―――― 第 1 7 章 前 話


 空気が悪い、窓を開ける、と滅多に喋らぬ副官が口を開いたかと思えば、こちらに問うこともしない断定的な口ぶりだったため、虚をつかれて彼は顔を上げる。覚え書きの用紙が窓を開く風に端を泳がせ、文鎮の縁が日差しに光って目を射った。目を閉じる。するともう開きたくなくなった。そのままことりと横に倒れそうになる。
 起床して何時間だろう。太陽は真昼の位置にあって普段なら七時間程度だが、否、そもそもいつ眠った。眠ったことを思い出せない。あの温もりが傍らにない。あれがいなくなって、何分、何時間、何日、……何ヶ月経った。
 暑いのか寒いのかも判然としない。これではまるで死者だ。生を謳歌するリリスが世界を感じ取れぬ。それは死者と同じものを示す。
(……花)
 花を見に行くと、言った。行こうと。手の中には温もりという世界が存在して、繋いだものには心があった。天球には果てなさがあり、永遠を信じようと思えたのに、あれはどこにもいない。今はどの季節だ。その頃にはきっとあれは帰ってくる、その思いが、彼の重たい身体を窓へ押しやる。
 草原は、冬枯れの色。花はまだ咲いていない。春の訪れはまだ遠いが、花は咲かずにはいられないのだから。
 きっと、もうすぐ、帰ってくる。
 思えば思うほど、沈み込むように身体が重くなり、空気が悪くとも日が射さなくとも目が開かなくとも全てが朽ちてしまおうとも、少しずつ気付かなくなっていく緩慢さで、彼は恋の花が消されて死んでいくのを見ている。





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