―――― 本 当 の 恋 を 知 ら な い


 煙を吹き出した後もう一度呼吸をして大きく肩で息をするのが癖だねと、恋人に言われたことがある。自分では気がつきもしないくせだったが、その彼に、君はそんな風にとても嫌そうに煙草を吸うものだからおかしい、と笑われた。
 気分が浮かないときだ、煙草を吸うのは。繰り返しの作業、吸って、吐く。呼吸と同じだけれど、行為としての認識があるから考え事に向いている。苛立ちを押さえつけ、悲しみに煙の弾幕を張り、暗い気持ちにひたりと浸る。一人になれる。
 一緒にいる彼は、こちらが煙草を吸っているその時、自分がうんざりされているとは思ってもみなかったろう。しかし一方で自分が素を出していることも確かであり、その素を見せられる彼と別れる別れないで、一人になる度によく悩んだ。
『一人になった時に安心するんだったら、別れるべきなのかもしれないね』
 恋を知らない友人はそんな風に呟いた。恋人は、常日頃一緒にいるわけではない。自由に会って、自由に一人になって。それが恋人。結婚ではない。彼女はいつも、恋イコール結婚だった。一生添い遂げなければならない、唯一の恋を求めていた。
 夢見る少女。その姿を周囲の異性は偶像化していたようだ。彼女は汚れないし、汚れようともしない。だから「煙草は好きじゃないの」と言われた時、なんとなくなるほどねと思ったものだ。
 紫煙が窓越しの街の光の中で白くゆうらりと消えていく。
 携帯電話のディスプレイを眺めた。
(ねえ、本当の恋も知らないで政略結婚したけどどんな気持ち?)
 初めて都市に姿を現した異種族の長は、ひどく美しい生き物だった。緩く束ねた艶やかな黒髪や肌の様子、身長は高かったようだがヒト族と変わらない。しかし、その瞳は動物のように縦に長かった。同じ人型の睫毛に縁取られているというのに、そこだけ別の生き物を感じさせて、なんとなく薄気味悪いと思った。
 彼は政略結婚の噂を肯定した。この騒ぎが起こったのは、この携帯電話にも届いたが、一通の一斉送信メールによる。恐らくアドレス帳の友人グループに送ったのだろう。噂の真偽を確かめようと次の日の学校は騒然となっており、アングラに詳しい者が以前からそういう噂があったと言ったことから調査が始まって、またある者がマスコミに通じていたために広まった。彼らも連日のニュースで肯定する異種族を見ていただろう。
 しかし。思い出して、唇の端に笑みを刻んだ。
 しかし、騒いでいた者たちは思いもしなかったろう。異種族の彼が、どうやらヒト族の彼女を愛しているらしいということに。
(ねえ、本当の恋も知らないで政略結婚したけどどんな気持ち?)
 唯一の恋の行き着く先から。普通の恋の道を逆から彼女は辿っているのだろうか。
 唯一であるから、一本の道のそれは始点も終点も変わらないのかもしれない。永遠に似ていると、柄にもなく考えた。
 最後の一吸い、煙を吹く。細く、長く。白い煙が消え失せた後は、ひんやりとした透明な窓が、夜にうっすらこちらを写している。
『一人になった時に安心するんだったら、別れるべきなのかもしれないね』
「……一人で寂しいのよ、私。だったらまだ一緒にいるべきだったのかしら?」
 ボタンを押すとメールの消去を尋ねられた。宛先まで入力していたそれを、保存せずに消去する。そうしてアドレス帳を開いて、今日別れ話をした恋人の情報を呼び出した。



(ねえ、私は本当の恋を知らない)



『消去しました』のウィンドウは、放置するとメインディスプレイになって光を消した。





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