―――― そ の さ き を 往 く 者


 花は過ぎ、青葉の枝が庭に影を作っていた。春も終わる季節、その午後、庭園に響く楽しげな笑い声を、廊下を行くカリヤ・インは聞いた。
 足を止めたのは、赤子の声が聞こえた気がしたからだ。こんな王宮に、と思ったのも束の間、ああ、と思い当たる。あれは、我らがリリスの殿下の御声であろう。少し動くと、確かにその姿が見て取れた。丸々とした手足は動きやすい幼児服に包まれて、雲にくるまれた人形のごとく、ころころぽてぽてしている。
「カリヤさん?」
「これは、真様」
 密やかな声で呼びかけたのは、真夫人アマーリエである。道を譲ると、彼女は首を振った。そして、庭に居る我が子を眺めた。
 まるで、そこにいるだけでいとおしいという、顔。
「……子ども、お好きなんですね」
 自分の台詞じゃないのかと思ったカリヤだったが、言ったのはアマーリエだ。
「はい?」
「目が、優しいですから」
 いつの間にか目を細めていたことに気付いて、カリヤは眉間を揉んだ。
「……別に好きでも嫌いでもありませんよ。我が子なら別ですが」
 そうでしょう、と同意を求めると、アマーリエは苦笑した。
「そうかもしれませんね。他の子どもを見たら、自分の子どもを重ねて見てしまっているような気もします」
 アマーリエには、最初に会った時に感じた子どもらしさは形を潜めていた。今は、遠くを、未来という時間の向こうを見ているような、静かな静かな目をしている。何を思い浮かべたのだろう、彼女はふっと唇を緩ませた。
 小鳥の雛のようにびくつきながら周囲を見ていた幼さはない。立ち姿も、慎ましい微笑みも、陽を受け風に揺れる花の儚さ。
「……あなたが真夫人として戻ってくるとは思いませんでしたよ」
 気付くと、嫌味が口をついた。
「むしろ、リリスがあなたを迎えにいくことになるとは思わなかった」
 アマーリエは少し口をつぐんで、透き通った色の瞳を向ける。
「それを許したと聞きました」
「ええ。『あの時』とは状況が違う」
 あの時、と繰り返したアマーリエに、カリヤは口を開いた。

   *

 その処断をカリヤは間近で見ていた。
 カリヤは高貴な家への婿入りを控え、その影響あって年少ながら官吏に推挙されていた。しばらくすれば、その家の長老として、紺桔梗殿の朝議の席に着くことになるだろう。だがその時はまだ、カリヤは一文官に過ぎなかった。
 だからカリヤは、亡くなった前族長セツエイの名代として上座に着く、キヨツグ・シェンの裁きを、遠くから見ているしかなかった。
「――よって、族長不在の今、そなたの裁きを次期族長に委ねることとし、族長定まるまで謹慎を命ず」
 ひとときの救済にほっと息を緩めたのは被疑者だけ。厳しい顔の長老方は。
「しかし」
 続くキヨツグの言葉を予期し、微かに目を細めていた。
「そなたの身勝手な謀略で害を被った者のことを鑑み、謹慎を入牢とする」
 被疑者は蒼白になった。だがキヨツグは素早く立ち上がり、裁きの場を立ち去っていく。追いかける声は兵士たちによって阻まれ、キヨツグは一度も振り返ろうとしなかった。
 泣き崩れる声が響く。
 それが、一時期、真夫人候補と目されていた女の、王宮に存在出来た最後だった。
 この時カリヤは思ったのだ。
 ――きっと、あの男は、リリスの滅ぼすのだろう、と。

 リリスの歴史書には、秘文庫に保管する秘密的なものにだけ、キヨツグ誕生から即位までの流れが記されている。

 キヨツグ・シェン、命山にて誕生。
 キヨツグ・シェン、族長セツエイ、巫女ライカの養子と承認。
 族長セツエイ及び長老会、キヨツグ・シェンを次期族長候補と承認。
 セツエイ崩御。キヨツグ族長就任反対派の影響を受け、就任遅れる。

