するのかもしれないね」
 そうですね……と力なく答えるしかないキサラギだった。
 かくして、キサラギの花嫁修行も順調に進み、センの方も着々と品を揃えてきた。誰かに助言されたのだろうか、顔を見られない代わりに、甘味やら花やらちょっとした贈り物を人に預けてくる。キサラギは冷やかされながらそれを受け取って、無理していないか、とセンを気遣う手紙を預けた。けれど返ってくるのは、今何をしているとかこういうことを言われたが正しいかという事務的なことばかりだ。
(確かに、こういうやり取りが得意じゃないやつなんだけど……)
 無理してるんだろうなあ、と針を止めてため息をつくと「背中が丸まってるよー!」と背後で赤子をあやしている友人の声がかかり、慌ててしゃんと胸を張った。剣を持つ仕事は休んでいるので運動不足になっており、すぐ背が丸まってしまう。
「はああ……」
 ため息をついていると、その友人がやってきた。
「なあに? 疲れた?」
「外に出たい。出掛けたい。旅したい! 半年近くこもらなきゃいけないなんて退屈で仕方がないよ!」
「まだ一ヶ月でしょ。こらえ性がないわねえ」
 そう言って、キサラギが投げ出した帯を見て、顔をしかめる。
「……昔から不思議なんだけど、キサラギって、どうしてそんなに針仕事が得意なの? めちゃくちゃ綺麗じゃない、この刺繍」
「旅の途中は、自分で肌着縫ったり、次ぎを当てたりするからかなあ。そういうの、ちゃんとしてないと自分が困るんだよね」
「でもこの細かさは尋常じゃないわ。よっぽど暇なのね?」
「だから言ってるでしょ!」
「こんにちは、お邪魔します。……キサラギ?」
「あっ、ユキだ!」とキサラギは投げ出していた身体を跳ね起こした。ユキの腰にまとわりついて、ぐだぐだと駄々をこねる。
「ユキー、暇だよー。何にもすることないよー」
「服を仕立てたり、肌着を縫ったり、小物を作ったりは?」
「してるよ。でも飽きてきた」
「だったらお手伝い」
「教えることなくてつまんないってヨウコさんに追い出されちゃった」
 そうして、キサラギは友人たちの家を訪ね歩いている。中には子どもがいる家庭もあって、キサラギはいい遊び相手だ。しかし、今日はその上の子どもが外に遊びに行き、友人は赤ん坊の世話をしていて、邪魔することができないので針仕事をしていたのだった。
「意外と家のことできるのよね、キサラギって」
 同意するらしいユキも苦笑いだったが、そういえば、と小首を傾げた。
「イサイさんが言っていたけれど、キサラギ、式にご招待するお客様がいるなら、そろそろ案内を出した方がいいって。あなたの知り合いは遠方の方なんでしょう?」
 うっとキサラギは呻いた。ユキから離れて、後ろ頭をかき混ぜる。
「そうなんだよね……まだちょっと悩んでてさあ。呼びたい人たちはいるんだけど、みんなかなり遠いし、立場のある人もいるからなかなか呼べないし、でも約束しちゃったし……」
「それでうだうだするくらいなら、さっさと相談してらっしゃいな」
 そこはキサラギの性格を知っている友人だ。「ちょっとユキ、キサラギをそそのかしちゃだめ!」と眉をひそめてたしなめるが、ユキは人差し指を立てて「内緒よ」と微笑んだ。そしてやっぱり同じ街で育っただけあるので、彼女は結局、聞かなかったことにしたようだった。


