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 午後の予定を切り詰めてシキを訪れると、彼はにっこり笑って「リオン様がいらっしゃったんだってね」と言った。その笑顔に、もう騒ぎが知れ渡っているのだろうかと構えたが、「おかげで薬の用意がてんてこまいだ」と言われてしまっては、アマーリエは別の意味で身を竦ませるしかない。
「ごめんなさい、邪魔をして。戻るね」
「いい! いいよ、大丈夫。実はちょっと嘘。用意しているのは他の助手たちで、僕は王宮のことをしているだけでいいから」
 焦ったように言われ、椅子を指される。それでも少し躊躇っていると、シキはお茶を入れると言い出して茶器を取り出した。しかし、その茶器を取り出せても他の道具が出てこないのでもたついてしまう。マサキがいなくなった弊害だ。
 笑いながら見ていたが、手伝うことにした。お互いが茶碗を手に取ると、それで、とシキは切り出した。
「ここに来たのは? 今日は、母さんが午後から街に下りる日だって知ってるはずだよね」
「出来れば、あなたに会いたかったの」
 ぎょっとしたシキの頬がうっすら染まったが、気付かない。アマーリエはずっと心を捕らえているものの解決策を、慎重に口にする。
「族長って、戸籍は、どうなってる?」
「こ、戸籍?」
 異国語を聞いたとばかりに瞬きを繰り返した彼は、やがて眉を寄せた。
「どうしたの、戸籍って」
「戸籍が、見たいの。キヨツグ様と……出来れば、リオン殿の」
「戸籍なら文部で管理してるけど、どうして戸籍?」
 シキは譲らない。その理由を言ってもいいのかアマーリエは逡巡し、そっと声を忍ばせて言った。
「……キヨツグ様のこと、もっと知りたいと思って」
 嘘を吐いてから、先程余計なことを言ったと思った。この嘘を言うのなら、リオンの名前は出さないでおくべきだった。シキがどう思うかも気になった。本人の留守中に、そのように隠れて周辺を探るなんて、善いことではないと自分でも気付いている。
 深く視線が向けられるのを感じて、アマーリエは決意して顔を上げた。その顔に笑みすら浮かべてみる。
 シキは。
「誰かから、聞いたんだね?」
 無表情に問いを口にした。
 アマーリエからも表情が落ちる。心臓から、胸へ、そこから足や指先へ震えが来て、ぐらぐらと頭が揺れて、青ざめていくのが自分でも分かる。知りたかったことを知ろうとした、隠れされていたものを暴いた、その報いだ。
「じゃあ……本当なの」
 シキははっと息を呑み、尋ね返した。
「じゃあ、今まで知らなかったんだね? アマーリエ」
 頷く。アマーリエは、絶望にも似た気持ちで、それを口にした。
「キヨツグ様は、ライカ様の子どもじゃない」
 前族長と巫女ライカの子ではない。
 直系だと思っていた人は、直系ではない。アマーリエに情報をもたらしたイリアは、あくまでも噂だと口にした。リリス族長との政略結婚が決まった時点で都市も出来うるかぎり周辺調査を行った、その後も調査を続けていたヒト族のリリスからの聞き取りから浮かび上がった一つの噂であり、リリスに深く踏み入ることのできないヒト族にはこれ以上確かめられない話だ、あなたは何も聞いていないかと尋ねたのだ。
 もちろんアマーリエは知らない。誰もそんなことを口にしなかった。アマーリエも、キヨツグが正しい結婚相手だと信じて疑わなかったのだ。疑う余地などあっただろうか。突然結婚しろと言われたやっと十九歳の娘に、相手が偽物だと考えろなどと、無理にも程がある。
 アマーリエは片手で顔を覆う。
 族長でない人物がキヨツグであるとするのなら、政略結婚の意味はどうなる。政略結婚を成すのは、族長と、ヒト族の有力者の娘ということだった。族長が、正しくないとすれば。
「アマーリエ!」
 シキの強い声がしてその存在を思い出す。
「大丈夫」
 そう彼は言う。温かい茶が注がれた茶器を持たされ、指先にじわっと熱が灯る。
「いいかい、僕の話をよく聞いて。その話は、リリスで知らない人はいない、公然のものだ。もちろん、天様もご存知だ」
 瞬きをして、眉が寄る。
「でも戸籍には、天様のご両親は前族長と巫女様になっている」
「でも」
 本当のご両親ではないでしょう、と呑み込んだ言葉がある。
 理性が少しだけ戻ってくる。リリスは世襲制という形を取っているが、長老方の承認が必要で、必要であれば族長家の血を引いていなくとも継ぐことはできると聞いた。そう考えるのなら問題はないように思える。
 しかし、キヨツグの族長としての価値は揺らぐのではないか。政略結婚に求められる族長とは、恐らく、リリスの高位の血統であり、リリスに権威を持つ人間ということ。都市が認めたのはリリスの血統であるシェン家の族長であり、シェン家の血を引かないキヨツグならば、都市との契約を違反したことにならないか。
「アマーリエ。それでもあの方が天の役目にあるのは、あの方が前族長と巫女様、そして、命山の方々に認められたからだ。あの方は正しく族長なんだよ。だから誰も異論なんて持っていないし、あの方が族長になるのは当然だと思ってる」
「命山……」
 神山だと、いう。そこに行くと俗世と切り離され、生き神として生きる。
「命山は、リリスの最高機関だ。王宮よりずっと上のね。最高機関にあの方は認められている。つまり最初から、天位を授かる資格と後ろ盾を持っていたということになる。初めてで異例だったから、跡目争いっていう、一部の人間が騒いだことはあったけどね」
 だからあの方は天様だよ、とシキは締めくくった。
「僕はそれ以上知らない」
「じゃあ、リオン殿は……」
「リオン姫は前族長と巫女様の嫡子だよ。父が取り上げたから間違いない」
 そうかと足下に目を落とす。そうすると、リオンの処遇が気になった。
 シェン家の直系として生まれながら、キヨツグの存在で族長を継げなかった女性は、今は北にあるモルグとの境界で戦闘を指揮する将軍になっている。
 彼女が初めてキヨツグの名を出した時、気にはなったのだ。どこか嫌っているような言い方で、彼女はアマーリエの夫の名を口にしたと、そう感じたから。
 そしてキヨツグは。自分がライカの子ではないとも、リオンという妹がいるとも言わなかった。命山の後ろ盾を得て族長となったのなら、彼にはまだ秘密があるのではないだろうか。
 気がつくと、左手の薬指を撫でていた。リオンに指環を取られたままの指は、空白で軽い。
 民は知らない、王宮にいるシキも知らないのなら、恐らくサコもリュウ夫妻も知らない。可能性があるのは長老方だが、彼らに尋ねるリスクを考えると、もっと確実に知っている人物を当たりたい。
「リオン殿の好きなものって何か知ってる?」
「はい?」
 シキは戸惑ったように首を傾げた。アマーリエは強く左手を握りしめて、頷いた。
「正面から、行く」

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