―――― 物 語 の 証 人


 事件が王宮を駆け巡る。曰く、リリスの長であるキヨツグ・シェン様の花嫁が決まった。
 その知らせが王宮を駆け巡るや、ココは一笑に付した。何故ならその噂は前々から不穏な気配をもってまことしやかに囁かれており、何度か同じ噂が駆け巡ったものの、やれ大臣殿の先走りだ、やれ長老方の酒の席での話だ、など事実を得ないものだったからだ。
「今度もデマに決まっていますわ」と同僚たちと笑いさざめいている日々が過ぎ、次第に、噂は確かな輪郭を伴って大きく膨れ上がった。
 それは事実であったのだ。
 それもとんでもなく劇的な。



「――ヒト族?」
 上司であるアイ・マァ筆頭女官に告げられ、ぽかんとココは繰り返した。
 ヒト族。ヒト族がなんであるかと考える。
 この世界、汚染海に囲まれた小大陸には三つの人種が主として存在している。我ら長命で頑健な騎馬と遊牧のリリス族、他部族との戦いを好む火を使わない下等なモルグ族、そして発展した文明を有する脆弱なヒト族。
 リリスは最も強く美しい一族だ。対してヒト族とモルグ族はそれに遠く及ばない寿命の短さと脆い身体、そして醜い容姿をしている――らしい。らしいというのはココが王宮の位置する都シャドから出たことがないためだ。
 そのヒト族が。
「あの……もう一度言っていただけます?」
 アイはため息をついた。
「真夫人として、ヒト族の御方をお迎えすることになったのよ」
 真夫人というのは天と呼ばれる族長の正妻の名称だ。つまり。
 ――キヨツグ様の花嫁はヒト族。
「………………どうしてですか!」
 たまらず叫び出したココの後ろで、なだめる同僚たちの声を無視する。
「わたしたちは王宮女官、それも真付きのです。真夫人となられる方は天様を支える方。それが、それが……!」
「文句ならわたくしに言わないでキヨツグ様におっしゃい」
 アイはそう斬り捨てる。
「もうキヨツグ様とはお呼びできないわね、天様とお呼びしましょう。天様が長老会との会議の末に決められたこと。わたくしたちに文句を言う権利はありません」
 そう言うのは、彼女がこの王宮に来た意味に由来する。アイ・マァを含む一部の女官は、真夫人候補として王宮に上がっている。そのため、アイは年が近しいこともあり、天を本名で呼ぶ。族長であるキヨツグが異例とも言える若さであることによって、候補というより複数の夫人のような見方をされていたが、しかし予想に反してキヨツグは一切手を出さなかったというのが王宮内での認識だった。つまり候補は候補としての役目を果たす前にお役御免になったと言えた。
(キヨツグ様……)
 この目の前のアイでも、真夫人以外の愛妾にはなれなかったのだ。あの、強く美しい方の側に。
 なのに最も近くに寄るのはヒト族という。
 当然許せるはずがなかった。



 呆気に取られたのはその小ささだった。
 ヒト族の都市の花嫁は、まだ十代半ばかと思われるほどの身長しかない。百六十少し。リリスの身長は女性でも百七十あるため、ココたちが取り囲むと見えなくなって消えてしまうのではと思ってしまう。
 面通しと呼ばれる花嫁と花婿の体面を済ませて、花嫁を部屋に導いた女官たちは、そこで花嫁の服を剥いだ。悲鳴が上がった。
「待って、待って待って、待って!!」
 外聞も何もないといった声だった。ココは眉をひそめる。
「ひ……一人で、入れます」
 ココたちがいるのは湯殿の隣だった。身体を清めようというのに、この娘は手伝いがいらないと言うのだ。何のために自分たちがいるのだと思っているのだろうと、ココは絹の手巾を握りしめる。
 結局アイが一人での入浴を許可し、役目を失ったココたちは婚礼衣装の準備に回された。アイが率先して準備に走り回る。
 そこへ、長髪の男が現れた。天付きであるオウギ護衛官だった。
 ということはと視線を巡らせた先に、キヨツグが現れた。姿が見えると同時に頭を下げるよう反射を仕込まれているため、顔はきちんとは見えなかったが、しかし一瞬見たことでも分かることがある。――相変わらず美しくて立派な御方。
 彼は着替えの前に来たらしく、ぐるりと部屋を見回し。
「あれはどこに」
 と尋ねた。
「お湯浴みの最中です」
 アイの答えに彼は頷いた。
 そして、無言で女官たち一人一人に目を置いていく。ココは何か言おうとしている気配に気付いて胸をときめかせた。自分にお声掛かりがあったりしないだろうかというのは、王宮女官の役を受けてから誰もが抱き続ける夢だ。
「時間がない故、口頭で容赦してもらいたい。今日この場にいるそなたらに、真夫人付き女官になることを命ずる」
 ぎょっと、した。
「アイ、お前に筆頭を頼む。セリにその補佐を」
 承りましてございますと二人が頭を下げる。
「あれは、リリスではない。しかしリリスにある以上、リリスと同等、そして真夫人としての扱いを受けさせる。基本的にしたいことはさせても構わぬ。度が過ぎれば指導を。そのため、そなたらには心配りを頼みたい。よろしく頼む」
 さあっとかんざしの涼やかな音は女官たちが一斉に叩頭した証拠だった。ココは歯噛みする。ヒト族の娘はヒト族でしかないのに。しかし口にすることは出来ない思いだった。



