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 それはどすんと置かれたために波打っている。アマーリエの両手で抱えても十分重かったのだから当然だ。
「いい酒だ」
 アマーリエが床に据えた大瓶にリオンは一言そう言った。それきり受け取って終わる気配がして、アイたちに授けられた次の策に打って出る。
「注ぎます。飲みましょう」
 その一言でアマーリエの女官たちが杯や膳を持って進み出る。音楽を奏でる者が座り、アマーリエは彼女たちにも酒や肴を勧めた。
 宴会に持ち込んでしまえばいい、というのがアイとユメの策だった。自分たちは協力を惜しまないし、酒好きのリオン姫は断らないはず。発案者のアマーリエを放ったらかして次々準備を進めるのを、彼女たちも退屈なのだろうかとどこか仕方がないように思っていたのだが、やはりアイたちの手際の良さに感心してしまう。
 女官たちが舞い歌い、花を撒いて笑いさざめく。注がれれば注がれるだけ飲むリオンは、その内酔いが回ってきたのか、うっすらと肌が染まり、飲むペースも速くなっていく。アマーリエは自分をセーブしつつなんとか隙を探っていたが、しかし酔ったリオンはアマーリエにも酒を勧めるようになってきた。
「真殿、さあ、ぐっと」
 笑いながら曖昧に濁していたが、飲み干すまで許してくれないのだった。アマーリエの顔色もいい勝負だ。どう考えても、このままいくと最初に潰れるのは女官でも誰でもない、アマーリエになりそうだ。
「何故……キヨツグ様がいらっしゃらない時に、戻られたんですか?」
「私は兄上の顔は見たくない」
 浮遊感で若干呂律の回らないアマーリエに比べ、リオンの言葉はきっぱりとしていた。
 理由は明かされないと思ったのに、杯を差し出しアマーリエから酌を受けると、それを飲み干して彼女は口を開いた。
「あの人を見ると異様に腹が立つ。普段は貝のように口を開かず、開いたと思えば下手で、それでいて鈍感だ。なのに、政務や仕事となると別人のようにとても格好がよろしい」
 目の前に、本当にキヨツグがいるのではと思うくらい、目を険しくしていた。
「大体、どうして好き好んで族長など。本当は引きこもりたいくらい他人に関心がないくせに」
 だが、アマーリエはあれ? と内心で首を傾げる。あれは詐欺だなんだとぶちぶちと酒を口に運んでいる様子が、どうも腹を立てているようにしか見えないのだ。憎んでいるようには感じられない。
 それに、キヨツグが『他人に関心がない』とはどういうことだろう。
「二重人格だ、あの人は」
「まあ、それは、思いますけど……」
 二重人格、多重人格、統合失調症、解離性障害、などと頭の中で単語が飛び交う中、呟いていた。
 確かにキヨツグは政務になるとスイッチが入る。喋り方も、目の動かし方も、立ち方や呼吸すら別の人間になったかのように切り替わる。表情は若干乏しくなり気圧されるような気配があって。アマーリエと二人きりの時は、とてもゆっくりと、穏やかで静かに話すのに。 
 そうして、リオンの食いつきぶりは凄まじかった。目をかっと見開くとどんと杯を置き、身を乗り出してアマーリエの手を握った。
「だろう!? 分かってくれて嬉しい! さあ、もっと飲んで」
 勢いに呑まれて注がれるまま飲んでしまう。胃の中が熱の固まりとなって、身体の中心にあってとても重たい。その重力に引きずられるように、瞼も重くなってくる。
 キヨツグとリオンの繋がりを聞かなければならないのに。このままでは潰れると思った意識が、判断を下した。事項の順列が入れ替わる。
「あの……指環を……返してください……」
「ん? ああ、これか?」
 リオンは開いた胸元から指環を取り出した。丁寧にも紐を通して首から下げている。
「兄上も何故ヒト族を娶られたのか。あなたも気付いているはずだ。最も大きな、種族の違いに」
 ぐらぐらと視界が揺れている。併せてリオンの姿も。ただ、その目だけがきつく揺るがない光る点となってアマーリエを縫い止める。
「私たちとあなたたちの生き方は違う。あなたはどんなに生きてもリリスにはなれない。あなたがキヨツグに対して抱く感情の由縁は、あれがあなたを守るからだ。この異国と異種族の地で、王たる者があなたを認めているからだ」
 冷水を浴びせられたかのように心が凍った。酔いが冷める。身体は動くのに、感覚はぎこちなく、うまく背筋を伸ばしていられない。緩やかに笑むリオンは、縦長の瞳孔をアマーリエから逸らさない。
「指環を支えにするのもその証拠だ。これがあればあなたは真夫人として認められ、他者から侮られぬ。あなたは自分の足で立っていないのだ。利用価値のみを認められ、担がれているだけ。価値という輝きが失われれば、放り捨てられる石の類いに過ぎぬ」
 傍らで、床に撒かれた花びらが、吹き込んできた夜風に舞い上がる。女官たちが強い風に声を上げる。中央で座り続けるリオンと、そしてアマーリエは身じろぎせずにお互いを見つめているが、アマーリエの場合、単純に目を逸らせば肯定と取られるという恐れがあるためだった。リオンはいつでも、アマーリエを一笑に付し、どうでもよいものとして視界に入れないことが出来るのだった。
「私は……それ、でも…………」
 必死に言葉を紡ぐ。でも、何を言っていいのだろう。
 価値を認められ担がれたというのなら、キヨツグの場合も同じことが言えないだろうか。アマーリエ、ひいては背後にあるヒト族の思惑に、キヨツグはリリスの象徴としてその輝きを認められた。アマーリエとキヨツグの婚姻関係はその上で成り立つ塔だ。石の輝きがなくなれば塔は石もろとも捨てられる。
「キヨツグが前族長の子ではないと聞き及ばれたそうだが」
 知った時衝撃はいかほどでしたか? と静かにリオンは尋ねた。
 ぐらりと視界が揺れたのは、揺り戻しのような記憶のせいだ。踏みとどまらなければならないという意志がようやく意志を繋ぎ止めていたけれど、考えない日はなかった、聞きたい、知らなければならないとどれほど思ったことか。
 そして心が冷えていく。明日が来なければいいと思っていた。
 あの人がいなければ、私はここにはいられない。
「例え、キヨツグ様がライカ様の息子でないとしても、私はあの人に妻になりました。族長であるとか、ないとか、そういうことは」
 酔いが戻ってきたのだろうか、熱に浮かされたようにするりと言葉が出たが、それは心の奥底から浮かび上がってきたのではなく、表面をなぞるような軽いものとして感じられた。それを見抜いたかのように、リオンは哀れむようにふわりと笑った。
「だがそれは否定にはならない」
「…………」
 何かを言った。しかし覚えていない。苛烈に見える彼女があまりにも幼子に見せるように笑ってみせたように思えたら、そのまま意識がことんと消えて、ひどく悲しい感情だけが最後に残った。

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