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 誰かに甘えるのが苦手だという自覚が、アマーリエにはある。例えそれが、必ず甘やかしてくれる夫であっても、居心地の悪さをどうすることもできずに持て余している。
「甘えるって、どういうことなのかな……」
 しかし、こうして口にできるだけ進歩したのだ。以前は誰にも言えなかった。
 そして、そうした相談は、もっぱらユメやアイにするようになっている。稽古事も仕事も終わって一息、自分の部屋でお茶を飲みながら、書物を繰ったり、女官たちとおしゃべりをしたりする時間だ。
 側付き兼護衛のユメと、今日は近くにいたアイが顔を見合わせた。普段、アイは別の仕事についていて不在のことが多いのだが、たまたま話をすることがあって姿を見せていたのだ。
 アイは、にっこり笑った。回答をユメに譲ることにしたのだ。ユメは苦笑しつつ、アマーリエに向き直った。
「自分の弱い部分を見せて、慰めてほしいとねだることではないでしょうか」
「ねだる……」
「簡単に申せば、何かお願いする、ということでしょうね」
 お願いかあ、と考え込んだアマーリエの周りで、女官たちが口々に言い始める。
「新しい衣装や宝石をいただくとか、そういうこと、まったく真様はなさいませんものね」
「それどころか、外出着以外は着古したものでいいとおっしゃる」
「その外出着は、さんざん説得した末に『基本的には』新調するということで決着がついたのでしたわ」
 一度袖を通したものを処分する、ということも、慣れないことの一つだ。室内着は同じものをルーティンすることになったが、外出着だけは許されなかった。今では、高価なもの、由来のあるもの以外は、下賜するということでなんとか落ち着いている。
「だって、ここで着るものは、みんな目の玉が飛び出るくらい高価だから」
「真様は欲がなさすぎです! ファ家のご令嬢方がどのくらい衣装や美容にお金をかけているかご存知ですか!?」
 と、女官たちはどこの誰が高価な衣装を着ているか、という話を始めてしまったので、アマーリエの疑問は、そのまま夕方まで持ち越すことになってしまった。

