―――― 恋 へ の 旅 路


 扉を破る勢いで開け放った音に、マサキはぎょっとしてそちらを見た。髪を振り乱し、肩を上下させた、ミン家の美しい令嬢ユイコが、その儚げな風貌に似合わぬぎらついた目の決死の形相でこちらを睨みつけている。薄く色づいた唇が、マサキにとって呪詛に近い言葉を吐いた。
「マサキ様、都市へ行かれるって、どういうことですの!?」
「ユイコ」
 マサキは頭を抱えたくなった。頭痛がする。何故この娘が厳重に秘してた極秘事項を知っているのだろう。そして、大声で叫んでくれるのだろう。しかしそれ以前に、マサキは。
「つーか、この状況見てから言ってクダサイ……」
 上に乗っていた娘が襟首を掴んで同じ言葉を叫ぶのを聞いて、頭痛がひどくなった。

   *

 もちろん、上に乗せていた娘にはお帰り願った。ユイコが、である。マサキは先程の口止めを厳重に言い聞かせただけだ。甘い言葉を使ったおかげで、うっとりと頷いた少女は去ったが、しかしそれよりも、目撃したユイコがようやく冷静に戻り、そのことについて説教を始めたのには参った。
「一体、何をしておられましたの?」
「あー……遊んでマシタ……」
「どういう理由で?」
「ちょっと抱きしめてくれって言われただけだから! つーか、お前婚約者でもなんでもないのになんでンなこと言うんだよ!」
 頭を掻きむしって叫ぶと、睨んでいたが虚をつかれたらしいユイコはちょっと呆然として、次にゆっくりと首を傾けた。自分でも不思議そうだった。
「理由が必要でしょうか?」
「俺には納得できないんだケド」
 ちょっとユイコは笑った。
「それは、先程の娘とわたくしでは、マサキ様が抱かれる感情が違うということでよろしいでしょうか?」
 なんだそれ、と思い、頷かない。あぐらをかき、肘を立ててじっとり睨めつけた。それすら喜びであるかのように、ユイコは笑顔を見せた。それは、はっとするくらい温かい笑みだった。
「マサキ様。都市へ行かれるというのはどういうことですの?」
「留学、っつーか極秘潜入だけど」
 だから叫ぶなよ、と言っておく。
「お戻りはいつ?」
「分かんねえ。一生あっちにいるかもしんねえな」
 意地悪を口にするものの、ユイコは笑みを浮かべて見つめている。
 光の中に、ユイコは座っている。対して自分はどうだろうか。良い家の良い奥方になれるであろう娘が、影の中を行くと決めた者を追い求めていくのは悲劇ではないのか。
 マサキは、もう正しくリリスではなくなる。
 すると、急に憐れみが起こった。思わず、口にしていた。
「なあ、ユイコ。叶わねえ恋に縋んのは、止めろ。俺はお前に答えてやれねえよ。いい相手見つけてやるから、幸せになれ」
 ユイコは絶句していた。反応しない。目を丸くしたまま、動かなかった。沈黙が居心地悪く、マサキは話は終わりと立ち上がる。
 その後ろ髪を、引っ張られた。
「いって!?」
「どうしてそんなことを言いますの!? 信じられない。最低!!」
「痛い痛い! 引っ張んな!」
 ぎゅうぎゅう。髪を押さえて振り返ると、ユイコは肩を怒らせていた。そして、マサキは思わず身を強ばらせるくらいに、気丈な瞳いっぱいに涙を溜めている。
「わたくし、マサキ様がそんなありふれた言葉で別れを告げるなんて思いもしませんでしたわ!」
「じゃあなんつったら納得すんだよ!?」
 売り言葉に買い言葉。喧嘩腰に叫ぶと、ユイコの目から感情が消えた。消えたというより、冷えきった。悲しさで、だ。
「……もっと、冷たく容赦ない言葉で」
「お前、俺のことどう思ってんだよ……」
 退くことが難しく、思わず呆れた口調になってしまう。
「好きですわ。マサキ様には、そうだと思えなくとも」
 報告文を読み上げる冷たさで、彼女は告げた。
 失礼しましたと立ち上がったユイコは、そのまま踵を返していく。呼び止める気力はマサキには起こらず、彼女はそのまま美しい所作で去っていった。
 しかし、残されたマサキには苛立ちが残る。前髪を掻き上げ、額で拳を握りしめた。くそ、と誰ともなしに悪態をつき、じっと堪えた。
