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 澄んだ冬空に、風は唸りをあげて天空をめぐる。この大陸のどこの空も同じ空で、風の音も変わりなかった。けれど旅した大地は様相を変えるので、空も同じように景色を変えていくのだった。自分がまるで何も変わっていないことを、ユメは知った。
 部下たちの指導に当たっていると、上官が現れ、ユメを呼んだ。ユメは向こうの回廊にキヨツグの姿を見つけ、後を上官に頼むと、そちらに向かった。
「お呼びでございますか」
「済まぬが時間をもらいたいのだ。頼み事がある」
 は、と頭を下げ、回廊に上がる。後をついて歩きながら、ぼんやりと、この方も面変わりなさった、とユメは思った。身長が伸びたのもあるが、尖りがある。平坦だったところが、少し鋭くなって威圧感を与えるようになった、と感じた。
 部屋に入ると、キヨツグが一枚の肖像画を手渡した。はて、婚姻の相談でもされるのか、それは喜ばしいと思ったのも束の間、描かれているのが男性であったということに理解が追い付かず、キヨツグの顔を見た。
「ルー家のシャル。二十六歳。ルー家は分かるか」
「はあ……文人の家系でございますね。確かご子息が多くていらしたと記憶してございます」
「シャルはその三男だ」
「その方が何か」
「結婚する気はないかと」
 ユメは絶句した。キヨツグはわずかに苦笑する。
「若輩者が、族長代理の風情で……誹りは如何様にも受けよう。だが向こうに相談された。信頼と実績を作っておきたいと欲もある。何より、味方を固めておきたい」
「味方」
「天位は空位のままだ。派閥が出来ている。イン家の立ち位置はそなたの不在で曖昧だ。一家でも多く、と考えた」
「わたくし一人の力など、たかが知れております」
「そう。だから他にも斡旋している」
 ユメはぽかんと口を開けた。命山の守護を受けた純血が、結婚相手を斡旋。
「た……例えばどなたが」
「そなたに分かりやすい例を挙げるのなら、フェオ家とシン家」
 息を呑んだ。
「正しくは許可を出した。この二家は元々婚約関係を結んでいたから、早く結婚しろと」
 カリヤ・フェオは反対派。ユーアン・シンは賛成派。二家を合わせることで、カリヤを懐柔しようというわけなのだ。シン家の方が、格は多少なりとも上なのだから。
 原因がイン家の母ではなく、キヨツグだということでカリヤが怒る様が目に浮かぶ、とユメは額を押さえた。
「それで、そなたはどうだ」
「失礼ながら……お断り申し上げてもよろしいでしょうか」
「なにゆえ」
「わたくしは……」言いかけて、悩んだ。自分の思いを、固めることができない。はっきりと捉えきれない感情があり、記憶があった。旅の最中を、何度も名前を呼び、怒りで握りしめた拳を思った。そして、自分がまだ何もしていないことに気付いた。
「……時間をいただいてもよろしゅうございますか。わたくしは、まだ成しえていないことがあるのです」
 ユメは言った。「その答え如何で、そのお話、お受けしましょう」と。

 残照の空に、決めた。文を送って呼び出した。カリヤは、杖を突いて、王宮近く、金色の山並みの見える草原に現れた。そこは、ユメが一度カリヤを張り飛ばした場所だった。
「わざわざ寒いのに。物好きな」
「第一声がそれですか、カリヤ」
「ええ。用件を聞きましょう。手早く済ましましょうか。あなたも見られたら困るでしょう?」
 ああ、とユメは吐息を吐き出した。ああ、そうなのだ。カリヤは、こちらの立場を慮っているのだ。反対派と親しくし、イン家の、ユメの立場が悪くならないようにしている。そうやって、遠回しに彼はユメを守る。
「キヨツグ様の就任を反対して、何をなさりたいのですか?」
「リリスの改革、と言えば聞こえがいいと思いますよ。単純に、私はリリスが滅ぶ様を見たくないだけです」
 静かに見つめるユメに、カリヤは説明を加えた。
「完璧すぎるのです。命山の守護、純血、如才ない言動。あの方に今足りないのは人間性です。人間を人間たらしめる感情だと思います。それを得た時、あの方は持てるすべてを尽くして、感情を向けた対象を守ろうとするでしょう。族長になれば、彼はリリスを道連れに出来る」
 情に突き動かされて情に溺れる。まるで実例を知っているかのように話すのはカリヤの常日頃発揮される才能だ。
「あなたにはないのですか? そんな風に、何かを犠牲にして守ろうと思えるものが……」
「あったとしても、それは」
 カリヤは言葉を切った。息が白く吐き出される。
「私が歩む道行きについてこられるとは思えません」
 ユメも息を吐き出す。
「一人で行くと?」
「反対派ですからね」
「味方を作ろうとは思わない?」
「その時限りならばそれもいいでしょう。けれど私が行くのは常に敵が存在する道です。改革には、常に批判と反対が立ちふさがります。同じ道を歩めとは言えませんし、ついてこいとも言いません。だから、最初からいらないのですよ」
 ユメは目を閉じた。
 揺るぎなく、強く気高い。
(そしてたまらなく寂しいひとだ)
 旅の始まりは彼の言葉。旅の最中、自分の内にこだましたのは彼からの追究と彼への恨み言。一言、言わねばならないと、帰らねばならないと思った。さんざんなじって、どうだ私は帰ってきたぞ、見つけて帰ってきたぞ、そう言って、彼の意表をつく言葉を告げてやりたかった。どうやら、もう遅いようだけれど。
 あなたの言葉が何度も私に前を向かせた、そんな言葉は決して望まないだろう。だから。
「あなたの心も、人生も、あなたのものです。私はきっと、」
 だから、その道行きにこの言葉を連れていってほしい。
「きっと――どんなあなたも好きでいるでしょうから」