 この時、キヨツグ反対派の急進派閥によって起こされた事件がある。反対派と言っても、かれらはカリヤたちとは一線を画していた。
 事件としては単純であった。
 キヨツグは、リリス最高機関、命山の血縁である。そのことが理由で、誕生時にはすでに天となることが決まっていた。候補と言っても名ばかりであり、実質、天となるべき者として扱われ、そのため長老方は彼以外の候補を承認しなかった。セツエイが、させなかったのだ。
 なれば、キヨツグを追い落とせば、他者が候補に承認される。
 そう考えた者がいたのである。かれらは女を使い、女をキヨツグの側に寄せてから犯行を行った。しかし、その毒を受けたのはセツエイであった。
 セツエイはその場で死ぬことはなかったものの、長く臥せることになり、結局は崩御することとなった。
 事件を公にならなかった。女を使ったその一派が、神職に相当する者であったからだ。神職、ひいては人々が想像のうちで命山に繋げる可能性のあるかれらの犯行を公にすることによって、同じく命山の守護を受けるキヨツグの族長就任に対して不満を抱かせてはならないと、そういう処置だった。

 カリヤが危機感を抱いたのは、その揺るぎなさだった。
 顔色一つ変えず、語調も乱さず、愛した女を、牢に入れる。
 信じろ、と示すための態度なら分かる。だが、女の嘆きようからも見て取れるように、キヨツグは、彼女らに罰を与えることをすでに心に決めていたようだった。恐らくは、死刑。それも墓すら用意されない。そして罪人の係累まで、何らかの処罰を下すだろう。
 どちらにしても、あれが愛した女への態度だろうか、とカリヤは思ったのだ。あの姿は絶対に、もう終わったこと、過去のことだと、簡単に処理できているはずだった。
 天として、その姿勢は評価できる。何人にも平等で、誰にも心を動かされない、ある意味冷酷で強靭な精神。
 その危うさをカリヤは知っていた。一つ違えれば、身を落とす。その影響力が強ければ強いほど、周囲を滅ぼさずにはいられない。

 ――逃げるのか。
『……あなたには分かりますまい。私は、もう何者にもなれませぬ。……あなたには、虚しく見えようと』
 ――逃げるんだな。
 頬に拳がめり込んだ。片足を不自由しているせいもあって、大きくよろめいた。
『ならあなたは私にどうすればいいと言うのですか!?』
 だが、立っていられた。立っているからこそ、言った。
 ――お前は何をしたい。
『私は、……私は、ずっとオウギのようになりたかった。あの人のように、強靭な、揺るぎない、強くて気高い何者かに』

 オウギ。どこからか現れて、いつの間にか王宮で、キヨツグの側にいた、あの男。あの男から感じる、他者の干渉を受けない立ち姿は、キヨツグとまるで同じだった。二人の血は同じもののような、相似性。
 カリヤは、オウギがキヨツグの実父ではないかと疑っていた。その男が命山の女性を愛し、キヨツグが生まれ、その子を王宮の天位に着けさせようとしているのなら、それは、一つ違え身を落とし、影響力が強すぎるために周囲を滅ぼすもの、となるのではないのか。

 ――なら、それを目指し続けろ。

 出来ればそうはなるなと願いながら、カリヤは口にしていた。あんなものになるな。いつか弱みが出来て、真実を口にすることを止め、唯一だと思う存在に優しい言葉をかけながら、出来ればそうなるなと祈る、愚かな存在には。
 いつだって穏やかな優しさを示せばいい。時々によって厳しくすればいいだろう。愛する者を数多く作り、いつだって、感情の波を表せばいい。

 ――(それにどれだけ救われてきたか)