 ユイコ・ミンは、母シズカのお気に入りである。家柄も教養も美貌も、シズカのおめがねに適うというのは珍しい。中身はかなり開き直った娘だが、外身は良いと評判のミン家の娘だ。実際とても頭の良い娘であることは、シズカの真夫人殺人未遂の折り、真夫人側に情報を流していたことからも明らかだ。彼女なら引く手数多だったろうが、母に見初められたのが運のつき、そのままシズカの息子であるマサキの婚約者候補の一人となった。
 ユイコがまとわりつき始めた頃の記憶は薄い。いつの間にか側にいて、いつの間にか好きだと公言するようになっていた娘だった。他の令嬢のように媚びなかったし、恋をしている気配がなかったから、結局は建前だろうと思っていた。
 しかし、あんな冷たい口調で好きだと言われるとは思わなかった。情熱的に、あるいは恥ずかしげに愛を告げられても、あれほど暗く沈んだ声で言われるとは。母の差し金で、娘たちからの愛情には不自由していなかったから、意外すぎて、驚きだった。あんな冷たい、恋の感情があるだろうか。
 マサキが本当に好きだと思ったのは、ヒト族の真夫人が初めてだった。それももう叶うことはないだろうが。
 しかし、今心にはひっきりなしに波紋が浮かび、ユイコの立ち姿を思い浮かべさせてくる。どうしてだろう。好きだという言葉で、あんな顔をさせたくないと思ってしまう。
「……くそ!」
 全部を振り切った。廊下に飛び出し、屋敷の中を走り回る。
 ユイコはすぐに見つかった。どたどたと床を鳴ることに気付いて顔を向け、マサキであることに驚いて立ち止まったが。
「なんで!?」
 彼女は逃げ出した。それも、滅多に見られないくらい一気に裾を持ちあげてだ。
「こいつ……っ、おい待てユイコ!」
 何事かと屋敷中の者たちが顔を出してくる。ユイコはそれに耐えられなかったらしく、そのまま庭に飛び降りた。足袋が汚れるのも構わず走るが、重たい衣を身にまとっての疾走は辛かったらしい、庭の巨木の裏手に回って、隠れてしまった。
 マサキも準備せずに走ったため息が上がっていた。
「ユイコ……おっまえなあ!」
「必要ないのに追いかけたりなさらないで!」
 木に隠れ損なった彼女の肘が、折れ曲がっているのが見えた。両手で顔を覆っているのだ。
「泣くくらいなら逃げんなよ……ってかさあ、ユイコ、なんで俺なワケ?」
「そういう自信のあるところ、嫌いですわ」
 がくっと倒れそうになった。ここまできてまだこの口は。
「わたくし、マサキ様の婚約者候補ですわ」
「ああ」
「そうなるべくして育てられましたわ。人並みに恋をしましたが、全部壊されました」
「…………」
「それで、考えたんですの」
 この気丈なユイコでも、悲嘆にくれたのだろうかと身構えたが。
「好きになるんだったら、『皆が認めた』方しか好きにならないでいようと」
「……俺か」と言ったのを「たまたまですわ」とユイコは一刀両断する。
「でも、ちょっとだけ救われたのも確かですわ。マサキ様なら、万が一結婚となってもきちんと義務は果たして下さると思いましたから。蔑ろにしないでしょうし、妻として立ててくれるでしょうと」
 だからもういいですわ、とユイコは明るく言った。
「マサキ様が行かれるのなら、わたくし、別の方を好きになります。わたくしにも候補はたくさんおりましてよ。ですから、いってらっしゃいませ」
 マサキは足音を忍ばせ、木の側に行く。そして、ユイコの方へ顔を覗き込ませ、呆れ返った。
 木漏れ日に、雫が光っていた。
「泣くくらいなら思ってもないこと言うなよ」
「うるさいですわ。マサキ様こそ、真様から身をひいたくせに」
「ここで持ち出すことじゃねーだろーが。お前、ホンット、ややこしいなあ」
 マサキは苦笑する。抱きしめてはやれないが、真摯でいてやろう、と思った。
「都市へ行く。留守は叔父上に任せる。ユイコも、ミン卿を手伝ってやってくれよ。いつ帰れるか、分かんねえからな」
「お手紙を下さいます? 読んで差し上げますわ」
「気が向いたらな」と言うと、ユイコはマサキが渡した手巾で鼻と口を押さえながら、「かわいくないですわ」とくぐもった涙声で言った。

