―――― 第 1 0 章
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 アマーリエは硬直した。また帯の中のものが震えたのだ。
 携帯電話である。
 携帯電話が鳴ると一瞬びくっとしてしまうのは何故だろう。電話などは特にそうで、都市にいる頃からもあまり好きではなかった。自分から相手にコンタクトすることは滅多にないから、相手から連絡があると、一瞬、悪いことなのでは、と思ってしまうのかもしれない。
 しかし今はそれだけではない。先日からメールを大量受信しているのである。どの内容もすべてアマーリエの夫であるキヨツグの話題だった。
 ニュースに流れるであろうと予測した通り、携帯のワンセグ機能で確認したキヨツグは、リリスの訪問団の中でただひとり覆面を外してその美貌を表に出し、都市の市職員や重役たちに囲まれていた。初日に行われた会見で、やはり一番に政略結婚について問われ、キヨツグは『求めたのはヒト族との融和であり、リリスの新たな一歩のため。同盟調印のための結婚という側面を見ることが出来るものの、本質はリリスが単純に彼女を求めただけである』と答えた。疑問符を浮かべた別の記者がその詳細を問うと、『個人としては愛しい者を花嫁を迎えただけだと思っている』とキヨツグは微笑んで答え、その後無数のフラッシュを避けるようにして、市職員から退出させられてしまった。
 その日の夕刊が発行される頃、イリアからのメールによると、あらゆるメディアで『ロミオとジュリエット』という単語が躍りまくっているという。嘘を本当らしくした内容の馴れ初めが書きなぐられているというのを、アマーリエはワンセグでワイドショーを見て知った。メールを続々と受信し始めていたメールがパンクすると錯覚するほど膨れ上がったのはこの頃からだ。
『あの人旦那様なの?格好良すぎ!』といったメールは次第に『どこで出会ったの?』『こっそり境界に行ったって本当なの!?』『怪我して倒れてるところを助けたんだって?』という詳細を尋ねるものに変わり、ついには通話着信を始めたので、あまりのことに通話はすべて着信拒否にしてしまった。メールも、イリアのもの以外は返信していない。
「真様?」
 はっとすれば、下に子どもの顔がある。その頬は少しだけ高い熱で真っ赤になっており、アマーリエは慌ててその子を寝台に連れていく。
「ため息ついてると幸せが逃げちゃうんだよ」
「ごめんなさい。ぼうっとしてたね」
 布団をかけてやっても子どもはじっとアマーリエを見つめている。どうしたのと優しく尋ねると、その子はびっくりするようなことを口にした。
「天様と喧嘩した?」
「はい?」とアマーリエは思わず尋ね返して瞬きをする。
「うちのね、母様ね、父様と喧嘩すると、絶対父様と口きかないんだ。でも、一人でため息ついてるの。真様もそう?」
 アマーリエは笑った。
「大丈夫。喧嘩なんてしてないよ」
 子どもは本当と不安そうに尋ね、アマーリエは笑いを殺しきれずくすくす笑いながら頷いた。
 ハナが薬を持って戻ってきた。彼女は子どもに薬を飲ませると、母親に処方を教えて、アマーリエとともに家を後にする。王宮近くでユメが待っているので、そこまで送り届けてもらった。
「では、真様」
「はい。またよろしくお願いします」
 王宮を下りて見習いの真似事をして数度目。頑健なリリスの成年は病に罹ることは少なく、患者の多くは子どもで、様子を見たり病人の診察を見たりすることがハナの主な仕事だった。アマーリエは患者とコミュニケーションすることを主として、子どもたちの話を聞くようにしていた。
 最初は恐れ多い、あるいはヒト族だから不安だという態度があったものの、子どもたちは特に慣れてくれるのが早く、アマーリエも楽しく接することが出来た。成人するまで大切にされるリリスの子どもは、無邪気で、様々なことを知りたがったのだ。
 ハナと別れた後は、ユメと王宮に帰る。王宮はいつも通りだが、アマーリエが眠る寝台には一人分の温もりしかない。暗闇の中でも触るのは敷布の手触りだけだ。
 喧嘩を、しているだけならまだましだ。
 誰に聞くことも出来ない、本人にすら余計に聞けない疑問が渦巻いて、ここにはいないキヨツグに不安が煽られるのだ。もし、突然引き離されてしまったら。
 あの人は居場所はここだと言った。しかし、アマーリエが見出した居場所はキヨツグそのものだった。彼と引き離されたら、自分は一体どうしたらいいのだろう。目が痛くなるくらいきつく閉じて、眠る。
 キヨツグが都市に入って四日目の朝だった。ヨウ将軍が先触れも伴わず飛び込んできた。さっと緊張したアマーリエは、彼から何者かの到着を聞いた。表で重臣たちが待っていると告げられ、そちらに赴く。
 確かに旗を掲げた騎がいくつか到着するところだった。正面に止まったそれらに、重臣が誰何する。
「天様の妹御、リオン将軍が境界より帰還されます」
 アマーリエは驚いた。
(妹?)