 夕暮れの庭を散策するのは、夏が終わりかけた時期から始めた日課だった。ここはあちこちに庭があるので、冬が近い時期になっても、まったく飽きない。木々を植えた自然そのもののような場所もあれば、今アマーリエが歩いているような、池に橋を渡し、小道を作って歩くためのものも、小さな庵や東屋をしつらえた場所もある。
 秋が近づくと鳴く虫の声が心地よくて、そのひそやかさを邪魔しないよう、行先だけを告げて一人で歩く。多分、それを許されるのは、アマーリエに一人になる時間を与えた方がいい、と判断されてのことだろう。一人は嫌だけれど他人に囲まれ続けるのも辛い、と感じていることを、アマーリエに近しい人々に見透かされている。
 ――もっと甘えてはどう? と提案したのは、アマーリエの義母に当たるライカだった。二人きりになった時に、ライカが言ったのだ。
「あなたが甘えないから、キヨツグも寂しい思いをしているのではないかしら」
 十分甘えている。負担になりすぎない程度の政務も、自分の時間をもらえることも。衣食住を保証されていること。絶対に守られていること。だが、感謝の言葉を伝えても、それはただの感謝でしかない、とライカは言うのだ。
「甘えるというのは、そういうことではないのよ」
 それで昼間の「甘えるってどういうこと」という問いなのだった。結局、よく分からない。ユメは弱いところを見せることだと言ったけれど、金銭や時間といったものに負担をかけて、さらに精神的に負担をかけるなんて、とても出来そうになかった。
「あ……」
「…………」
 小道を曲がったところに、キヨツグがいた。まるで待ち伏せていたかのようだ。アマーリエは小走りになって彼に駆け寄った。
「どうしたんですか、こんなところで。何かありましたか?」
「……ここにいると聞いたゆえ、立ち寄っただけだ」
 キヨツグは、常に仕事をしているのかと思えばそうではなく、空き時間があるのにそれを仕事に充てるだけのことで、時々こうしてアマーリエと会う時間にしてくれる。
 日がゆっくりと傾いていた。金色の夕日と影になった木々、落ち葉の鮮やかな色調もまた、キヨツグによく似合う。
「……何かあった顔をしている」
 ふとキヨツグがそう言った。
 うまく、笑えなかった。一瞬表情が沈んだのを、彼は見逃さないと分かっているから、観念して説明した。
「甘えるってどういうことだろうかと、考えていました……。今でも十分、キヨツグ様にもみんなにも甘えているように思うんですけど、それは違うって。そうなんでしょうか」
「……個人的な意見だが、確かに、十分、というわけではないように思う」
「えっ、そうなんですか!?」
 予想外の返答にアマーリエは驚き、そして考え込んだ。これ以上甘えるとなると、やはりわがままになってしまうのではないだろうか、と思ったのだ。
「……誰に何を言われたのかは想像しかできぬが、その者は、お前に『もう少しわがままになれ』と言いたかったのではないか。私も、お前はもう少しわがままになればいいと思っている」
「今度は『わがままってなんですか』という問いにはまりそうです……」
 甘えることとわがままは近しいのか。とすると、自分はわがままを言うのも苦手だということか。確かに、何かを捻じ曲げてまで欲しいと思うことは、あまりない。
 だが、ライカは、キヨツグがそれを寂しいと感じているのではないか、という。負担をかけないことが、寂しいとはどういうことだろう。
「その……キヨツグ様は、どういうときに甘えられていると感じますか?」
「……お前はどうなのだ」
 問いは、問いで返された。
「私? 私ですか? どういうときに甘えられていると感じるか……?」
 思い浮かんだのは、膝枕、だった。
(えっ、ちがっ、そういうことじゃないんだけど!?)
 だが、思考はアマーリエの制御を離れ、膝枕を要求されたり、キスを求められたり、手をつないでいいかと尋ねられたり、といった光景を示してみせる。
(そういうことじゃない、そういうこと、じゃ…………、…………そ、そういうこと、なの?)
 きっと、顔が真っ赤になっていることだろう。今にも座り込みたいアマーリエに、キヨツグのかすかな、それと分からないほどの笑い声が降る。何を想像したのか知られたら恥ずかしくて死んでしまいそうだったけれど、尋ね返してきたということは、彼の答えも、アマーリエと似たり寄ったりの可能性があって。
(こ、これは聞くとまずい! なんだかまずい展開に持っていかれる気がする!)
「……何を想像したかはあえて聞くまい。つまり、そういうことだ。それについても、もう少し甘えてもいいのではないかと、私は思っている」
 詳細を聞いていないのに断定的に話しているから、アマーリエが何を考えたかはお見通しのようだ。今自分は、首や耳までも赤くなってしまっているに違いない。
 ライカの言葉の意味がよく分かった。甘える相手が異なると、甘え方も変わる。融通してもらうなどの「甘く見てもらう」ことと、秘め事めいた「甘やかしてもらう」ことがあるのだった。
 そして指摘されたのは、アマーリエが周囲に甘えられないことに伴って、キヨツグに甘えられていない、ひいては愛情表現が薄いということ。
(だ、だからといってどうすれば……!?)
 すると、心を読んだかのようにキヨツグが言った。
「……分からぬというのなら、『甘えていいですか』と尋ねれば良いだけのことだ。私が相手の場合は、特に」
 アマーリエは顔を覆いたくなった。消えたい。消え入りたい。それこそ甘くとろけるような眼差しで言われるものだから、期待されていると分かってしまう。
「……欲しいのなら欲しいと言いなさい。言えている時もあるのに、夢中で覚えていないか」
 尋ね返そうとして、よみがえった光景に今度こそ全身が火を噴いた。
 彼がそれを言うのは二人きりの時、夜も更けた寝間の――。
「きよつぐさまっ」
「……口付けが欲しければ与えよう。温もりが欲しければ存分に。甘えていいかと尋ねられれば、嫌になるくらい甘やかしてやる。分からぬというのなら、知っていけばいい」
 抵抗を試みたのは一瞬。包み込まれるようにして片腕に抱かれ、一方の手で顎を取られて、目を閉じるよう促される。
 甘えることが自然にできるようになるまでどれくらいかかるのか。
(甘えるって、難しい……!)
 口付けを受けながら、なんだか、いつまでも慣れない気がするアマーリエだった。

161122初出





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