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 一応既婚者であるというので振り袖は着ることができないが、留袖を着せてもらった。ユメはとても興味深そうにしながら手伝ってくれた。朱地の色留袖は、きっと女官たちが騒いで眺め回すでしょう、と。でもきっと地味だっていうでしょうねとアマーリエは返して笑った。リリス衣装は、特にアマーリエのものでは模様も縫い取りもきらびやかなのだ。
 ある一定の格式がある家が着物を着る現代、市長の娘ということで用意したものの、成人式に留袖はと思ったんだけど、と身につけたアマーリエにアンナは複雑な顔をしていた。できれば振り袖を着せたかったのだろうか、と自分に優しい推測をするアマーリエだった。
 キヨツグを見上げると、場所と周囲の人間に気遣ってか威圧感を解いているのが感じられた。母と険悪な様子もないし、二人は大人なのだから大丈夫だったのだろうと、密かに胸を撫で下ろす。
 再び車に乗って会場へ向かった。到着して降りたのはアマーリエと護衛となる都市の数人だけ。リリスの人々はお忍びであるためにキヨツグの護衛に回ることが決まっていた。ユメや今回の護衛の責任者のキクノは不安だとキヨツグに訴えたが、キヨツグはそれに首を振って、アマーリエの護衛をイリアに任せた。
 会場前には新成人となる人々が揃っており、久々に顔を合わせたかつての同級生たちと写真を撮っているのが見受けられた。そこで、アマーリエに声がかかった。
「アマーリエ? アマーリエだ!」
 わっと友人たちが集まった。
「ミリア、キャロル、リュナ、オリガ」
 いつもの顔ぶれの他にも、アマーリエに気付いた友人たちが口々に声をかけるので、返事があっちこっちに飛んでしまう。
「どうしたの、アマーリエ」
「成人式だから来たの」
 リュナは目をぱちぱちさせている。キャロルや、ミリアもそうだ。
「あんた、大丈夫なの。……立場とか」
 押し殺した声で囁いたオリガに、アマーリエは眉尻を下げた。オリガの言葉に、他の三人がはっと息を呑んだのが分かったのだ。なんとなく、遠巻きにされているような気がする。でも多分当然の態度なのだろうとも思う。
「今日は非公式なんだ。でも、異種族交流課には通してあるよ」
「あー、アマーリエ振り袖じゃなーい!」
 次の瞬間、すっとんきょうなミリアの声が上がった。
「地味ー。ちょっと髪飾りくらい凝ったらいいのに!」
「そ、そう?」
「そうだよ。メイクはちょっと、ううん、かなーりうまくなってるけど、全体的に地味! これだったらドレスの方がよかったかも。今から着替える?」
「それは、ちょっと……」
「ミリア、無茶言うんじゃないの!」
「そういうオリガは、そんな派手派手メイクのくせにスーツとかさあ」
「うるさい!」
 ぎゃあぎゃあと言い合う二人を見て、ふっと息が洩れた。キャロルも同じように笑っている。リュナは、仕方がないなあと肩をすくめていた。
 リリスにいる間、思い出すことはたくさんあった。しかし、うまく想像できないのも確かだった。なのに、こうして顔を見ただけで、そのぼんやりしたものが急に形を成して心にはまっていく。満ちていく。
 ここも、私の場所だった。
「アマーリエ」
 声がして振り向く。懐かしい顔があった。
「ルーイ!」
「やあ、元気だった?」と少年のような柔らかな表情でルーイは言う。
「そういえば、製薬会社からスカウトされて、研究員として入ったって聞いたよ」
「そうなんだ。大学はちょっと休学して、研究に専念してる」
 そう笑うけれど、目尻に皺が出来て影になった。疲労の色だ。
「……でも、大変そう。やつれてる。大丈夫?」
 ルーイは肩をすくめる。
「まあ、ね。でも大きな事業なんだ。絶対成功させる……」
 そうして、じっとアマーリエに目を注いだ。食い入るように見つめられ、アマーリエは身じろぎする。
 思い出したのは、まだこの街が世界の全てだった頃。ルーイが、付き合ってみないかと言った夕方のこと。思ってくれたのに、アマーリエはそれに答えずに都市を去ってしまった。裏切りではなかったろうか。
「あの、ルーイ」
「とても、綺麗になったね。アマーリエ」
 アマーリエは硬直した。同じ台詞を少し前に聞いた。しかし、その時とは比べ物にならない、何かとても薄暗いものが、外側から押し寄せるのを感じたように思ったのだ。
「アマーリエ」と、ぐっと手が引かれる。
「ミリア?」
 上目遣いになって何かに挑むような目をしながら、彼女はアマーリエを引いた。
「アマーリエ、行こう」
