―――― さ よ な ら を み と め る ま で
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 綺麗だね。突然漏らした言葉に彼女はちょっと驚いて目を見張った後、明らかに初対面の男と気軽に言葉を交わすようなコミュニケーションスキルのない困った微笑みで言った。
「そうですね。光の梯子みたい」
 君が見ていた空じゃない。
 僕は、空を見ている君のことを言ったんだ。

   *

 飲み会に女子を招く場合、仲間内では、飲み屋は明るめのチェーン店を選ぶことになっていた。薄暗くては警戒されかねないし、こちらの品位を落としかねない。ルーイたちは都市が運営している都市立大学の学生で、女性たちはこのネームバリューにつられてやってくるのだ。自分たちの評価は最初からおおむね高い。医学部学生という将来性、若くて顔がいいという容姿面、そして、大学に通えるだけの財力。
「ええー、ノルドって弁護士一家なんだあ」
「なのに医学部なの、どうしてー?」
 友人のノルドは、左右の女子から質問を受けて笑っている。彼女らはすでに半分酔っているらしく、ファンデーションを叩いて白いはずの頬が薄く赤い。ノルドのグラスは確か二杯目、それも飲み会開始一時間半の時点だから、彼がかなりセーブして飲んでいることは明らかだ。かと思うと、左右の彼女らにはどんどん酒を勧めている。酔った勢いでお持ち帰り、それも二人とも、と見た。女性たちそれぞれの隣の席にいる男どもは、それに気付いているのか若干ふてくされているようだ。新しいグラスを求めている。ピッチが速い。
 こうなるともうみんなで飲んでいるという雰囲気は崩れてしまっていて、そろそろ次の場所へという話になりそうだ。冷めてしまった軟骨の唐揚げを突く。
「ねえ」
 ちょんちょんと肘をつかれてルーイは右隣を見やった。
「ルーイさんって、こういうところに来るの、めずらしいよね」
「そうかな」
「うん。ねえ、彼女と別れたの?」
 彼女、という言葉に焦げ付いたものを感じたのは、ルーイがまだ燻っているからだろう。思い出せば彼女の側から吹いてくる風、静かで春間近の温かい気配が自身を取り巻いているような錯覚を覚える。澄んだ水みたいな子だった。小川とか、晴れた日の雪とか。
「……彼女、じゃなかったけどねえ」
「ふられたの?」
「それ聞くの?」
「そっか。そうなんだ。……ごめんね」
 女子は突然殊勝になった。
 よく見れば彼女は、ストレートの髪と赤茶色の瞳をした小柄な子で、じゃれつく様は子どものようだけれど、こうして気遣いも見せることができるらしい。ノルドの側で高い声を上げる女子たちとは少し違う。
 ――比べて、共通点と相違点を見つけてしまうのは、まだ仕方がない。
「もしかして、無理矢理連れてこられた?」
 突然話が変わったことに、彼女がえっと驚く。じっと見ていると、もじもじした挙げ句、こっそりという感じで、頷かれた。
「人数合わせにって。でもルーイさんがいてほっとした。メンバー聞いて名前だけ知っている人が多かったけど、私、この中でちゃんとしゃべれそうなの、ルーイさんくらいしかいないもん」
 はにかんだように笑う。なんとなくときめくものを感じて、ルーイは言った。
「出るよ」
「え?」
「僕が先に出るから、十分したら出ておいで。どこか静かなところに行こうよ」
 店を出る。三月を目前にして昼間は暖かくなりつつあったが、夜はまだ冷えた。
 都市の商業区の飲食街には、仕事帰りと思われる多くの人間や、自分たちと同じような飲み会の学生たちが、楽しげに笑って歩いているのが見受けられた。第二都市は、ヒト族都市文明の歴史から見て二番目に古い都市だが、第一都市と建設時期はほとんど変わっておらず、建築物の区分制を採用している。商業区ならショッピング街、飲食店、金融区なら金融街というように。都市が認めた区以外でその仕事をしようと思ったら、別に税金がかかってしまう。自然、人が集まるところは決まる。ここはいつまでも明かりがあって、温もりがある。
 明るさは寂しさを埋める。明るさは温もりにつながる。
 だから飲み会に来てしまったのだろうか。彼女を作る気もないのに、集まりという雰囲気だけを求めてしまったような気がした。
 そんな風に考えていると、本当にきっかり十分経って少女が出てきた。ルーイは片手を上げて呼び寄せ、並んで歩き始める。健全な大学生がこの次に行くところは決まっているようなものだった。
 温もりは寂しさを埋める。
 二人で入った個室の、椅子の上の彼女の荷物がある。バッグ一面に散らされたロゴを見ればそれが高級バッグだと分かる。真贋を見極める目を持っているわけではないが、偽物を持つようなことはないだろう。ブランドって好き? とルーイは彼女に問いかけた。ブランドっていう名前は好きと彼女は答えた。
「どういう意味?」
「詳しくない人からすると、ブランドってだけでひとつのくくりになっちゃうの。どこそこっていうブランドだからっていうこだわりがないんだよ。『ブランド』って名前だけあったらいいの。私みたいなのはいっぱいいて、その人たちはその『ブランド』って名前だけど名前じゃないものがあるだけで価値を認めてくれるからね」
 つまりね、と彼女は寝返りを打つ。
「ブランドを持っているっていうこと自体がブランドであって、価値なんだよ」
 ふうんと相槌を打ち、ルーイは彼女にのしかかる。そうすれば、それ以外のことを考えなくていいのだから。
 合間合間に話を聞いた。彼女の名前、出身。彼女自身はどんな仕事をしているか。家族構成、家族の職業。祖父が議員だったという。どうやら裕福な家庭のようだ。語ったそれを薄めるように、誰々の家も、誰々のところもそうだよ、と言われた。さて、あの女子メンバーを招集したのは誰だったかなと考える。ノルド好みの面子にしては、しっかりした家柄の子が多かったようだ。
 自分には劣るが、なかなかの家の子だ。可愛いし、彼氏がいたようだし、おかしいところもない。何より、こちらに好意を持っている。好意を持った相手と付き合うのは、とても楽だ。好きだと分かっていたら、そう特別なことをしないでもいい。理想を壊さないように適度に付き合えば納得する。逸脱しなければいいのだ。
 お互い探りながら付き合っていくのは面倒だ。選ばなくてよかったのだ、とルーイは誰ともなしに言い聞かせる。
「僕のこと、好きでいてくれる?」
 彼女は蕩けた顔で微笑んだ。
「好きよ。ずっと、好きだった」

