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「エリコっていうのは曾祖母の祖母の名前で、古い名前なんだけど、アマーリエっていうのは今は一般的なんだよね?」とエリコは興味深げに尋ねた。多分、というのがアマーリエの返事である。それに、彼女は息を漏らした。
「外来語の名前か……だいぶと血が混じったんだ」
「はい?」
 何事か言った気がするが聞こえなくて首を傾げる。なんでもないとエリコは首を振った。
「アマーリエは、どうしてここに? シャドで何かあったの?」
「いえ、……あ」
 異変といえば異変が思い当たり、小さく声を上げるとどうしたのと聞かれる。
「ええと……キ、いえ、天様が、都市訪問に行かれました」
 エリコは目を見開いた。そしてにやりと何故か笑った。
「なるほど、『山を下りた』わけだ」
 一人でにやにやしている。まるで分からない話をするエリコの、印象がどんどん変な方向へ変わっていく。
「あの……ここに住んでいるんですか?」
「そう」とあっさりエリコは頷いた。アマーリエの驚きは計り知れない。だって聖地だ。リリスの国だ。ヒト族が住むなんて、どんな特例だろう。そんな驚きを知っているのか、エリコは歩き出してアマーリエが来た建物とその向こうを指差し、言った。
「ここ全部が私の家。五百年もいたら飽きるけどね」
「五……え、え!?」
 思わず絶叫しかけた。目の前の人はどう見てもヒト族だ。恐る恐るからかったのか様子を窺ってみると、エリコはにっこり笑っていた。例え話に違いないと思ったのに、それは打ち砕かれる。
「長生きでしょ? 私もこんなに生きるなんて思わなかった。五十年で長寿だったしね。今はもうちょっと長いの?」
「リリスが、五十年?」
「ちがうちがう。リリスはもっと長かったよ。リリスは段々短くなってるんだ。私が訊いたのはヒト族の寿命」
 混乱する。なんだか出口のない迷路に、意味も分からず追い込まれている感じだ。
 ヒト族の五十年が長寿だなんて、どれくらい過去の話だろう。リリスがもっと寿命が長いけれど短くなっているなんて、本当はどのくらい長かったというのだ。それに、このヒト族の女性が五百年を生きている、わけがない。話を総合するともっと、ずっと、果てしなく長いはず。
「ヒト族は……平均寿命七十歳です……」
 そう答えるのが精一杯だった。長くなったねえというのがエリコの感想で、目眩を覚えた。自分は、何かおかしい存在を会話していないだろうか。
「リリスに色々あったのは分かった。それで、どうしてここに来たの?」
 アマーリエははっとする。
 この人は、知っているのだろうか。まるで、すべての秘密の固まりみたいな彼女は、泰然と微笑んで答えを待っている。
 意を決して、口を開く。
「キヨツグ・シェン様が何者か、知るために来ました」
「キヨツグ」
 エリコはすっと目を細めて、淡い微笑を浮かべた。
 アマーリエは彼女を見つめ続ける。彼女の微笑で確信を得た。あなたは知っているでしょう、私の知らないことを教えてくれるでしょう、と。
「あの子はセツエイとライカの子ども。違うの?」
 思わず突かれたように足が動いて戸惑う。それを押し殺して首を振った。
「違うことはありません。ただ、私は知りたいんです。あの人がどういう方なのか」
「それは本人訊いちゃだめなのかな」
 胸を必死に握りしめていた。更に強くなった力による痛みで気付く。
 視線が落ちる。
 キヨツグに訊けば、きっと、教えてくれる。子どもの頃のことも、両親のことも。出生についてだって。でも、それは出来ない。首を振った。
「……どうして?」
「だって……他の人に知られてはいけないからです。あの方が私に秘密にしているということは、私に知られてはいけないということ。ひいては、都市に隠さなきゃならないことだから。あの人が、シェン家の血を引く族長でなければ、命山の後ろ盾があっても、都市は、きっと、許さない……」
 口にすればするほどすらすらと出てきた。それは、酒宴でリオンに言った言葉のように、あっさりと引き出されれば引き出されるほど滑り落ちた。
「命山の守護があれば、彼は族長だよ。誰がなんと言おうとも。それでも、許さないの?」
 頷いた。
 すると、エリコはため息をついた。どこか苦笑が滲んでいた。しかしそれを振り払うように軽く頭を振ると、真っすぐに貫くような瞳でアマーリエを見た。
 手を取られた。
「いい。よく考えて」
 その細く節くれ立った指は、あまりこういう場所で暮らし続けているはずの女性らしくない、男っぽい指だ。その指は、強くアマーリエを捕らえている。
 少しだけ屈むようにして、エリコは覗き込む。漆黒、本当の黒の中から生み出された黒色の玉の瞳が、薄く淡いアマーリエの目に真剣に問いかける。
 止めて。
「アマーリエは、許さないと言った。直系の族長でなければ、だめなんだ、って。でも、キヨツグはちゃんと族長で、更に命山の守護も持ってる」
 間が空いた。考えるための間だ。
 だめだそれ以上は、と痺れるような警鐘が鳴り響く。
 エリコは恐れていたものを、口にする。
「族長として、これ以上の後ろ盾はないと思わない?」
