―――― 心 象 風 景 B


 ぱあんと弾けるようなクラクションの音がして、ふと自分がどこにいるのかを思い出した。歩道では影のようにヒトが行き交い、こつんこつんと規則正しい靴音がやって来ては遠ざかっていく。灰色の少しぷっくりとした長方形の石が均等にはめ込まれた歩道は、なんだかおもちゃみたいにかわいらしい。ふわりと髪が巻き上げられ、なんとなく頭上を見上げれば閉鎖空間のような印象を持たせる、都市ビルの群れによる狭い空。曇りなのでわずかに銀がかった空が見えた。
 びゅんと切るように走っていく乗用車に眉をひそめる。荒い運転などして何が楽しいのかと思い、何をしてたっけとぼんやりと考えて、冷たい手をこすりあわせた。冬だ。この冷たさは。首に巻いたマフラーごしに空気が白く吐き出される。その白さと手の冷たさは、誰か待ち人があることを思わせた。でも、一体だれを?
 影と光ばかりが行き交う道を眺めて、あの人でもないこの人でもないと考え始める自分がいた。みんな影ばかりだ。自分の元には決して来ないと分かっている、誰かの影であり、分身。なら私はなんだろう。手は冷たくて息は温かい。血が通っている私。多分、ここを行くヒトたちにとって、自分はただの影なんだろうと思う。あっても実体でないから気付かない存在。みんなが知っているわけではないもの。
 ああ、会いたいな。そう思うのに、誰も来ない。手は冷たくなっていくばかりで、身は凍えていく。世界はいつも通りの平穏さで進む。誰かが灯をともさなければ。そう、世界を変えられるのは私だ。私の世界を変えられるのは。
 そう思って歩き出す。影にぶつからないよう、行く先を見失わないよう。都市は中心部は市庁舎などを建てた政治街で、その周りを金融街や工業区域、住宅街などが区画に分けて建てられている。病院や食料品店など生活に必要なものは点在している。その都市を真っすぐに突き抜けて、東へ。
 段々建物が少なくなり始め、工業区域に出た。そこを突き抜ければ、都市をぐるりと取り囲むゲートがある。そこには常に誰かが立っているはずで、そして警報などがあるはずなのに、何故か誰もいない。そのことを別段不思議に思うことなく、ゲートを手で押し開いた。
 光が広がる。夜明けが来る。吹き付ける花びらが、風と一緒に春を連れてきたことを告げていた。風が優しい。荒れ狂うビル風とは似ても似つかない、歓迎する風だ。
 胸が甘い色の空に締め付けられただけでなく、そこに誰か影になって立っているのを見て高鳴った。ああ、そこにいたんだ。笑って、一歩踏み出した。抱きしめなくちゃ、大丈夫って言わなくちゃ、一緒にいたいって言わなくちゃ。たくさんしなければならないことが浮かんで、そういうことはとても幸福なんだと知った。伝えたら、笑ってくれるだろう。抱きしめてくれるだろう。大丈夫だって言って、一緒にいてくれる。
 きっとあの人はこうして来てくれるんだから。
 都市の空に薄紅の花が舞い上がる。それはグレイの空に吸い込まれるように消えていった。鮮やかな跡を残して。



 ――そんな恋をしたのだと、顔を覆った。





|  HOME  |