 だから、カリヤはキヨツグ反対派になった。彼の弱みは、王者に徹しすぎること。もし、彼の存在を、心を揺るがす存在に出会ったとすれば、それはいずれ、リリス崩壊へ繋がるだろうからだ。
 愚かな男に成り下がり、大事なものだけを守ろうとするだろう。
 ユメ・インと結婚した、この自分と同じように。

   *

「『あの時』とは状況がまったく違います。私がキヨツグ反対派に回ったのは、彼が私情……恐らくは恋心でその身を滅ぼすだろうと思ったから。当時のリリスの形では、彼の行い一つで、リリス族は近い将来、滅びの道を歩むのではないかと考えていました」
 キヨツグの族長就任は阻むことが出来なかったのは、カリヤたち反対派の影響は結局は微々たるものでしかなかったからだ。だからカリヤは長老として、キヨツグが道を踏み違えたときのために、迎合しないことを決めた。
 だが、最後にカリヤは認めた。何故なら、キヨツグがリリス変革を口にしたためである。
 このままでは滅びると、彼はカリヤとはまた別の視点からリリスの行く末を思っていた。
「けれども、リリスは変化を始めた。あなたのようなヒト族を迎え、ヒト族、モルグ族と外交を始めた。それが良いか悪いか、私にはまだ何とも言えませんが、それでもリリスが世界に相応しい形になるのなら、私は歓迎しないわけにはいかない」
 アマーリエはわずかばかり、考えるように首を傾けてゆっくりまばたきをし、口を開いた。
「……私も、私たちがしたことが、本当に正しいのか分かりませんけれど……」
 目を移す。女官たちが見守る、コウセツ・シェンがいる。
「生きようと、決めました。新しく命が生まれるのなら心から歓迎したいです。私たちの行いの善し悪しは、未来で、その命たちが決めてほしいと思います。そうして、変化すべきなら変化し、元に戻るべきなら戻ればいい。現在の私たちが過去現在未来の世界のすべてを手にしようだなんて、そんなこと、未来の人たちに失礼ですから」
「…………」
 思わず黙り込むと、アマーリエの頬が赤くなった。
「あ、あの、すみません、自分でもよく分からなくなりました。忘れてください、すみません!」
 くっと笑いが込み上げた。大笑いするのは仮にも真夫人に失礼なので、押し殺してくつくつという音になった。
 そうしながら、自分たちの選択が、未来にとって取り返しのつかないことになる、その可能性を、考えている。
 アマーリエはますます縮こまる。自己嫌悪と羞恥に陥ったらしく、すっかり失敗した子ども風情だ。そこにカリヤが笑っている。この姿を誰かに見られれば、さぞかし怒りを喰らうだろう。だから早々に退散することにした。
「まるでお変わりにならない。リリスの先が不安になりました」
「えっ!?」
 ひらりと手を振って立ち去る。驚きの一声が大きかったために、女官がアマーリエを見つけて呼ぶ声がする。それに遅れて答える声は遠ざかり、子どもを呼ぶ声、そして赤子の笑い声。抱き上げてやったのだろう。
 そうして、いつの間にか、我が子の今の重さと赤子のときの重さを考えている自分に気付き、カリヤは立ち止まって眉をひそめた後、深々とため息をついた。あのバカップル(幸せぼけした恋人たちを都市ではそう呼ぶとマサキの無駄に長い報告書で読んだ)の影響でこれだ。
 今度むかつくことがあったら、あの二人に向かって「バカップル」と言ってやろうと決めるカリヤだった。
「ちちうえ」
 それだけに、聞こえた声にぎょっとした。
「ナナミ?」
 ちちうえ、ともう一度呼んで裾にまとわりついたのは、ひとり娘である。伸ばした髪はつやつや光り、子どもらしい甘いにおいがする。後ろにはユメが控えており、娘を抱き上げたこちらを見て微笑んでいた。
 子どもの重みと、妻の微笑みを見ながら、カリヤは胸でひとりごちる。

 例え、未来の世界にとって選択が間違っていても、それでも――これでよかったのかもしれない、と。







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