いつ見ても都市の光景は威圧的だ。建造物はうずたかく、風のように疾走する乗り物が溢れ、道は全て舗装され、街の形は洗練された多角形に整備されている。都市という生き物がいるのなら、人間は小さすぎるくらいだった。都市に暖かみはない。履き慣れぬ革靴の底から冷気が感じられる。光が灯るらしい支柱は、金属で実際に冷たかった。
 都市という、ヒト族の文明が生まれて三百年。特にこの五十年の発展は目覚ましかったという。失われた歴史時代から、更に遡った文明に、彼らは追い付いたというのだ。
 機械文明を受け入れない、騎馬民族である異種族リリス側から見れば、抱く思いは、脅威と驚嘆だ。リリスは長寿、リリス族として生まれた信念がある。――同じ文明を持って迎合してはならない。崩壊へ到るものの抑止力となるもの。守護者リリス。
 しかしこのままでは、とキヨツグは懸念していた。このままでは、ヒト族に他種族は呑み込まれるだろう。対等であるために、このまま凝り固まった状態では、石を粉々にするように消え去るだけだと確信していた。
 きつく睨み据えた人混みの先から、一人の少女がくっきりと浮かび上がった。六、七歳だろうか。富裕層の子らしく見えたのは、行き交う人々と比べて少し浮いた服装をしていたからだ。白い細かな透かし編みを襟や袖や裾に施した、黒い衣装を着ていた。
 あの子どもが大人になった未来、世界はどうなっているのだろう。
 繋ぐつもりもなかった何かがふっと混じり合い、キヨツグは少女と視線を交わした。その、他者の憂いを否定するような強い瞳。このさきも生きていくことを感じている、強さとも弱さともつかないもの。彼女の瞳には、普段は忘れ去っているはずの確かな死への足取りがきっちりと刻み込まれていた。だからその目は、いつか死ぬことを理解している瞳だった。
 彼女はこちらに何を見たのだろう。少し不思議そうに瞬きした後は、あっさりと目を逸らして真っすぐ、こちらの背後に向かって歩いていく。
 すれ違う。甘い香り。
 キヨツグは振り返ろうとはしなかった。ただすれ違う、それだけのことだと思った。だから、そろそろ戻りましょうと護衛から声がかかり、頷いて、一歩踏み出した。
 その時足下に花が落ちていることに気付いた。拾い上げてみると、造花だった。さきほどの少女だろうかと思い、誓いを破るように、追うように振り返った。彼女が戻ってくる気配はない。凛とした背中を見せつけて歩いていく。声をかけることは躊躇われた。
 少女は、これからも進んでいく。障害に遭うだろう。立ち止まってしまうだろう。振り返ることもあるはずだ。その歩みを留めてしまうことは、キヨツグには出来なかった。
 手の中に残された花は、淡い薄紅色をしていた。それを手に歩き出す。人の流れに逆らうように、人混みの中へ。

