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「あ」
 しまった、見つかった。そんな子どもじみた狼狽え方をして、誤摩化すように彼女は笑いかけた。その笑顔を目の当たりにしたオリガのこめかみは、胡桃を握りつぶす筋肉男も顔負けというくらい、ぴきりと引き攣った。お愛想で貼付けた笑顔も、出来の悪い仮面のように最低だったはずだ。
「……ここで、何を、してるのかしら?」
「えっと……ケーキを食べに……」
「お抱えの料理人でも作らせたら。いーっぱい、いるんでしょお?」
 嫌味な言い方になったのは半分無意識だった。
「小麦粉と砂糖はそんなに豊富にあるわけじゃないから……生クリームも贅沢品だし……そもそも風習じゃないし……」
 ほお、と唇を裂くようにオリガは笑った。なかなか小賢しいことを言う。……別に小賢しくともなんともないのだが、その時オリガはそう思ったのだ。何故なら、そこにいるのは、ここにいては『絶対に』いけない人、だったのだから。
「あー!!?」
 追い付いてきたキャロルの隣にいたリュナが、素っ頓狂な声をあげた。
「アマーリもごっ!?」
 ナイス、キャロル。



 自然体で、最近の流行である生クリームたっぷりのロールケーキにフォークを入れる、友人の姿を見る。小作りの顔、澄んだ気配は変わらないが、におい立つような気配をオリガは鼻に感じ取った。香水をつけているわけではない。におうのだ。肌に染み付いた、別の人間の濃い気配を。
「なんかー……」
 リュナがフォークをくわえながら、ちらちらとアマーリエを見た。
「変わったよねえ、アマーリエ」
 言うかそれを。オリガはコーヒーに口を付けながら、彼女の返答を窺う。
「そうかな? 変わったつもり、ないけど」
「こうしていると、昔に戻ったみたいね。大学の帰りにお茶して……って」
 キャロルがゆったりと話題を転換する。少し触れられたくなさそうだったアマーリエの目も柔らかくなった。
 今日の彼女は、ジーンズ、インナーに黒い七分袖を着て、その上から紺色に白い水玉の散ったブラウスを着ていた。二十一歳。年齢を考えればおかしいところはなく、普通の、本当に街のどこにでも歩いている女子大生の服装なのに、オリガの中で、彼女は時代錯誤的な豪勢な衣装を着たままなので、目の前にそんな風に座っていられると、あれが映画かドラマだったのではと思ってしまう。
「うん。すごく、懐かしい」
「今日は一体どうしたの? アマーリエ、そんな簡単に動ける身じゃないでしょう?」
 友人の言葉が好奇心が控えめだったからだろうか。正直な苦笑を向けられてしまった。
「うーん、と……色々あって」
 政治絡みだな、とぴんと来たのは当然だった。
 オリガを含む、キャロル、リュナ、ここにはいないがミリアという大学で繋がったアマーリエの友人は、全員彼女が一度心肺停止した現場にいた。その後、彼女が蘇生し、『何か』になったことは、リュナやミリアはともかく、オリガとキャロルはなんとなく察していた。慌ただしく行き来する医師や看護士たちから情報は集めきれなかったが、後にオリガのところには、市庁舎から役人が来て、様々な贈り物をくれた。何故受け取ったのかについては、固辞すれば信じてもらえないか、どうなるか分からないと思ったからだ。だからオリガは大学卒業後、第一都市での病院勤務と一定の『ボーナス』が決まっている。尋ねたことはないが、各々多少の違いはあれ、同じところだろうと思っている。
 だからキャロルは聞かなかったのだろう。「それって」と穏やかに言うのだった。
「ご主人が許してくださったの?」
 これにはどうしてかアマーリエがむせた。キャロルがさっとナフキンを差し出し、リュナが背中を叩く。
「どうしてそこで噴き出すの?」
「え、あの、みんなの口から『ご主人』って単語が……」
 そぐわない、とアマーリエは言う。キャロルは首を傾げたが、オリガにはなんとなく分かった。リュナの方は無邪気に頷いていた。
「だよねえ。『王子様』って感じだもんねえ!」
 今度は真っ赤になった。忙しい。
 しかしその反応は面白かったようだ。リュナが笑いながらアマーリエを覗き込む。
「旦那さん、優しい?」
「え?」
 オリガには、リュナから黒い尻尾が生えているのが見えた。
「優しい?」
「え、えっと、……うん」
「どんな風に?」
「どんな風に!? その、ええと、……いたわってくれる、かな?」
「大切にされてるなあって思うときってどんなとき?」
「え、ええー……?」
 オリガは止めなかった。キャロルもそうだった。多分、同じ理由だ。
 他人の恋バナほど、面白い話はない。
 何せアマーリエが赤面し、狼狽えるものだから、突っつきがいがあるのだ。
「愛されてるなあって思う?」
「それは、もちろん……」
「この人はずかしい! って思ったことない?」
「それは……ある」
「いつ?」
「そもそもの出会いからしてぶっ飛んでたっていうか……」
 リュナが興味津々で聞き出し、オリガとキャロルは相槌に回った。なかなかに、ものすごい日々を過ごしていたようだ。
