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 リオンと別れたすぐ後に、アマーリエは王宮に戻っていた。キヨツグの帰還の日が近付いているのを携帯電話のカレンダー機能で確認する。メールも電話も、返事がないと判断したか止みはじめていた。今日のメール受信は二十件程度だ。
 キヨツグの詳しい動きはイリアの知らせを受け取れば分かる。訪問は成功に終わりそうだと、主観ながらと添えてあった。
 キヨツグは一体、都市をどう受け取ったのだろう。あの、ビルの群れと車の川、薄く煙ったような空の街を。ヒトが、大人が淡々とやり過ごすような時間の流れる国。
 電源を切りながら、どれだけ『そこ』つまりあの人に近付けるか、何をすれば最も近付けるかを考えてみる。
 リオンの帰還、ライカの物語り、コウエイとサオの出迎えと見送り。エリコとの会話。キヨツグがいない時間にあっという間に出会ったものを思えば、少しだけ怯えていたキヨツグとの顔合わせに、今は心が騒いでいるのが分かった。
 ああ、会いたいな。空や太陽や風や、草や木や花を眺めるように、思った。
 重臣に帰還の日程を訊くと快く教えてくれたが、何故そんなことをと尋ね返された。
「迎えに行こうと思うんです。境界まで。だめですか?」
 重臣は苦笑した。その呆れともつかない笑顔に理由を尋ねると。
「そう申されるかもしれぬと、天様よりご指示を承っております」
 アマーリエは目を二度瞬かせてから真っ赤になった。
 あれほどアマーリエが思い悩み、汚いくらいまでの欲求を抱いていた相手が、あっさり自分を見抜いて、そうしてアマーリエの意志が通るように道を造っていたというのが、非常に情けなく恥ずかしい。もしかしたら知られたくなかったことが知られているのではないだろうかと青くもなりかける。しかし、笑ってしまうくらい嬉しかったのだった。



「何をやっているかと思えば」
 アマーリエは振り返る。若干不自由な足を動かしてやってくる、カリヤだった。
「まったく。前代未聞のご指示を戴きまして」
「キヨツグ様にはお見通しだったみたいですよ。ほら、集まってきてます」
「その対応に追われているのですよ。あなたは良いご身分ですね」
 外聞を捨てた態度にアマーリエは首を傾げた。初めて会った時と対応が違ってやしないだろうか。
「何かあったんですか?」
「だから対応ですよ」
「いえ、カリヤさんに」
 ものすごい勢いで顔を向けられ睨みつけられた。覚えがないので身を引きはしたものの怖くはない。逆に、本当に苦虫を噛み潰した顔とはこういう顔を言うのだろうと妙に納得してしまった。
「いいえ、なんでもありません」
 誰が言うものかという顔と口調で言われても説得力はない。
 また新しい人々が到着を告げ、官吏と兵たちが出迎えに走っていく。王宮前の広場にはぎっしり馬と人が詰まっていた。入りきらない者たちはシャドの外にいるという。これだけの人々が、キヨツグの、ここにはいない族長の命令で集まるのだから、とてつもない連携だ。よくフィクションでは裏切りが描かれるが、そういうことはないのだろうかと穿った見方をしてしまう。
 聖地という命山が、リリスの最高機関であることを思う。そして、純黒の女性の姿を。そして、目を射るような日差しの光の向こうに愛しい人を見て、息を吸い込んだ。会ったら言いたいことがたくさんある。笑顔を浮かべたい。
「恐ろしい方だ、あなたは」
 険悪な様子でカリヤが言った。
「重臣たちを微笑ませ、官吏や王宮女官たちを味方につけ、あのリオン姫将軍まで懐柔した。あなたのせいで、リリスは変わっていく」
 隣にいたカリヤのどこか愚痴じみた言葉。鬱屈した姿が笑顔の明るさを持っていたのは、仮面のような一面だったらしかった。彼の本音は苛立ちだ。
「あの方は、誰かに情を移すことがなかった。敵対している私にすら、その時は嫌な顔をしても次の瞬間には忘れているような人だった。どうして、あなたなんです。……なんです、その顔は」
「ええと……」
 妙な方向に想像が働いてしまったのだが首を振る。
「……変わってほしくなかったんですか?」
「そうはっきり聞くあなたに腹が立ちます」
 そうしてカリヤは視線を逸らし、ふと、あれは、と言った。
「あれは天様の昔の恋人です」
「え、え!!?」
 集まった人々の世話をする女官が指差される。
「音楽が得意だったのでよく夜中に弾かせていました。それだけしか能がなかったのですぐ終わりましたが。ああ、あの膳を運んでいるのもそうです。視察に行った時に連れて帰ってきました。そうそう、文官の補佐官、あれもそうです」
「カリヤさん」
 まだまだ続きそうな言葉を、呼び止める。
 少しだけ波打つ胸は、眉間に皺を寄せたカリヤを前にしてやがて収まっていった。冷静と、苦笑が胸から浮かび上がり、アマーリエはそっと首を振った。
「もう、無駄なことです」
 カリヤは不快そうに更にきつく眉を寄せる。
「だめです。もう、花は咲いたんです。巻き戻すことは出来ません。変わったものは取り返しがつかないんです」
「愛されているという自負で仰る」
 そうかもしれない。取り返しがつかない。もうあの人しかいないという、逃げ道のない愛情のようにも思えるけれど。でも少し違う気もした。
「多分……私が都市に戻れないのと同じです」
 戻れない。進んでしまった。開かれた道は前にしかなく、道を戻ることはできない。過去は過去で、現在と未来しか正面にはない。そして前へ進むその心は止められない。
「前に進まなければならないほど、気持ちが大きくなっていく」
 恐れはある。確実に訪れる未来に向かうのだから。しかし、その心が何よりも大切だった。
 カリヤはやがて深く息を吐く。がしがしを頭を掻きむしり、微笑を浮かべて見守るアマーリエを睨みつけた。言い返す言葉の会心の一撃を探っているのかもしれない。
 そして、一言。
「この、馬鹿夫婦」
 思いもがけない言葉だった。
 アマーリエはぽかんとして、去っていくカリヤを見送った。急ぎ足で怒りに地面を踏みしめて猛然と進み、湯気を立てそうな勢いは機関車によく似ていた。吐き捨てたのは苛立ちの煙で、窓を開けたら突然煙りが吹き付けたという顔で瞬きしていたアマーリエは、やがてお腹を抱えて笑い出してしまった。
 涙を拭いつつ、くつっくつっと身体を揺らし、一人ごちた。
「あーあ……本当、どうでもいいことで悩んじゃったね……」
 いつも見ていたであろう空に向かって吐き出してみる。こんなに笑ったのも久しぶりで、思い切った行動をしてしまったのも肩がほぐれた気持ちだった。キヨツグがいなくなってしまってから、どこか小さくなっていたのは確かだったようだ。否、もしかしたらリリスに来た時から。
 どうでもよくないけれど、些細なことだったかもしれない。小さくて、でもとても重たくて。加えて自分の心の重さがあった。明かせない、明かしたくないと願う、『本音』という本当の心が。
 多分自分は一生怯えるのだろうと疑うことのない確かなことがあった。自分を美しく見せたいと思い、汚いところを見られたくないと願うだろう。そして、年を重ねていく度に増していくそれらの思いを。
「真様、ご機嫌いかがですか!?」
 ずっとぼうっと立っているように見えたのだろう、見知らぬ鎧の武士たちがうわずった声で問いかける。アマーリエは首を傾けて笑った。
「とてもいいです。ありがとうございます」
 それは本当の気持ちだった。

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