|  <<  |    |  >>  |

 通された部屋、窓の向こうはなだらかだったが、下の見通せない崖の上だった。こんな不便なところに住むことの理由がよく分かっていないのは、まだリリスらしい考え方を持てていないからだろう。
 でも、一体何のためなのか。何か特別な理由がなければ必要性を感じられないアマーリエなのだった。
 手を置いた窓枠の飾りは古いようだったが丁寧に磨かれてつやつやしている。窓も透き通って光っていた。
 部屋を見回せば、狭いながらも人を優しく迎え入れる空気が、調度品や整頓から伝わってくる。リリスの最高機関の建物であるというのに、それは悪い言い方をすれば、どこか庶民的なのだった。しかし、放っておかれた部屋にはない雰囲気がとても安心できた。
 少し歩いてみたいと思った。歩くくらいなら許されるだろうか。念のため書き置きをしておく。筆が、どうやら一点ものらしい雰囲気を醸し出していて、よれた自分の字に若干情けなくなる。命山の人々に笑われないといいのだが。
 建物の造りは、いくつかの建物を廊下で繋ぐという王宮の造りと大差ないように思えたが、やはり古い印象だった。
 高いところにあるせいか、青空が非常に透明な色をしていた。本当に、ここが雲の上だとは思えない。絶対にそれほどの時間山を登っていたつもりはないし、いきなりテレポーテーションしたんだと言われた方がしっくりくる。そもそも、雲の上に来たのだったらもっと大変なことになっていそうなのだが、と首を捻った。何か不思議な力が働いているのかもと想像力が逞しくなる。
 人とすれ違わないことも、異界を感じる感覚を鋭くさせた。呼べばすぐにみんな現れるだろうけれど、それまで空気や影に溶けているという。どこかに主がいるのだけれど、従者は客人の様子を油断なくうかがっている様子。
 建物が途切れた。廊下がなくなっているが、道は続いている。ぽかんと突き抜けた真っ白の道は、あまりにも細かい砂利のせいだ。透明の空の下、近い太陽の光で石が発光している。陽炎のように光が沸き立ち、その向こうに、黒い影がくっきりと浮かんでいた。
(……影?)
 するりと消えた人影だった。少しも悩まずにそっと追いかけていた。道のせいか足が痛まない。汚れもしないはずだと確信があった。そうして歩いていくうちに、白い世界に見えたのは、向こうへ行く緩やかな坂になっているためだと知った。影が見えなくなったのもこのためだ。坂の向こうには、妙なものがある。
 近付いてみると、やはり細長いものは横たわっていた。剣に、見える。
「あれ?」
 声がすぐ向こうでした。澄んだ声。
 人が立っていた。黒い髪、黒い瞳の女性。
 漆黒の、本当の黒。
「こんにちは」
 さりさりと音を立てて近付いてくる。
 背がほんの少しだけ高かった。髪はとても長く、しかし身につけているものは本当に簡略化したリリスの衣装、そしてほとんど時代遅れなものなのだった。
 近付いて、アマーリエの瞳を覗き込む。その丸い瞳が、丸くなった。
「私と同じヒト族の人、すっごく久しぶりに見た」
 思わずといった調子で呟いていた。アマーリエも同じことを思い、しかし後半部分は『どうしてリリスの土地にヒト族の人がいるの』ということを考えた。
 しかも、相手はアマーリエと同じか少し上くらいの年齢に見える、若い女性だったのだ。
 リリスにヒト族はいないはず。アマーリエが初めてだったはずだった。なのに何故? しかもここは聖地である命山だ。リリスの最高機関に、ヒト族? 疑問が止まらない。なのに考える端から浮かぶので口にも出来ない。おかげで口を開けたままだ。
 そのアマーリエの髪が、下に引っ張られた。
「いたっ!」
「良かった、幻覚じゃないんだ。挨拶が返ってこないから幽霊かと思った」
 そしてにこやかに「ごめんね」と言って、頭を撫でられた。
「す、すみません、こんにちは」と若干身を引きつつ挨拶する。
「うん、こんにちは。そうか、あなただね、リリスと政略結婚したって女の子。ねえ、名前教えてくれる?」
 この人こそ幽霊ではないのだろうか。まさかこんなところで、普通に女の子同士の自己紹介をするなんて。
 相手の笑顔に曇りはない。しかし、その奇妙な空気は何だろう。
 浮世離れしているという表現がしっくり来た。白い場所という世界から離れたようなところで、時から隔たったような古い姿形をして。会うはずもないのに会った、その時の気持ちはこんな風に、すべてが制止したような感覚と、後にそれらが余分の時間であったように感じるのだろうか。
「アマーリエと、言います。あの、あなたは……?」
「私? 名前久しぶりに訊かれたなあ!」
 嬉しげに満面に笑みを浮かべた彼女は、突如ふっと目を逸らした。風が吹いたのだ。何かに耳を澄ますように目を閉じて、緩やかに吹き続ける風の中、髪押さえながらこちらに笑った。
 静かに名乗った。
「エリコ」

|  <<  |    |  >>  |



|  HOME  |