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 風で車が揺れる。今日は風が強い上に、林立するビルの風で強く吹き付けてくるからだ。高級車だからだろう、エンジン音の唸りもそれほど聞こえず、どちらかというとそんな外の風の音が大きい。
 スクエアの信号に引っかかり、アマーリエはスモーク越しに外を眺めやる。電光掲示板がくるくる表示を変えていた。ニュースからいくつもの宣伝へ。前に見た時とは違う、知らない少女が数多くのCMに顔を見せ、あれは多分知らない間にデビューしたタレントなのだろうと考えた。
 向こう側は休日の歩行者天国で人の群れがひっきりなしに行き交っている。若い女性が今では考えられないような短いスカートを履いて足を見せ、明らかに染めている派手な色の髪の人も見受けられる。こんな日でも変わらず仕事をしているらしいビジネスマンが忙しなく歩いていき、中には、きらびやかな着物で雲のような襟巻きを巻いた女性たちが行くのも見えて、アマーリエはそっと目を細めた。
 信号が変わり走り出す。運転席の正面から日差しがあって、通り過ぎる陸橋や高さの違うビルにくるくる日と影が入れ替わる。
「どう、アマーリエ、久しぶりの都市は」
 イリアが聞いた。アマーリエは微笑む。
「あんまり変わってないって感じかな。でもファッションは多少変わった感じがする」
「やっぱり女子ねえ! ファッション雑誌持って帰る?」
 視線がミラー越しに投げられたので、アマーリエは素っ気ないスーツを見下ろした。都市に入るにあたってリリス衣装では目立ちすぎてしまうので、仮の衣装をともらったものだ。しかし、アマーリエが触ったこともないような高級ブランドのものだったので、出費はどこからだと聞いたら、キヨツグからだと言われた。キヨツグは何も言わずに、自身も着慣れない高級スーツを身にまとって、狭い座席に長い足を伸ばしている。
 外を見ながら会話を聞いていたキヨツグは、視線に気付いて柔らかく微笑みかけてくれた。
 車内には、運転席にイリアと隣にユメ。後部座席にはアマーリエとキヨツグだ。前方と後方の車両に、異種族交流課とリリス親衛隊の数人が乗っている。しかし、訪問は非公式であるために都市の人々はすべてイリアの信頼できる部下だ。あくまで、イリアの厚意で案内されているという形だった。
 そう簡単に人を使えるのは、イリアがエリートコースに乗って異種族交流課の課長にのし上がったことがあるのだから恐れ入る。これまでの目上の人々を従える立場になったのだから、やっかみは多いわねえと嘘を吐いたように笑っていたイリアだった。
「ごめんなさい、イリア。今日はありがとう」
「ううん、最近ちょーっとアレだったし、気分転換になるもの」
 あれ? と首を傾げると、イリアは唸った。
「ごめんなさい、口が滑った」
「ちょっと、あれってなに?」
 言いかけた手前黙っているのも気に食わないイリアだから、きわめて軽い口調で答えた。
「嫌がらせがちょっと度が過ぎててねえ。仕事をして、嫌がらせを受けて、その嫌がらせの調査をして、ってね」
 あ、仕事には影響ないわ、と肩をすくめている。
「それ……大丈夫なの?」
 ストーカーとかになったらという言葉を呑み込む。無闇に不安を与えるものではないからだ。
「今のところはね。複数犯みたいだから、どうやってうまく見つけて懲戒しようかって考えてるとこ。ああ、サドの血が騒ぐわあ」
「真面目に心配してるんだけど」
 と言いながらも噴き出してしまったアマーリエだった。笑っていたイリアだが、しばらくしてキヨツグとユメに言った。
「失礼しました。リリスの方々に、都市の失態をお聞かせしました」
「いいや。大事であろうが無理をされぬよう、どうか気をつけられよ」
「ありがとうございます」
 ミラー越しにイリアが笑った。
 車両は都市の住宅街に停まり、三角屋根の白い建物の前で乗客を降ろした。アーリア診療所は、休日の今日は、休診の札を下げてカーテンを閉ざしている。示し合わせていたのか、イリアはさっと扉を開くと中に三人を招き入れた。市職員や親衛隊は警備のためにあちこちに散っていく。
 中は消毒液のにおいがする。同じ医療にたずさわる場所でも、王宮の医局はここまで強いにおいはしない。人工的なにおいだと感じる。床も、暖かみを感じない無機質な人工素材だ。
「アマーリエ」
 低い声に呼びかけられて、はっとそちらを見やった。水色のセーターにベージュのスラックス。きつい面差しの美しい人。
「ママ……」
「元気そうね、アマーリエ」
 アンナは優しい顔をしていた。小走りに駆け寄ると、お互いに抱き合い、頬を触れ合わせる。挨拶を終えると、そっと背後の二人を見やった。
「ママ。彼女はユメ・イン殿。私の警護をしてくれる人なの」
 ユメは胸に手を当てて礼をした。
「それから、この方は……」
「知っているわ。報道に流れていたもの」