   *

 アマーリエの部屋に近付くにつれ、女官たちが慌ただしく行き来しているようだ。すれ違う彼女たちから礼を受け、彼女の元へ辿り着くと、女官たちの一斉の礼とアマーリエの笑顔に対面することになった。
「……この騒ぎは?」
「子供部屋の整理をしようということになって。キヨツグ様の使っていた玩具が、たくさん出てきました」
 ほら、とはにかんで差し出されたのは積み木を収めた箱だった。ひとつひとつ、かなり使い古して、色が褪せてしまっている上に、歯形かぶつけた跡かが見られた。これを使って遊んでいたのは、もう三十年近く前のことであろう。長寿の性質として二十代の外見のキヨツグにも、思わず年寄りじみた苦笑が浮かぶ。
 アマーリエの求めに応じてか、女官たちはせっせと木馬などの大きな玩具を拭いて磨いている。使うつもりなら、キヨツグに異存はない。しかし、ねじなどが緩んでいないか確かめておく必要があるだろう。
「小物がたくさん入った箱も見つけたんですけど……キヨツグ様の宝箱みたいな」
 目の前に持ってこられた箱の模様を見た瞬間、キヨツグは頬を緩めた。頷いた。
「……懐かしいな。これは色々なものを放り込んだ箱だ」
 木箱の表面には、細かな彫刻がされている。花と竜を象った細工物だ。確か、気に入ったのを感じ取った母が、優しさで譲ってくれたものだった。物をねだった覚えがないので、余程気に入って見ていたのだな、と昔の自分を懐かしく思う。
「開けてもいいですか?」
 目を輝かす彼女に、キヨツグは頷く。
「……確か、部屋を移るまで持っていた」
 子供部屋にしていた後宮の一室から、族長になるに当たって、族長の住まいである紺桔梗殿に移った際に、どこかへいってしまったと思っていた。
 箱を開いた途端、埃っぽい、木の匂いが漂う。
 わあと声を漏らして、アマーリエの目がきらきらと中身を行き来した。透き通った硝子玉、蜻蛉玉、すっかり黄ばんでしまっているがかつては美しかった和紙、つるりとした石、絵を描いた貝殻。閉じ込められた古い時間を感じさせるものの中に、不思議と目を引くものがひとつ。
「あれ? これって……」
 アマーリエの手が、乾いて褪せてしまった花をそっと拾い上げる。
 それでも花びらは崩れない。枯れない花だ。
「コサージュ? ヒト族のものですよね。どうしてリリスに?」
 彼女の声に女官たちが集まってくる。ひっくり返してみて、彼女は確信を深めたらしい。金属部分が口を開けるように広がり、こうするのだと言って、花を胸に添えた。
 その花はそこにあるべくして咲いたように思えて、キヨツグは緩やかに瞬きをする。
 どこか遠い記憶が囁いている。しかし掴み損ねて、目の前の笑うアマーリエしか目に入らない。
「キヨツグ様?」
 首を傾げるその仕草も、声も。
 愛おしくて、キヨツグは彼女を引き寄せた。
「え、え?」
 不意をついたのか、ことんと彼女が胸にもたれてくる。頬を寄せると、腕が突っ張られた。
「あああああの、みんな見てるんで、その……!」
 恥ずかしい、というのだろう。真っ赤になってこう激しく反応するのは、キヨツグとしても楽しい。いつになってもこうであってもらいたいものだと、彼女からしてみればひどく勝手なことを思っている。
 キヨツグは離してやりながらくつくつと笑った。
「……妻になっても変わらぬな、お前は」
 嫌味な笑い方になったのだろうか、キヨツグとしては楽しかったのだが、妻はふるふると震えている。それを見て女官たちが楽しげに忍び笑い、またそれに羞恥心を覚えるのか、真っ赤な顔をしていた。
 見かねた女官が仕事の続きを指示し、彼女を取り残して周囲から明るい返事が上がる。
「……宝物、どうしますか?」
 ぼそぼそと少し気まずげに言うので、考えた。
「……お前を中に入れて持っていこうか」
「キヨツグ様っ!」
 悪ふざけが過ぎたようだ。降参と両手を上げた後、キヨツグは仏頂面のアマーリエの頭を撫でる。
「……すまなかった。箱の中身は好きにして良い。そうだな……」
 と箱に戻されていた造花を拾い上げる。
「……これは貰っていこう」
「はい。お仕事に戻られます?」
 頷くと、いってらっしゃいと言われた。
「いつでも待ってますから。こうして会いにきてくれると、しあわせです」
 長寿の異種族リリスの王宮の中に、ヒト族の二十代の娘が一人。
 こうして彼女がいつでも笑っていることは、キヨツグにとって喜びだった。
 アマーリエ・エリカ。リリス族長、キヨツグ・シェンの、ただ一人の妻。

   *

 少女は呼び止められた気がして振り返った。なんとなく、さきほどすれ違った背の高い男の人だろうか、と思ったのだけれど、もういなくなってしまっていた。
 風が吹いて乱れてしまった、過剰なレースのついたワンピースのリボンを直す。そして、コサージュがなくなっているのを知った。大きな薄紅色の花は、汚れた石畳のどこにも見当たらなかった。
 風が連れ去ってしまったのだろうか。冬の、乾いた香りのする風が。
 いいよ、あげる。そっと呟く。花の咲かないアスファルトと鉄筋の街で、どこかで花が開くのなら、それは心楽しいことだ。
 そろそろ戻らなければ。離婚してから両親の空気は若干和んでも、この時期の食事会は結婚していても険悪になってしまうのが少し嫌だ。けれど、笑おう。両親に笑いかけよう。美味しいデザートを食べて。少しずつ大きくなろう。一人で生きていけるようになったら。
 心配しないで。もう大丈夫だよ。生きていけるから。
 言えることが、きっとある。
 六歳のアマーリエ・E・コレットはもう一度振り返ってそれを探したが、見つけることは出来なかった。だから、前へ進んだ。一人で、その道を。
 いつか彼と交わる、その道を。

GRAYHEATHIA小話ペーパー再録 100110初出


永遠の花がまだ生まれていない種の頃







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