 まんじりともしない婚礼の夜が明け、朝食の時間に自然と現れた真夫人はやはり小さかった。身体も貧弱だとじろじろ眺めてしまう。朝食前の着替えに騒ぐ同僚たちを見、夫人の朝食を終えると、王宮内の散策を始めた。
「おはようございます」
 すれ違った下級文官に挨拶したのはさすがに目を剥いた。奥方は簡単に声掛けなどしない。思わず口が出た。
「真様、あの者たちは下級です。真様自らお声をかけられずともよいのですよ」
 真夫人は言われたことの意味が取れなかったのか不思議そうに繰り返し、そして慌てたように手を振った。
「いや、ええと、だって、私が族長の妻だとみんなにお世話されるわけでしょう? 直接じゃなくとも、お世話になるわけだし……挨拶くらいは……だめ……ですか……?」
 次第に不安げになっていく声。自信がないのなら言わなければいいのに、と思ったのもつかの間。
「ココ」
 冷たい呼び声に硬直する。飛び上がって見ると、アイが穏やかな微笑を浮かべていた。
「真様のなさりたいように、でしょう」
 その言葉の意味を理解して、さあっと青くなった。
 それは主君の言葉だ。主君の言葉は絶対。ココの発言はそれを無視したものになる。したいようにさせよ。度が過ぎれば指導を。初日の挨拶など取るに足らない。
 アイの恐ろしさを身をもって知っているココは、ぶるりと身体を震わすと「も、申し訳ありません!」と頭を下げる。しかし後から制裁がくだるだろう。主人の見ていないところでだ。悪ければ降格、王宮から下がらせられることも考えられた。どうして気付かなかったのだろう。アイは上司だ。上司は部下を見る。ココの考えていることなどとっくに見て通していたのだ。
 しかし。
「さっきみたいに言ってくれると、助かります。私、全然分からないので……」
 顔を上げると小さな真夫人がおどおどと頭を下げた。驚いてまじまじと彼女を見る。
 恐らく気付いていないのだろう。自分の言葉は、ココを認めた、つまり許したことになる。
 同僚たちは張りつめて見守っていた空気を変えて、ココをつつき始めた。
「挨拶くらいなら国は傾かないわよ」
「あら、それで傾くのが美女なんでしょ?」
「あなたには無理ねえ」
 どっと笑い声が弾ける。その最中にあっても、どうしたらいいのか分からない、後を追って笑おうとはせず困ったように微笑を浮かべている真夫人に、ココは目を丸くして少しだけ笑みを浮かべた。
 場に流されたわけではない。だが彼女は無意識に助けようとしたのだ。ほとんど初対面の人間を。ヒト族の真夫人は、少し変わっている。