「仕事の邪魔はしないようにしてるんだけど、そもそもちょっと部屋に近付いた時点で気付かれてさらわれることが多くて……」
「さらわれる?」
 次第に饒舌になってきたアマーリエは、心底疲れた顔で言った。
「執務を放り出して、私をだっこするのに執心して、私は、部屋から出られない」
「…………」
「…………」
「…………」
 重症だ。
 アマーリエには子どもがいるが、夫婦仲は変わらないらしい。もしかしたらこちらが知らないだけで、更に仲は深まっているのかもしれない。はあ、とため息が洩れたのは、それでいいのか? と疑問に思ったからだ。いくつもの面白おかしい週刊誌やスポーツ新聞の見出しを思い出しながら眉間に皺を寄せる。夢の王子様を地でいくのはちょっと犯罪ではないだろうか……。
 ふと気付いた時、アマーリエの背後に人影があった。はっとしてオリガが腰を浮かすと。
「――……それは」
 とてつもない美声が言い。腕が伸ばされ。
「――こういうことを言うのか?」
 アマーリエの肩に手を置いた男性をようやく明確に認めて、オリガは目を見張った。
「り……」
 背後に立っていたのは、束ねた黒髪を身を屈めた途端にさらりと零し、緩く微笑む美貌の男性だ。彼を見れば、誰もが見覚えがあるなと首をひねるだろう。彼は数年前、テレビで繰り返し流れた、異種族リリスの族長だった。
「きっ! ……ヨツグ様……」
 叫びかけたアマーリエは声を落とし、身を縮こまらせた。その様子を愛おしい目で見つめた異種族リリスの族長は、人間ではない変わった形をしているが、柔らかな眼差しでオリガたちを順に見る。
「初めまして」
「はっ、じめまして……」
 声も裏返ろうものだ。居心地悪いのは、ここにいる三人に共通している。異種族というものを初めて目の当たりにしたこともあるし、何よりリリス族の族長は美形すぎた。服装こそ都市の男性と変わらない、少しだけ胸元を開いたシャツに細身のジーンズという姿だが、漂う気配はどうしようもない。先程から、カフェの人々の目が向けられている。
「妻から話は窺っています。彼女と変わらぬ友人でいてくれて、ありがとう」
「いえ、そんな……」
「こちらこそ、彼女とまだ友人でいられるとは思ってもいませんでした。……ありがとう、アマーリエ」
 真っ先に立ち直ったのはキャロルだった。アマーリエは戸惑った目を向けるのに、彼女は微笑んだ。
「だって、ミリアのメールのせいでしょう? あの子、私とここに来た時、『このロールケーキ、アマーリエと一緒に食べたかった』って言っていたもの。メールしないはずないわよね」
 カボチャと栗のロールケーキを見る。
 では、この子は最初からでくわすのを目的としていたのか。それも連絡もせず会える確率も低いのに。アマーリエが気まずそうにしたのを、優しく声を立てて族長が笑った。
「……良い友人殿たちだ」
「はい」と生真面目に、しかし幸せそうに頷いたアマーリエは、きっと彼に対する彼女の素だった。そして、彼もそうだった。
「……名残惜しいが、そろそろ行かねばなるまい。予定が押している」
「予定より採血が長かったからですね……すみません」
「謝る必要はない。……ところで、その食べ物をもらっていいか」
 どうぞ、とアマーリエが自然に皿を持った。そこまではよかったのだが、更に取り上げた皿の上のケーキを切ったものを刺したフォークを口元に差し出したので、驚いた。それに対する族長も、自然と口を開け、ケーキを咀嚼する。さてその味は。
「…………面白い、味だな」
「こういうお菓子はありませんものね」
「……雲を食べているようだ。……甘い」
 笑ったところを見ると、それなりに口にあったようだ。カフェのパティシエに代わって胸を撫で下ろすオリガたちだった。
 それじゃあ、とアマーリエが席を立つ。立った彼女を自然と彼の手が導き、左腕の前へ収めた。
「ありがとう。ミリアによろしく言っておいて」
「アマーリエ!」
 声が大きかった、とオリガは一瞬怯みながら、つんと唇を突き出し、軽く手を上げた。
「……今度はちゃんとミリアと待ち合わせて。あの子、わたしたちが抜け駆けしたって、明日絶対怒るんだから」
「ばいばい、アマーリエ」
「ばいばーい」
 アマーリエはいい顔で笑った。
「うん、またね」
 残された三人で、どこか夢見心地で二人の姿を見送った。背筋を伸ばし胸を張り、道に選ばれたように行く二人の姿は雑踏に溶け込むには風変わりで、しかし寄り添っていくのはありふれた恋人同士のようだった。彼らに降った運命の数々を、オリガはきちんとは知らないけれど、これだけは言える。
 あの二人は、今とても幸福なのだ。
 そしてその幸福は、私たちと変わらない。
 手元のケーキを口に運び、にっこり笑ったリュナが幸せな感想を述べた。
「なんか……いい夫婦って感じだね」

101122初出 101128改訂





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