 アマーリエが唇を噛み締めたのが、エリコを微笑ませたようだった。悪いことがどういうことかを理解させた、親の顔だった。
「じゃあ、考えて。本当に許さないのは――誰かな」
 吐いた息が震えた。吸った息も。目から、熱いものが込み上げようとする。かたかたと揺れる自分の手の自由が利かないのは、否定しようと、聞かないでいようとする防御だろう。
 エリコは待っていた。逃がさないよう手を握っていた。
「…………私」
 私だ、と力が抜けた。
 俯いた途端、膝から崩れ落ちた。握られた手が引かれてゆっくりと膝を突くだけで済む。
 秘密を、抱くから、あの人が。秘密が許せなかったのだ。その人を丸ごと自分のものにしたいから、さんざん騒いで暴き立てようとした。キヨツグが、いつか話そうとするのを待たずに。なんて強欲。
「過去を……明かすことは、それまでを明かすことです……」
 いつの間にか吐露していた。
「今までを構成してきた心を明かすことです。でも相手を知ろうとすれば、自分を知らせなければならないから……」
「知らせちゃだめなんだ?」
 ごくりと呑み込む喉が震える。
「……こわいんです……私でも知らないところを、知られてしまう……」
 それは、汚い部分だった。隠している部分だった。
 推測は、時に核心をつく。自分でも知らなかった醜さと、自分が知って隠した醜さを暴く。だから勝手な憶測は嫌いだった。ずっと。ずっと。
「心を抱えていくことはね、つらいよ」
 エリコが膝をついて覗き込んでいた。
「だから、分け合うの。半分ずつ持つの。でもそれが怖いアマーリエは、不安だね。しあわせって、不安を呼ぶね」
 そう言って笑みをこぼした。
 彼女も痛みを覚えたことがあるのだ、そう震えながら思う。
「共有したいとは、思うんです、でも」
 アマーリエは口を覆い、堪えきれず顔を覆った。
「私たちは……私は――いつか、隔てられてしまう」
 初めて口にする不安は重く、苦しく、切ない。涙がこぼれて、ぼとぼと落ちる。いくらでも流れていく。
 それをエリコが拭ってくれる。
 ヒト族と、リリス族。その寿命の違いは明らかすぎるくらい明らかだった。最初から分かっていたではないか。ヒト族と違う種族と結婚することが都市で逃げ出した一因でもあったのだろうから、自分とは違う人間種と結婚することくらい本当の最初から理解していた。
(なのに、どうして)
 キヨツグは三十代で二十代の外見。アマーリエはようやく二十代間近だ。どちらが老いていくのかは歴然としている。確実に歳を取っていく。
 怖い。置いていくことも老いていくことも。
 今更に、どれほど遠いかを気付かされる。
 だからもっと求める。こんなに気持ちが大きすぎて、あの人を覆って呑み込んでしまいたくなる。すべて自分のものにしたい。過去も現在も未来も、身体も心も。破壊衝動に似ていた。もろとも死んでしまいたいと思う人々は、もしかしたらこういう思いを秘めている人間なのではと思った。
 そういうところを、キヨツグには知られたくなかった。あの、生きることだけを進むリリスの長には。
 でも自分を知られたくないなんて、自分勝手だ。どうしてそこまで頑なになって、心を開けないでいるのだろう。
 一番の不思議は、だというのに目の前の女性には不安が口に出来るということだった。
 精一杯、呼吸を繰り返した。大きく息を吸い込んだ後、ようやく、笑った。
「ごめんなさい、泣いたりして」
 エリコは首を振った。そうして、立ち上がるのを手伝ってくれる。言葉はなかった。アマーリエの虚勢を見抜きながら、そっと見守る優しさだけが手から伝わってきた。
「あの子は……最初の血統を継いだリリス。あなたよりも生きるし、他のリリスよりも生きるだろうね。……化け物でしょ」
 誰のことを言っているのか、すぐに分かった。首を振る。
 恐ろしくなんてない。あの人がどんなものであっても、大切にしたいと思う。しかし、自分と違う寿命の命であることは痛いくらいに分かっていた。
「私は、そう思ってた」
 素直に口にしたエリコは、晴れやかに、透き通った笑顔だった。
「そんなの生き物じゃないって思ってた。自分が同じようになってしまってから、認めなくちゃならなくなったけれど」
「……生きているかぎり、それは命です」
 アマーリエは言った。サオを思い出して、自分から強く手を握る。少しだけ瞬いたエリコは、笑った。
「優しい子だね。ありがとう」
 少しも疑うことのない声音で、手を額まで掲げて押し抱いてから、離れた。
「この世界がもし滅んだとして……私がその世界に生き残ったとしたら、彼もまた同じようにどこかで生きているんだって、信じている人がいるんだ」
 そういう生き物だからとエリコは笑う。一人じゃない。
 遥かな時を生きる人がどれほどの喜びと苦しみで生きてきたのかは、知らない。けれど突然交差したこの出会いは、とても意味のあるように思えた。いいや、意味のない出会いなんてどこにもないはずだった。未来の姿があるのなら、この人のように生きたいと、強く思った。
「……あなたは、誰なんですか?」
 エリコは髪をかきあげる。強い風の中で世界を眺める少女のように。
「ヒト族。でも、リリスでもあるの」

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