   *

 アマーリエの姿を見ないようになったのはあんたのせいでしょ。
 後期が始まってしばらく。雪のちらつく中、身を縮めながら生徒が校舎へ逃げ込んでいく渡り廊下で、顔を合わせるなりそう言った知り合いに、ルーイは困惑した。
「見ない? 確かに、最近見かけないけど」
「退学したのよ」
「退学!?」
 思わず声が高くなった。それを、じろりとオリガは睨みつける。
「どんな下手うったらそういうことになるの?」
 ルーイは弁解すべく、アマーリエに最後に会った時のことを話した。車中での会話、彼女からの答えはなかったこと。問われるままに同じ話を二度三度して、ようやく『原因』から『疑い』に多少格上げされたようだ。
「確かに、人の和を気にするあの子だもの。あんたとそういう話になって、突然姿を見せなくなったら、あんたが悪くなるって言われるの、分かってるはずでしょうし、何らかのフォローは入るはずよね」
 オリガは辛辣だが、実際は過保護だ。仲間に入れた者を最後まで面倒を見切る性質なので、こうしてアマーリエのことを気にしてやってきたのだろう。メールすべきかな、とルーイがポケットを気にした刹那、呟いていたオリガの目がぎん! と光った。
「絶対メールしないで。というか、あの子にもう接触しないで」
「君にそんなこと言われる筋合いないと思うけど」
「そうね。でも私の印象がよくないの。特にあんたのね」
 顔をしかめてしまう。アマーリエやオリガたち一年女子と、自分たち三年男子の仲は、そう悪いものではないはずだ。
「僕、君に何か悪いことした?」
「アマーリエは市長の娘よ」
「そうだね」
「あんたは区会議員の息子」
「ありがたいことにね」
「アマーリエをブランド扱いしないで」
 ルーイが何らかの反応を返す前に、オリガは高らかにヒールを鳴らして立ち去った。大学構内の渡り廊下から校舎の床を響かせる靴音は、遠ざかっているはずなのに強く耳障りに届いた。
「ブランド?」
 アマーリエの価値。
 市長の娘だとか。教授たちの覚えがめでたいとか。かわいいとか。考えつくものはいくらでもあったが、オリガの言動の意味が分からなかった。