 いつでも伸びている背筋のまま、アンナは二人の元に歩み寄る。
 それに、彼は礼をした。
「キヨツグ・シェンと申します。お初にお目にかかります」
「初めまして。アマーリエ・エリカの母で、アンナ・アーリアと言います」
 挨拶はそれだけだった。アンナはアマーリエを振り向くと、着物の準備がしてあるから二階に行きなさいと言った。「着付けなんて久しぶりだから出来るかしらね」とアンナは漏らす。
「あ、多分自分で出来ると思う。御前、手伝ってくれる?」
 リリス衣装は着物とそう変わらないというのが、アマーリエなりの実感だ。だから出来るだろうというのが推測だった。何かあったらユメに頼んで母を呼んでもらえばいいと考えた。
 ユメがアンナに会釈して、アマーリエの後についてくれる。アンナが肩をすくめて、向こう側に歩き出して義理の息子にどうぞと案内をしている声が聞こえた。
「如何なされました」
 ユメがそっと尋ねる。履き慣れないスリッパだろうに音もなく近寄る彼女に、そっと声を潜めて打ち明けた。
「私の母と、キヨツグ様っていう取り合わせ。なんだか大丈夫かなあって」
 ユメが振り返って様子を見ようとした、が、姿はもう消えてしまっている。
 何せ、正式な手続きすべてを飛び越えて結婚してしまった。相手の顔も母は知らなかったはずだし、相手の親族のことも知らないのだ。それどころかリリスの国にも足を踏み入れたことがない。自分の親を結婚相手に会わせるなんてこと、初めてで心配だった。普通なら、この人が彼氏です、としかるべき時にしかるべく紹介をするのだろうに。
 ため息を、ユメは微笑ましそうに見ていた。
「お美しいお母上でございますね。真様とよく似てらっしゃる」
「そうかな……? 私、父には父の姉によく似てるって言われてたから」
 口にした瞬間、それは降ってきた。父の、あの求めるような目、声。
 お前はよく似ているよ。
 ぞっとするまではいかない、さっと冷たい手で背を撫でられたように思えた。
 母は今日のことを知っている。では、父には連絡したのだろうか。この日を終えて数日後、アマーリエは二十歳になる。来年は二十一歳。その次の年、アマーリエは越えてしまう。叔母の年齢を。
 どく、どく、と何か恐ろしいものが近付く予感のようなものに、心臓が音を立てる。
「真様」
 気遣わしげにユメが見ていた。はっとして、首を振り、笑う。気に障ったわけではない。思い出しただけだ。ずっと忘れていられた、誰かの影。
 でも、時々思っていたことが再び脳裏に浮かんだ。父にとって、果たしてどちらが影なのだろう。
 ドアノブにかけた手が滑りかけたがぐっと握る。勢いよく開け放つ。そして、扉を開けた先に待ち構える、着物一式に立ち向かうことにした。

   *

 入口近くの椅子ばかり置いた広い場所に、キヨツグは案内された。棚があり、派手な色彩の表紙の書物がいくつも置かれてある。報道関係なのだろうと見当をつけた。
「元気そうでよかったわ。……なんて言う資格、ないんだけどね」
 一人ごちた後に煙草を吸ってもいいかと尋ねられ、どうぞと言う。アンナは立ち上がり隣室に消えると、小さな小袋を持って戻ってきた。取り出した小さな箱から筒状のものを一本取り出すと口にくわえて、硝子のように透明なもので火をつけた。そんな小さなものでも火が起こせるのか、と顔に出さず驚き、観察する。
 アンナの口から煙が吐き出された。
「私はあの子を捨てたも同然ですものね。二度も捨てたの。聞いているかしら」
 首を振ると、アンナは言った。
「結婚して仕事を辞めて、あの子を生んで育てたけれど、私は仕事がしたかったの。その姿勢が原因で夫と不仲になって、アマーリエが六歳の時に離婚したわ。そのまま仕事を初めてこの病院を持ったのよ」
 キヨツグの変わらない表情を見てどう思ったのか、皮肉げに彼女は唇を歪めた。
「あの子が大人になるまで待てなかった。手のかからなくなるまでの時間を、奪われるのが嫌だったのよ。あの子はとても賢い子で手はかからなかったけれど、私は、私の思う通りに生きたかった」
 それは、母親として考えるのなら傲慢だった。
「リリスにはない価値観かしら」
 分かっている口調で問いかけていたから、キヨツグは瞬きするに留めた。アンナも気に留めない様子で次の話題を口にする。
「そちらでは女性はどういう仕事を?」
「農業畜産を営む者、紡績や縫製をする者、鉄鋼業の家に生まれた者は彫金師として、幼少の頃から商家に奉公に出る者もおります。他に医師や薬師、武士として兵役に就く者も、政治にも関わる者も」
「ファンタジーの世界みたいね」
 でもそこにあるのよねと呟いていた。
 恐らくこの女性は、自分が見たこと知ったことでしか自身の世界を構成できないのだろうと思った。それは世界が狭いという意味ではなく、堅実に現代社会を生きようとする強さだ。自身に関わりがなければすべてを知る必要はないと、情報の取捨選択を行っている。自身と世界ならば別の方法を選ぶ。
 では、その娘は?