 花婿の相談役となった男衆の集まりで、毎夜、酒代を出すのも、新郎の仕事の一つだ。
 支払いを終え、相談役の男たちと別れたセンは、ほどほどに酔った息を吐き出しつつ、帰路についた。
 以前は竜の襲撃に備えて赤々と灯されていた炎も、今は眩過ぎない程度に減らされ、路地裏などは底なしの暗闇に沈んでいる。それでもセンの目は闇の中でも形を拾うので、そこに誰か佇んでいるのを捉えていた。
 感じるものがあったので、足を止める。
 そして、酒臭い息を吐いていることを内心恥じつつ、問いかけた。
「何してる」
「……よく分かるね。まだ何も言ってないのに」
 被り布を上げて笑う、キサラギだった。確か結婚前の男女は、式当日まで顔をあわせるなというしきたりだったはずだ。センは暗がりに滑り込むと、キサラギを奥へと押しやった。
「人に見られたらどうする」
「その時はその時! ……いや、いろいろ聞いてみると、やっぱりみんなこっそり逢ってるんだってさ。そういうのを周りに知られないように、二人で協力しあうのも、伝統の一つなんだって」
 にっこり笑うキサラギは、平和な日々を満喫しているようだ。肌荒れはましになっているし、唇には艶が乗り、頬には健康的な血色がある。髪も、手入れする時間があるのか闇の中でも輝いている。
「別に、俺に会いたいから来たわけではないんだろう」
「理由の一つではあるんだけど、まあ、最近ちょっと退屈で……。身体なまっちゃうし、隠密行動してみようかなと」
 やっぱりか、とため息が出る。
「それに、ちょっと相談したいことがあるんだ。結婚式の招待客……どうしようかと思ってて」
「ルブリネルクの女王を呼ぶんじゃないのか」
 キサラギは一瞬目を丸くし、後ろめたそうに目を閉じ、うなった。
「うーん、そのつもりだったんだけど、やっぱり無理そうだなあって思うんだよ。こっちに来る間、お城を空けるわけだろう。それってかなり難しいよね。すぐに来てもらって、すぐに帰ってもらえたら一番いいんだけど、不可能だし……」
「不可能か?」
 怪訝になったセンの一言に、えっとキサラギは顔を上げた。
「いや、無理だって。陸路で数日、海路で数日。そこから草原を移動だよ?」
「陸と海を行けばな」
 そこまで言って、理解したらしい。だが、キサラギはさあっと血の気を失った。
「ちょっと……まさか、竜人に頼むの? 竜になって、エルザたちを乗せて運んできてくださいって?」
「それだと一両日で済む。長期不在にはならん」
 キサラギは血相を変えて、どこか怒ったように聞いてくる。
「誰が頼まれてくれるんだよ。竜人の郷の連中?」
「そうだな。ここしばらくあそこには寄りついていなかったが、敵視されているわけじゃない。頼めば動いてくれるやつがいる」
 人懐こいリュウジや、彼に付き合わされているサクトあたりなら動くだろう。他にも外に出したほうがよさそうな若い者がいる。何人かの顔を思い浮かべていると、キサラギは大慌てて首を振り始めた。
「…………、いや、いやいやいや、いい考えかもと思ったけどまずいって。だってエルザはルブリネルクの女王陛下だよ? アリスだって騎士領国の人だし、竜の背に乗るのは抵抗があると思う」
「どう思うかは相手次第だろう。陸路で行くならそうすればいい。竜の背に乗る利があると思うならそちらを選ぶだろう。お前は、どうしてほしいのかを相手に伝えればいいんじゃないか」
 最近、キサラギはよく大きく目を開いてセンを見つめてくれることがある。その瞳の中には驚きと感心が、熱っぽい輝きが宿っていて、センを居心地悪くさせる。
 やがてキサラギは、くしゃくしゃとした笑顔になって、額を押さえた。
「……だめだなあ。外に出ないと、視野が狭くなるのかな。うん、そうか。私の願いを伝えればいいのか」
 そう言って、キサラギは微笑んだ。
「センがいてくれてよかった」
 その時、じわりと宿った熱は、内側で静かに燃え始めた。
 センはキサラギの腰をさらうと、驚く彼女の顎を捕まえ、その唇に己のそれを重ね合わせた。キサラギが小さく抗議の声を上げたが、次の瞬間には解放する。そうしなければ、際限がなくなりそうだった。
「ちょっと……!」
「したくなっただけだ。久しぶりに顔を見ると、やっぱりな」
 キサラギはうーうーと犬が威嚇するように唸っていたが、センが唇を舐めた直後に、最終的に「ばか!」と吠え声を発して背を向けた。
「気をつけろよ」
「わかってるよ! おやすみ!」
 就寝の挨拶を投げていくのは、本当に彼女らしい。センは自分の唇を指先でなぞり、かすかな温もりの名残に、思わず口元を緩めていた。それは、多分穏やかな気持ちが与える、暖かな感情だった。

     


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