   *

 ルーイは区会議員の父を持つ上流階級だ。大学に行って医学生をやっているのは、兄がいて彼が後を継ぐことになっているからで、次男がなるとすれば弁護士か医者だと、母親に子どもの頃から言い聞かされてきた。医者になろうと思ったのは、将来を見据えてのことだ。これからヒト族は更なる発展を遂げ、研究者こそが高い地位を得ることになるだろう。適当に医者をやった後は、バイオテクノロジーの研究者に天下りすればいい。そう考えられる家に生まれたのがルーイだった。
 だからこそ、ひとつのスキャンダルは身を滅ぼしかねない。
 初夏に入ったばかりのある日のことだった。
「子どもができたかもしれない」。彼氏彼女という間柄になった彼女が一人暮らししているマンションにいつものようにやって来た。適当に食事をして、一段落した頃、上目遣いに話を切り出され、ルーイは愕然とした。
「子ども……」
 うん、と気恥ずかしげに両手を握りしめながら、彼女は言う。
「たまたま、会社の健康診断で分かって」
 それは『かもしれない』とは言わない。『できた』というのだ。
 沸き起こったのは、喜びではなく、怒りを含んだ当惑だった。大学生なのに。両親は何と言うか。
「でも僕たち、避妊してたよね」
「しなかった時もあったじゃない」
 そんなことはないはずだ。そんな危険を冒すはずがない。なのにはっきりと言い切れない。目の前の彼女が、幸せそうな顔で腹部を撫でている。言葉よりも圧倒的に責任を追及してくる。
「結婚してくれる?」
 急に吐き気を覚えた。目眩がして、視界が揺れる。
「ちょっと……ごめん。驚きすぎて、気分が」
「大丈夫?」
 それには答えず、洗面台へ向かった。よろめいた拍子に、うがい薬が落ちてきて手にぶつかる。悪態をつき、痛みをこらえながら、洗面台にもたれかかった。
「ルーイさん、何か飲み物買ってくるね」向こうから彼女が言い、部屋を出て行く音がした。
 吐きたいのに吐けず、代わりに顔を洗った。鏡を見上げて、たった数分の間にげっそりした自分の顔に、暗い笑いが込み上げた。
 子ども。結婚もしていないのに子ども。大学生のくせに子どもを作った。
 失敗したのだ、という思いが強かった。
 リビングに戻って、ソファに横になる。投げ出した手が、かさついた紙に触れた。今日の新聞だ。重ねて置いた朝刊と夕刊の一面記事は、どちらも同じ人物、同じ場所を、違うアングルで撮った写真で、内容も似たり寄ったりだ。
 君は忘れた頃に現れる。
「アマーリエ」
 第二都市市長の娘。異種族リリスと政略結婚した、都市の少女。かつてルーイが告白し、答えずに去った、同じ大学の学生。
 写真の少女は、髪が伸びて、ファンタジー風味の衣装のせいか華奢さや可憐さが一層際立って見えた。映画や物語のお姫様のようだ。髪を明るい色に染めくっきりとしたアイメイクの女子学生たちの中で、ありふれたファッションをして地味の類に入っていた頃とはまったく違う。お姫様のようだ。繰り返し思う。お姫様のようだ、幸せに選ばれた。
 あのまま何も起こらなければ、ルーイは彼女と付き合っていただろう。恐らくは、長く。大切にしてやれたと思う。ともに医者を目指し、志を同じくする者として信頼関係も築けたはずだ。そして結婚もしただろう。子どももいつか生まれたにちがいない。
 けれどアマーリエなら、学生のうちに子どもを作ろうともしなかっただろう。
 失敗したのだ、自分は。
「どうして君はそんなに幸せそうなんだ!」
 許せないという思いが怒りに変わり、感情に任せて叫び、新聞を握りしめずたずたに引き裂いた。それでも、ルーイの周囲にはごみの残骸がふわふわと揺れるだけで、夫となった美しい男に抱かれている写真の少女は、揺らぐことはなかった。