 後のある日、ココが通りかかった時、真夫人は庭に出てぼんやりしていた。彼女が見ているのは冬枯れの庭の木々で、裸の木に黄色い実や、地面にこんもりしている深緑の草には藍色の実がついているものの、少し寂しげな庭風景ではあった。確か主は教えを請うている医師の部屋を行き来するようになっていて、今日も午後の空き時間に出掛けていったはずだった。
(何をしているのかしら……)
 ぼーっとしているように見える。時々位置をずらして様々な角度から庭を見ている。だが一向にココには気付かない。
 そして、なんと庭に降りていってしまった。あの衣装は外出着ではないため、裾を汚してしまうのにとやきもきしていると、驚いたことに庭の木の実を摘み始めた。食べられる実ではあるがあれは美味しいものではない。それに、機会を有する文明都市の人間が裸足で庭に降りて採集など聞いたこともない。
(ああ、注意をしたい……!)
 我慢できずに飛び出そうとしたとき。
「……真?」
「アマーリエ?」
 二つの声に飛び上がったのはココだけではない。続いて「いった!」という悲鳴。ばらばらと固い木の実が落ちていく音。
 見れば真夫人は手を押さえている。どうやら傷を作ったらしい。赤い雫がひとつ落ちて、白い庭石に赤い跡を残している。
 声の一人はキヨツグの従弟マサキ・リィ当主だ。彼もまた夫人の傷に眉をひそめて手当に呼べる人間を捜している。
 その後ろでは、キヨツグが妻の手を取って見ている。ココが出て行けなかったのはそれを見ているからだった。キヨツグはおもむろに血の流れる手を取り。
 唇を寄せた。
「ききききキヨツグ様!?」
 悲鳴を上げてがくんと膝を崩した妻を彼は抱きとめ、何事か会話を交わしている。ココは呆然とその光景を見て、そして発作的に影の中に隠れた。
 自分が触られたわけではないのに胸がうるさい。顔は赤く光るんじゃないかと思うくらい熱く、目にはあの光景が焼き付いている。どうしてあそこまでするのだと考えれば、おのずと答えは出た。
 ではいつから。もしかして最初から?
 ココの情報は、あの結婚は政略結婚だったということだ。モルグ族に対抗するリリスとヒト族の同盟のため、キヨツグはヒト族の娘を差し出され受け取った。しかしこの場合同盟を申し込んだのはヒト族だ。立場上リリスが上、ならば、その結婚は族長がすべきものだったのか。
 誠意と言えば誠意になる。だが、キヨツグが必ず受けるべきだったのか。言うなればあそこにいるマサキ当主でもいい。そう考えるからこそ、ココは当初苛立ったのだ。すでに王宮にあがって候補と目されていた者たちを押しのけて真夫人に収まった、ヒト族。そこには何がある。
「!」
 角を曲がった足音がココの姿を認めてたたらを踏んだ。マサキだった。咄嗟に指を立てると、マサキは顔の片方だけで笑う。彼の心中の複雑さが現れているのが分かり、ココは『真夫人に懸想しているらしいマサキ殿』の噂を確信した。
 ココは頭を下げると自分が医師を呼びにいく。だがその後ろからマサキがついてくる。
「見てたんだな」
「……はい」
 足音が止まる。ココは同じように足を止め、振り返った。
「なあ、……政略結婚に愛はあるのか?」
 影で光る蛇の目。リリスの特徴である動物的な目が影の中で光っている。同じように、ココの目も光っているのだろう。あふれてこぼれるように。
「……わたしには、分かりません」
 キヨツグにあるのは愛情なのか義務なのかと疑問に思う。ココが見て取った形は恋愛だ。同じ王宮にいて決してココには向けられない形。アイやセリのように声がかかることもないその他大勢の感情と対比すれば、自ずと見えてくる。
 だが一言斬り捨てるように答えただけで歩き始めた。早く医師を呼ばなければ、あの方はずっと傷に触れ続けるのだろう。溢れるもの、痛みすらも舐めとろうとする。そうしてそのさき、あの方が傷付かない保証があるだろうか。ただ感情に振り回されて溢れる妻の感情を受け止めようとして、通じない想いに、痛みを覚えないとは限らない。もうココは、キヨツグの感情を疑っていなかった。
 リリスの長であるキヨツグ・シェン様の花嫁を迎えた。花嫁はヒト族。名をアマーリエ・エリカ・コレット。
 アマーリエ真夫人が王宮から逃亡する事件が起こるまで、あと数日。

GRAYHEATHIA情報ペーパー再録 090823初出





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