 父親から、市長から、都市から。政略結婚を命じられた娘は、自身と世界ならばどれを選ぶ。
「お尋ねしたいのですが、義母上」
「はい、なあに」
 くすぐったそうにアンナは答えた。
「エリカ……アマーリエが脅迫的に自立しようとする原因に、心当たりはありますか」
 彼女は、すっと片頬に笑みを残したまま、煙草を皿で揉み消した。
「都市に来ることになったのは、私の指示に寄るところが大きいのです。ここに来るのを恐れていた風でもあった。以前から、ここでの何かに怯えている素振りはありましたか」
 恐怖、疑惑、不信。うっすらではあるが、故郷に抱くには少しばかり暗い。
「分からないわ。私ともと夫のことがあるかもしれないけれど。……そうね、私が思うのは」
 きゅっと目元に力が込められた。
「あの子の父親が、あの子を見ていないということかしら」
 父親、ジョージ・フィル・コレット市長。穏やかな物腰と甘い声、しかし声に込められる覇気と知性。やり手の政治家だという印象があった。
「コレット市長は敏腕な方に見えました」
「だからって良い父親とは限らない。私が良い母親でなかったのと同じように」
 アンナはそう言い切った。再び煙草に火をつけ、考え込むように煙を吸い込み吐き出す作業に没頭する。
 周囲を選ぶのなら自身を選ぶだろう。それはキヨツグがアンナ・アーリアという女性に思った印象だ。
 では、ジョージ・フィル・コレット市長は。周囲を犠牲にするのなら自身を犠牲にする、それが王者たるものだ。彼にはそういった非情さを理解している感覚があった。アマーリエを、ひとり娘を政略結婚の相手として選び出したことからも窺える。ひとり娘より上位の存在が都市なのではないか。
「……昔話があってね」
 ふっと掻き消える煙のように、アンナは語った。
「ジョージにはお姉様がいたわ。そのお姉様は、一度失踪しているの。十九歳から二十歳までの間に。噂じゃ、どこかの男と逃げたとか。名家のお嬢様が駆け落ちだなんて大スキャンダル、大事件だわ。そうして騒ぎが治まった頃ようやく戻ってきて数ヶ月後、お姉様は子どもを身籠ったまま自殺なさった」
 穏当ならぬ話は、キヨツグに疑惑を問い返させた。
「……エリカが、その伯母上の身代わりだと?」
「私がジョージと揉めてる頃に感じてたことだから、被害妄想もあるだろうし、信憑性はないわ。あの頃は情緒不安定だったもの。ただ、さっきふっと思い出したの。それに、当時身代わりだと感じたのはお姉様じゃない。お姉様と一緒に死んだ子どもの方よ」
 煙草を揉み消す、細い煙が上がる。消し潰すその指先を見つめて、問うた。
「……そのことで、何かあったのですか」
「いいえ、何も。私たちは現代にありがちに、お互いのためを思って離婚して、アマーリエは裕福な父親に引き取られ自立した娘へ成長した。ありがちな関係のままよ。何もなかったわ」
 そして、キヨツグを見て言った。
「あったとすれば、あの子とあなたの結婚だわ」
 からかう口調だったので恐れ入りますと頭を下げると、アンナはからからと笑った。先程の話など、何もなかったかのようだった。言った通り、ふっと思い出したのは確かなのだろう。だからキヨツグも、情報として覚えておくだけで深く思い出さないようにした。
 これがもし妻の傷ならば、その傷が表に現れた時に向き合えるようにしてやりたい。
「ねえ、あの子をエリカと呼ぶのは何故?」
「分かっているように見えます」
「聞きたいの」
「少しでもリリスに慣れてほしかったからです」
 エリカの音はリリスにも馴染みがある。アマーリエと呼ぶかぎり、もしかしたらずっと自分はヒト族なのだと思い知ってしまうだろうと思い、また、周囲にこの者はリリスだと示す意図があった。
 しかし何よりも、彼女にリリスの音があったことを見出した喜びがあった。
 リリスにおいて、天の妻はおおよそにおいて等しく真と呼ばれる。ならば、ただ一人ずっと呼び続ける名があってもよかろう。
 来るべくして来たのなら、出会うべくして出会うのなら、慈しもうと思った。花が永遠に咲き続けられるように。
 エリカ。エリカ(花)。花と。
 少女のようにアンナは笑った。
「子どもの名前は考えているのかしら」
 まるで自分の子どもを名付けるかのような幸せな表情だった。
 キヨツグは答えた。
「どちらの音をつけても、私は構いませぬ」

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