   ・

 電話が鳴ったことで覚醒する。振動のせいで、テーブルの上から携帯電話が落ちてがっと固い音がした。そのディスプレイの光に目を射られ、顔をしかめた。明かりもつけず、外にも出なくなってもう何日も経っている。なだめすかしたり、脅したりするメールの山はもうこりごりだった。
 しかし着信音はしつこい。軋むような身体を起こすと、画面表示は通話となっており、電話番号が表示されているが知らない番号だ。のろのろと取ろうとする。手にする前に切れたらそれで終わり。そのつもりだったが、着信は、通話ボタンを押すまで続いていた。
「……もしもし」
『突然お電話差し上げて申し訳ありません。こちら、ルーイ・フォークナーさんの携帯電話でよろしいですか?』
 想像していた女性ではなく、堅苦しい生真面目そうな初めて聞く男性の声だった。
「……そうですが」
『わたくし、第二都市市長ジョージ・フィル・コレットの代理を務めております者です。コレット市長が是非ともあなたにお会いしたいということで、わたくしがお電話申し上げました』
 コレット市長。アマーリエの父親だ。断る理由は、どこにもない。
 面会は、準備段階として身ぎれいにすることから始まった。引きこもりすぎて新聞もダイレクトメールもポストにぎゅうぎゅうに詰まっていた。鏡の向こうの自分は無精髭をはやし、ろくに食事もとっていなかったために頬が痩けていた。スーツを引っ張り出しながら、ルーイは考える。
 一体、市長が、一大学生に何の用なのだろうか。代理を名乗る男は、あくまでルーイ個人と話がしたいと言った。区会議員のフォークナーとは関係のないところで、という含みが声にはあった。
 見られる程度になったところで、マンションを出ると、黒塗りの車が一台停まっていた。表に出るなりそのドアが開いて、現れた男がルーイであることを確認した。
「ご案内いたします。どうぞ」
 あまりに出来すぎた面会に、これが何らかの罠でないだろうかと疑ってしまう。てっきり自分が赴くものだと思っていたのに、迎えの車とは。
 着いたところは高級レストランだった。名前を言えば、そこがどんなに高価な料理を出すか、芸能人や企業家が訪れて有名かが口に上るくらいの店だ。奥の個室には、ルーイが度々マスメディアで目にしていた、コレット市長その人が座っていた。
「やあ、ルーイ・フォークナーくん。わざわざご足労いただいてすまないね」
「いえ、こちらこそ、お会いできて光栄です」
 どんな話を切り出されるだろうとびくびくしていたルーイだったが、市長の巧みな話術に、酒の力もあって、いつしか笑うようになっていた。食事はとろけるようで美味、酒は高級酒で、出会い目的のコンパなどでは絶対口に出来ないような代物だ。気分が高揚し、楽しかった。目の前にいる市長が、これほど気さくだとは思いもしなかった。まるで、身近な知り合いのおじさんというような気がする。
「だから、ノルドって男は、人生でどれだけの女性と付き合えるかっていうのを試しているんですよ」
「人類の男の永遠のテーマだね。若いなあ。ノルド君に言っておいてくれたまえ、男は、四十を過ぎてからが勝負だとね」
 お互いにワインを含んだ後、ところで、と市長は言い出した。
「君は誰かいい人はいないのかい? フォークナー区会議員の息子さんなら引く手数多かな?」
 ルーイは凍り付いた。どうしたね、と市長の言葉はいたわりに満ちていて、それが、と思わずルーイは話し出していた。市長は眉をひそめたが、それはルーイに対してではないようだった。
「何かの間違いじゃないのかい。君はそんな軽卒な男じゃないだろう?」
「でも、実際に……」
「その女の子が怪しいね。調べてみようか。なに、遠慮することはないよ。市長というだけで遠ざけるのは止めてほしいな。市長でも、親しい友人には力を貸せるのだからね」
 実際は、市長は多忙の身だった。リリス族長とその妻はマスコミを騒がし、政略結婚そのものが人権問題に発展しかけていて、ジョージ・フィル・コレットはその対応に追われていたはずだ。しかしその時、美食と空気に酔っていたルーイは、思ったのだ。
 ああ、これでやっと、助かるかもしれない。
 一週間経って、一通の封書が届けられた。そこには、妊娠を告げた彼女が、ルーイ以外に長く付き合っている男がいること、その男は売れない劇団員であること、故に子どもの父親がルーイと言い切れる確率は限りなく低いこと、が書かれてあった。最後にワープロ打ちでルーイへの手紙があり、この一連の資料をフォークナー家に送り、彼女がルーイを騙そうとしていたと報告した、と書いてあった。
 その日の内に実家から電話があり、父親は、彼女に対処したことをルーイに告げ、最後に「市長がまた会おうと仰っていらしたそうだ」と言った。

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