―――― 心 象 風 景 A


 美しい陽気に春の香が満たされている。色づいた大気の向こう、何故か遥か霞む都市の建物群が見えた。宙(そら)を目指す無数の柱は、揺らぐことなく上を目指し大地を見渡そうとしている。そしてここにはまた何故か自治を区切る境界は存在せず、都市の開発が進んで剥き出しの茶色の地であるはずなのに、緑野が広がっている。均されていない、地殻変動のために起伏の多い場所のまま。緑が萌える大地に、小さな薄紅の花のつぼみがほんの少し頼りない彩りを添え、衣越しに触れるすべてが温かい。目に映る宙(そら)の色は、羽のように柔らかな雲に添える蒼だった。自国である草原から渡る風は遠い異国の地――都市にまで渡っていくのだ。
 これは誰の記憶だろうと、考える。
 風を小さな背に受ける者が立っていた。それまで遠い場所で座り込んでいたので気付かなかった。立ち上がった彼女は、鈍色に輝く髪を結わずに流し、剥き出しの肩にかかる頼りない二本で吊られた白いドレスを着ている。裾はそれほど長くなく、細い足の膝裏が見えた。背後から聞こえる彼女にとっての異国、草原の音を聴くように風に耳を澄まして、灰の色を持つ彼女の故郷の方向を見つめていた。
 萌える大地に裸足の細さが眩しい。自分に比べ小さな身体。細い手足。まだ少女。この地のつぼみのように、花開くのを待っている。
 振り返れ。こちらを見ろ。見つめる先には空があるが、それよりも向こうの、風の行く先を見ているのは確かだった。お前が心を残すのはそこではない。無機質で冷たく重い灰色の故郷ではなく、軽やかに舞い上がるエリカの故郷。それが。
「――!」
 まろぶような舌足らずの声がして、足下を何かが踏みしめて行った。視界に現れたのは柔らかな身体、ほぼ丸い固まりだ。たどたどしく大地を行くのは赤子。誰の子かは明らかだった、赤子は彼女を呼んだのだから。そこで、彼女はようやく振り返った。
 色彩の薄い、赤みの強い茶系の瞳。微笑んだそれ。
 彼女は膝を屈め両手を広げて赤子を迎えた。到達した子どもはぎゅうと抱きしめられ笑い声を上げる。抱きしめあう母子は、見つめているこちらには眩しく、泣きたくなる気持ちを刻み付けていく。いつしか暮れていく太陽が空と大地に光を残して、美しい星々が朝と昼と夜が混在する風景を作り出し、彼女と子どもを影にする。
「――」
 こちらを見つめた彼女が名を呼ぶ。しかし、どんな表情をしているかは分からなかった。静寂というすべてを含んだ大気の下、大地に一斉に花開くエリカや、ありとあらゆる野の花びらが舞い上がり、美しい色に世界を染めていった。それで。
 ――ああ、愛を交わしたのだな、と。そう思った。



 目覚めた彼にはあまりにも美しい夢だった。





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