   *

 それからしばらくして旅立ったマサキからは、手紙は来なかった。気が向かないのかとしょんぼりもしたが、ええいと床を踏み鳴らしたユイコだった。
 更に時間が経ち、リリスでは病が流行した。キヨツグが倒れたことがきっかけであったかのように、ユイコの周りも数人が倒れ、死に至る病であるからとシズカとユイコなどは率先的に遠ざけられた。数ヶ月後、薬が届けられて人々は回復に到ったが、その薬に遅れて、真夫人が都市へ運ばれたという噂を聞いた。
 それからキヨツグは回復し、以前と変わりなく政務を続けているらしかった。ユイコはその真意を問いただしたかったが、シズカが離してくれず相手に追われて、やがて、春が訪れた。
 リリスはモルグと同盟を組んだという知らせが来た。シズカはもちろん憤慨して王宮へ乗り込むとまで言ったが、続いてやってきたのは巫女ライカから文で、参拝を続けろという忠告だった。最近疎かになっているのを見抜いたかのようだったので、シズカは一応は引いた。
 その同盟の軍でキヨツグは真夫人アマーリエを迎えにいき、無事に連れ戻ったということだった。

 ユイコは、アマーリエに挨拶の手紙をしたため、キヨツグにマサキの現状を教えてくれるようにと、ついに我慢できず書いてしまった。
 しばらくして小包がやってきた。彼女からではなかったが、開いてみると、長方形の棒状のものが入っていた。
 初めて見る、機械、である。
 同封されていたのは、手書きの操作方法だった。言われた通りに、数字を押していき、ボタンと呼ばれているものを押す。耳に押し当てろと書かれていたので、耳に押し付けてみる。
『ユイコ?』
「ま、マサキ様!?」
 驚いた。棒の中からマサキの声が聞こえる。
『お、つーことは、ちゃんと届いたな』
「どういう魔法ですの? マサキ様の声がしますわ」
『電話っつーんだよ。書いてある通りの操作をしたら俺と話せる』
 便利な機械があったものだとユイコは感心する。マサキは都市にいるらしいのに、遥か離れたリィ家の領地と繋がるとは。何か、筒みたいなものがあるのかと思って中空で手を振ってみるが、綺麗に空を掻くだけである。
『元気か?』
「ええまあ。というよりマサキ様」
 なんだよと警戒を滲ませる声に、これまでの恨みを目一杯込めてユイコは言ってやった。
「真様からわたくしに乗り換えるおつもりですわね?」
 まあ不思議、がっくりするマサキ様が見えるわ、と思う。
『…………お前さあ』
「嘘。うそですわ。わたくし、それでも構いません」
 本音だと、マサキは気付くだろうか。
 彼の一番でなくともいい。こうして彼と繋がることが出来続けるのなら、ユイコはそれでも構わないと思う。もっと欲しい気持ちがあるけれど、幸せなのだ。いつか彼は不毛のように言ったけれど、この気持ちがあると、胸が痛くなったり温かくなったりと、幸せだ。満ちている。
『俺と結婚しようとすると、反対されるカモだけど?』
「マサキ様がいつまでも都市にいられるとは限りませんもの。お帰りになるまで待ち続けますわ。わたくし、結構気が長いんですのよ?」
 不思議だ。顔が見えないと素直になれる気がする。
「だから、いつか帰っていらして。そうしてわたくしが独り身だったら、少しは、責任を感じてくださいませ」
 マサキが機械の向こうで笑った。
『いいぜ。それからな、ユイコ』
「ええ」
『俺、アマーリエにフラれたからな。付け入るなら今のうちだぞ』
 ユイコは息を潜ませ、その後に、笑った。
「あら、それはおめでとうございます。愛していますなんて、言って差し上げませんわ」
『言ったも同然だろーが、それ』
 二人で笑った。この時、少しだけ寂しくなった。ここで顔が見えたらいいのに。
『じゃあな』
「はい。いつまでも、お待ち申し上げていますわ」
 ぷつっという音の後、少しだけ気味の悪い音が聞こえる。自然と置いていれば元通りになるとのことなので、そのまま待つと、棒の中の絵が最初のものに切り替わった。
 ユイコはそれを眺めて、胸に抱く。この中にマサキがいるように思えた。そして空に彼の姿を思い描き、遥かな都市の空を望もうと、窓から身を乗り出した。
 風が吹いた。風は旅をする。ユイコは、自分の香りでもいいから都市へ届けてほしいと思った。
 恋への遥かなる旅が始まっていた。





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