 一軍が門を越えて到着する。先頭を切って駆けてくる駒は白。降り立ったリリスは、長身の人影。
「……あなたが、真夫人となったヒト族の方か?」
 彼女が頭を振れば、結い上げてなお長い髪が揺れる。太刀を佩き、防具をまとった勇ましい武士の出で立ち。切れ長の瞳は激しく輝き、少しだけ焼けた肌の長い腕が腰に当てられる。
 率直に思った。似ていない、と。それでも笑顔を浮かべ、頭を下げる。
「お初にお目にかかります。アマーリエ・エリカと言います」
 彼女は緩く笑った。
「こちらこそ。リオン・シェンと申す。……小さい方だ」
 その言葉通り、リオンはリリス女性にしては長身の部類に入りそうだった。近付かれるとキヨツグよりも低いが、やはり見上げなければならない。
「ふむ……よく兄上もこんな小さなヒト族と結婚なされたものだが、あなたも物好きなことだなあ。あの、キヨツグと、とは!」
 おやと思った。しかし一瞬だった。リオンが声もはばからずに言った答えを考えなければならなかったからだ。
「さっさと逃げればよいというのに。お手伝いするがいかがかな?」
「ええと……そういうわけにはいきません。何のためにこの結婚があるかの意味がなくなるではありませんか?」
 しかし一度逃げた身では言う資格もないかなと思いつつ、笑ってみせる。すると、返ってきたのは底意地の悪い笑顔だった。
「なるほど、よくご理解の上参られたらしい」
 ぽん、と頭に手を置かれる。ぐりぐり頭を揺らされながら考えて、乱れた頭を押さえた。からかわれたどうかすら分からない。でもこれは、試されたのだろうか。
「美味い酒が飲みたいなあ。あちらでは、酒は傷口が飲んでしまうのでなあ」
「はあ……」
 呵々と豪快に笑って歩き出したリオンを女官たちが導く。彼女の軍も荷解きを始め、騒がしくなり始めた。リオンの姿は王宮に馴染んでいき、奥へ消えていく。
 その夜、族長不在ではあったが酒宴が催された。もちろんアマーリエには指揮が執れないので、長老方や王宮の仕事を一手に引き受ける侍従長や女官長に任せっきりだ。
 酒宴の目的は慰労である。リオンとその護衛軍は境界にいたという。ヒト族との境界に軍を置くことはないようだから、彼女たちはモルグとの境界に駐留していたことになる。軍のすべてを持ってきたわけではないだろうが、しかし指揮官たる将軍のリオンの帰還に何らかの理由があるのではと、長老たちは色めき立った。しかしリオンは振り払うように「軍備の入れ替えのためだ」と答えただけで、後は、「少し見ないうちに髪が薄くなった」だの「変わらず老けてる」だのと皆をからかって回っていた。
 そのうち、アマーリエにも知らせが入った。モルグ族との停戦が決定したという。そのためのリオンの一時的な帰還であるということだった。
 アマーリエが胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。なんのための結婚かと言われれば、アマーリエの場合はヒト族とリリス族の同盟、ひいては戦争を止めるきっかけだ。これまで誰に聞いても動きはないと言われるだけだったために、今回の停戦はことさらほっとした。
 酒宴では何の影もないリオンの笑声が響いている。女性の装束は嫌いらしく、男物の着物であぐらをかいて座っていた。酒豪らしくどんどん杯を重ねて、肌がうっすら染まっているが、出席者の多くも似たり寄ったりで、ただ一人アマーリエは飲めないので果汁を飲んでいた。声をかけられたのはそんな時だった。
「真殿。特技は何かありますか」
 リオンが側に寄った途端、酒のにおいが強くなる。合わせた衣装の間から長い足が深くまで見えていることに若干目を逸らしつつ、首を振った。
「いえ、思いつくものはないです」
「何か楽器は?」
「楽器? ええと、ピアノなら」
「ピアノなどここにはないなあ。この分では舞もできませんな? 真夫人ともあろう方が、余興一つできぬとは」
 思わずむっとしたが相手は酔っ払いだ。申し訳ないですと笑ってかわすが、今度の授業にこういうものも取り入れてもらおうと決意する。
 すると、急にリオンが気配を変えた。立ち上がった途端、すうっと研ぎすまされた何かが、広間の中央まで空気を裂いていく。裂かれた空気はリオンへの注目に形を変え、いつの間にか、場は静まり返っている。
 リオンは右手にいつの間にか手にしていた扇をざっと開くと、とんと床を蹴った。舞ったのだった。その長身や動作から大振りに思えたそれは、実際は長く大きいが故に繊細さを求められており、リオンはそれを軽々こなしてみせた。男装であるためか、色気が一層匂い立ち、艶やかで美しい場がそこに出来上がる。
 目の動き、指の先に、何かを引き寄せるかのような、見えない糸のようなものが繋がっているように感じる。リオンはただの男装の、軍人ではない。雄々しく圧倒的な気配はそのまま男性のようであり、繊細さの香る動きはそのまま女性らしい女性だ。
 初めて見る『人物』だった。クリエイターやパフォーマーで超一流とされるものに、アマーリエは父親や祖母の影響でこれまで何度か触れてきている。しかし、この、恐ろしいほどの気配は何だろう。
 表現ではない。突きつけてくるのだ。まるで、否定のような。
 息をするのも邪魔であるかのような舞のみの場は、やがて笛を手に太鼓を手にした者たちによって広げられていく。リオンが舞を変える。今度は華やかな楽しげなもの。酒客たちも笑い声を上げ、手を打ち始めた。
 舞が終わると拍手が鳴り響いた。喝采だった。
 汗を拭ったリオンは、しかしそんなものを意に介さず、アマーリエを見る。アマーリエは息を詰めた。その、自信に満ちた表情、まるで、お前には出来まいと嘲笑いすら含んだ。
 更に、彼女はさっと右手を舞の名残のように翻してみせた。そこに光るのは。
「あ!?」
 アマーリエは慌てて左手を見る。ない。
 指環はリオンの手の中、やがてにやりと笑って懐にしまわれる。リオンは満足したかのように大きく乱れた裾を、まるでファッションであるかのように着こなしさばいていくと、酒席を出て行った。
 追ってくるならおいでと誘うようなしなやかな背中を、アマーリエは呆然と見送った。
(そういうことなの……)
 からかうような、相手にしないような、気ままで人を食ったような言動。
 つまりは、リオンはアマーリエを認めていないということだった。

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