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 先導する女官は神官服に身を包んでいる。神殿の女官はあまり足音も立てず、気配も薄かった。キヨツグからしてみれば、常に息を潜めて何かの声を聞こうとする態度に見えた。
 通された神殿の奥の一室で、ライカが身を起こして何かを書き付けていた。銀灰色の表紙はどこから手に入れたものか、紙そのものに細かな輝きが見えた。逆に、とキヨツグは思う。この人は問答無用で様々な声を聞き物を見させられるのだろう、(そら)に。
 切りよく終えたのか筆を置いてライカは微笑みかけた。
「……お加減は如何か」
「眠りが長くなっていますね。覚醒期間も短くなっているし、だいぶとへたってきたようですよ」
 相変わらず淡い色のような美しさだったが、陰りが見えたのは、そのように歳を取ったことを口にするせいかもしれない。
 巫女の位は家長の母親のもの。しかし、ライカ・シェンは本物の巫女の一族の人間だ。キヨツグもこの人の本当の年齢を知らない。知らずとも、王宮に住まう神聖な人であることは分かっていた。
 抱き上げてもらった日のことが嘘のようだと、キヨツグは微かに微笑む。
「……子が出来ませぬ」
 知っているというようにライカは頷く。
「私にも真にも問題はないはず。巫女のあなたはどのように見られます」
「夢を見ましたよ。あなたが都市に行く夢です。お忍びみたいで、ヒト族の格好をしていました。青い生地の脚衣の足が長くて、みんながちらちらとあなたを見ているの。そこで、あなたは花を見つけた」
 その咲く花の名を、キヨツグは知っている。
「ある時では、あなたはセツエイ様の墓前に立っていたわ。種が撒かれているのを雪の上では知ることができなくて、本当に誰かを愛せるのか分からないと思っていた。私の言葉をきちんと覚えていて、いい子ね」
 今そうであったかのように言う。苦笑がもたげた。時間の感覚が違うというのなら、この人は相当なのだった。
 そして、間違いなく己も同じようになるだろう。
「どこにでも芽吹きはあるわ。時が来れば。子どもは生まれます。ただ、その時幸福を決めるのは、あなたたち自身よ」
 思ったよりも、安堵を感じた。慰めであっても、他者に断定してもらうことは不安を拭う。相手が大切で自分のせいにしたがる妻をキヨツグは知っていた。同じように自身も己が原因にしたかったからだ。ライカはそれを払拭する。
 礼を口にしようとした時、ライカは身を乗り出した。その瞳の真剣な光。
「本当よ、覚えておきなさい。幸福は、あなたたち(・・)の幸福は、一人で決めるのではないの。幸福を、選びたくとも選べない子がいるのよ」
 叱られたときのようにそっと頷いた。ライカは少しだけ安堵したように目元を和ませる。
「マサキ殿に手紙を?」
 不意に聞くのでぎくりとしたものの、かろうじて頷く。このことを知っているのは一部しかおらぬはず、やはりこの人は王宮の主だと思い知る。
「失礼致します」と女官が現れて、アマーリエの訪問を告げた。アマーリエは両腕に、どこから持ってきたのか花を抱えて現れた。驚きに目を見張っていると、恥ずかしそうに「造花なんです」と答えた。
「まあ、ありがとう。その花、申し訳ないけれど、一つ千切って貼っていいかしら?」
 快く了承したアマーリエから好きな花を一輪抜き取る。薄桃色の小ぶりの花だ。花束では主人公を添えるようなそれを選んだことが不思議だったが、ライカは上機嫌だ。残りは女官が引き受けて飾りにいく。
「……それは?」
 灰色の表紙の冊子を指したアマーリエに、秘密そうにライカは言った。
「私がいなくなったら、あなたたちにあげましょうね」
 納得したような声を漏らす妻に、キヨツグは心のなかで告げる。
 それはある種の物語のようなもの。恐ろしく正確な、出会いと別れの記録だ。
 ライカとアマーリエはそれから軽く世間話をした。間に穏やかな空気が流れていることを初めて知る。どちらかというとアマーリエの方が話をするので驚いた。それを楽しそうに聞くライカも、眠ってばかりではいない頃を思い出させる。
 そろそろ退出をと言われるまで話し込んでいたが、身体を気遣う言葉をかけて、部屋を退出した。
 神殿を出たキヨツグは、そのままアマーリエを連れて紺桔梗殿に向かい、告げた。
「都市へ行く。公表はせず、非公式に訪問する」
 驚くアマーリエの前で、はっと長老たちが受けた。長老たちとの間で交わされる意味のある視線に彼女は気付かず、少し顔色を変えてこちらを見るだけだった。
 手紙は、キヨツグにも膨大に来る。それをひとつひとつ処理するのが仕事の一つであるが、一方で一部にしか触れない秘書がある。
『種は撒きました。いつでも、芽吹くでしょう』
 季節の訪れを書くように思えた世間話は、意図的なもので満ちている。自身の様子を簡単に書いたものだったが、キヨツグには理解の及ばない用語を使われるよりも、よほど分かりやすかった。
 事務的に意図的に詳細を省きつつにおわせていた文面は、最後にはっきりと意志を告げていた。
『アマーリエには言わないでください』
 追伸の通り、キヨツグは告げなかった。

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