―――― 第 6 章 3 挿 話


「真様が裏切らないかぎり、誰も裏切りませぬ」
 心からの言葉だった。偽りはない。ただ、伏せた言葉があった。
『あなたは、都市には帰れない、リリスも本当の居場所ではない、そう思っているのでしょう』というものだ。
 その証拠に彼女は決して心の内を正直に明かすことはないのだった。自分からはの話だ。誰かが心を明かせば、そのお返しにとばかりに少しだけ扉を開く。でも決して出ては来ない。だから先程の会話は、珍しく姿が見えた言葉だったように思う。
 同じだけの思いを抱くことなんて、出来はしない。感情は量れるものでも数値を出せるものでもないからだ。
 それを匂わせると、真は少し拗ねたようだった。こういう話題は少し難しい。それぞれの理屈があるからだと分かっているので追求はしなかった。何かを言いたげではあったが、結局は呑み込んだようだった真夫人は、そのまま落花を無茶苦茶に駆けさせていたが、すぐに反省して通常の稽古に戻った。落花と呼吸がもう一つ合わないのは、恐らくは彼女の最後の一歩がこちらにないからだと思われた。
 ユメが紺桔梗殿に戻ってくると、話題にしたオウギに会った。
「お疲れさまでございます」
 こくりと彼は頷き、何処かへと去る。幼なじみのユメでも、彼が普段どこにいるのかあまりよく知らない。彼との思い出は物語のように、死者に会ったやら狐狸と遊んだ、時代を超えたなど奇怪で面妖であるため、確かでまともな記憶はなく、よく分からないのだった。幼い頃は主張して、話題に出したもう一人によく馬鹿にされたものである。
「御前」
 影のような声に呼びかけられて振り返る。驚きはしない。慣れているからだ。話題に出したもう一人である。
 近寄ってきた彼は茶巾絞りにした懐紙を出し、ユメの手に乗せた。
「ナナミに持って帰ってやりなさい。今日貰った菓子だ」
「ご自分で持って帰ればよろしいでしょうに」
「今日は帰れない。ナナミの顔は朝見ますよ」
 何故こんなに仕事大事の人間が多いのだろうとユメは思う。もちろん自分も含んでいる。だがリリスはこれで成り立っているのだと思うと心強いのも確かだ。この人たちで自分たちは守られている。すると、急に愛おしさが込み上げてきた。
「あなたのことが好きです」
 言うと、彼は面食らったようだった。すぐに胡乱そうにユメを見、「リュウ医師のところに行ってきなさい」とすげなく言われてしまった。
 ユメは笑いを噛み殺した。同じだけの思いなど、抱いていけるわけないではないか。
「お夜食でも持ってきましょうか」
「いいえ結構。ナナミの側にいなさい。それよりも具合が悪かったらきちんと医師に見てもらうように」
 そう言って追い越していく。右足をそれとは分からずに不自由に動かしていく彼は、かつてはとても嫌った相手であり、そして今は愛する夫である。だが彼は同じだけの愛を持っているとは限らない。今の彼の大事は政治と娘だ。
 まだ分からないことは多数ある。何故彼なのか。オウギでないのか。彼が自分をどう思っているのか。だがそれでも愛することはできる。
 捻った懐紙が少しだけ解けている。中に、幼いナナミはまだ口に出来ない、そして彼の好物の薄荷味の菓子があることに気付き、ユメは顔をほころばせた。多分、これは自分宛だろう。
 だからこういう愛もあるのだと、ユメはアマーリエに知らせるべきだと思った。





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