     *

 日々は慌ただしく過ぎた。冬は過ぎ、雪は溶け、春にその名残が消えていく頃、カリヤはシン家のユーアンと婚姻の儀を執り行うことになっていた。自分だけが置いていかれたような時間の過ぎ去る速さの程度に、目眩のようなものを覚えながら、カリヤは戸惑っていた。一体何が、こんなに気をそぞろにさせているのだろう。
「カリヤ様!」
 騒がしく現れては去っていく婚約者に対しても、カリヤは特別な愛情を抱けずにいる。政略結婚だと、彼女は分かっているのだろうか。三十を過ぎて若々しく愛らしいと称されるだろうが、心動かされることがないので不思議だった。やはり自分は情らしい情を持てないのかと実感する気持ちだった。
(反対派も潮時でしょうかね……)
 シン家は賛成派だ。フェオ家はカリヤが足を悪くしたために、将来はほぼ見込めない。とすれば両親がシン家に追従するのは目に見えているので、カリヤの行動は制限されることが決まっていた。当主や長老となって動けるようになるまで費やさなければならないのは、十年か二十年か。
『どんなあなたも――』
 ちっと舌打ちする。余計な記憶が浮かび上がって思考を掻き乱した。
 どうしてあんなことを。余計な、あんな言葉を告げるのだ。
 まるで変わっていなかった。いつまでも感情を素直に表す女だった。武人らしくなったのは見た目だけで、中身はそのまま、幼い少女のユメ・インだ。すぐ怒る。あんな顔を時々するのも、変わっていない。知ろうとして、最後には知ったかをする。誰かを理解することなんて出来はしないのに。
(彼女がいたなら)
 もし同じ時、同じ人生にユメ・インが存在していたら。
(同じ道を歩まなくとも、許し合えたのだろうか)
 ふとそんな思いがよぎった。同じ道を歩む必要はない。自分は自分、彼女は彼女の道を歩み、そのことを認め合い、進めたのではないだろうか――。
 考えたとしてもどうにかなるわけではない、とカリヤは考え、書物を開いた。内容が呑み込める割合は、常よりずっと低い。
『どんなあなたも、好きで――』
 閉じた。
 立ち上がる。杖を取り、歩き出す。馬車を断り、自分の足で。
 そんなことをしてどうなるのだという思いと、何かしなければならないと発作的な感情があって、足を動かさせた。
 王宮に向かい、武部に向かう。人に尋ねれば、ユメは帰り支度をしているところだった。
「カリヤ?」
「オウギでなくてすみませんね。ちょっと話があるんです」
「またそんな憎まれ口を。分かりました、場所を……」
「いいえ、ここで。ユメ、あなたは私を憎んでいますか」
 ぶしつけな質問に、ユメは怯むことなく、くすりと笑うことをした。
「昔は多少なりとも。今はそうでもありません」
 カリヤは、自分の胸のどこかがすとんと落ち着くのを感じた。そのために感情がみるみる膨れ上がり、大きく息を吐き出すと、後の自分が考えられないと舌打ちするようなことを口にしていた。
「それはよかった。ユメ、お願いがあります」
 なんでしょう、と彼女は首を傾げた。
「ひと月……いいえ、ふた月。逃げてください。私と一緒に」

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