 オリガたちを置いて、ぐんぐんとミリアは歩き出した。それに合わせて視線が移動する。多分、この場で噂があっという間に広まったのだろう。
「ミリア、痛い」
 手が離されたけれど、ミリアはアマーリエではなく背後を睨みつけている。
「アマーリエ。ルーイにあんま近付かないで」
 ミリアの目は真剣だった。アイライナーとマスカラとエクステンションで真っ黒に縁取られた目は、剣のように研がれている。
「ノルドから聞いたの。ルーイの会社、なんかヤバいって」
「やばい?」
「私も、変な噂がネットでいっぱい流れてるの見たの。人体実験してるって噂とか」
 そうして、がしっと肩をつかまれた。
「だから、アマーリエも研究材料にされるかも」
 目を瞬かせていたが、ふっと唇が緩んでしまった。眉が下がり、瞬きの回数が早くなって、鼻から息が漏れたのをきっかけに噴き出してしまった。
「アマーリエ! あたし真剣なんだから!」
「ごめ、ごめん。流石に、私が実験台、はないと思うけど……」
 アマーリエはヒト族だ。ここにいる新成人たちと何ら変わりがないし、何か変わっているとしたらリリスと結婚したことくらいだ。それだけでももしかしたら観察対象くらいにはなるかもしれないが、実験台にされるほどの価値を、アマーリエは自身に見出せない。共に来ているキヨツグやユメたちリリスなら別だろうけれど。
 けれど、ミリアがひどく泣きそうな顔をしているので笑いを止めた。ミリアは、そうして手を伸ばして、アマーリエの肩に顔を寄せた。
「……どうして黙っていっちゃったの?」
 それはその言葉のまま、置いてけぼりにされた子どもの声だった。
「秘密だったから」
「あたしたちにも言えなかったの?」
「言えないよ。だって、どうにも出来なかった」
「どうにも出来なくないよ。なんか出来たかもしれないじゃん」
 アマーリエは黙った。目を細めるのを首を振る代わりにした。こうして素直に思うことを言えるミリアが、羨ましくて愛おしかった。
「ありがとう、ミリア」
「こら、ミリア、アマーリエ。先行くんじゃないの」
 オリガたちが追い付いてくる。いつものように並びながら、アマーリエは会場に入った。ただその少し前に振り返った時、誰かと話しているルーイが、気付いてこちらに目を向けたのを捉えていた。

   *

 都市の交通機関に関心が深いと告げると、イリア・イクセンは見学の予定を立てていた。出来ることなら体感したいと言えば、ではそのまま散歩にしましょうと軽い調子で。見えないところで走り回るように働くイリアは、水鳥のようだった。その美しい外面を決して乱さず、しかし目に触れないところで並々ならぬはたらきがある。
 キヨツグはユメを隣に歩いた。
「真様でなくて残念でございましたな?」
「そうだな」
 前方と背後には他のリリスや職員たちが歩いている。左右には、建物の群れと、鉄のかたまりが唸りを上げて行き交う広い道がある。半年ほど前に訪れた、広範囲の風景のほんの一部分だというのに、どこも変わらない様子だった。住居が集まる住宅地区はもう少し過密だそうだが。
 適当な、巨大な乗り物がキヨツグを追い越して先の道に止まった。キヨツグは時計を見た。
「走るぞ」
「はい」
 後方の者たちが焦るのが分かった。前方の人々を残して、キヨツグは後方の者たちと共に、バスなる乗り物に乗り込む。
 車内には椅子が二種類あり、片側に一つ、もう一方に長い椅子が置かれてある。人はまばらで、同じようなスーツの男性や女性が座っていた。立ち止まっていると肩を叩かれ、イリアから小さな紙切れを渡される。乗車券なのだそうだ。奥へと言われ、唯一空いていた後方の長椅子の一つに腰を下ろした。ユメはその隣。イリアは入口近くに立って護衛のようにしている。
 短い時間に停車した。新しく乗車した客は、すっとキヨツグの席の隣に立った。ユメが自然と目を上げる。そして、一瞬呆然とした。
 彼女が慌ててこちらを見るのを、キヨツグは構わなかった。ユメはぐっと堪えるようにして席を立つと、その者に席を譲る。
 青い色付きの眼鏡に、革の上着と黒い脚衣の若者は、すみませんと言ってそこに座った。
「……シュプリア・ウッドロード十時三分発」
 キヨツグが呟くと、にやりと笑う気配があった。ユメはイリアの側に行き、話しかけている。こちらに気を留めている風ではない。
「バスに乗られるのは初めてですか」
「そうだな。乗用車には乗ったが」
「慣れると便利ですよ。時間通りに来るし、ネットで調べれれば時刻表が確認できて、一日の予定が一週間以上前から立てられる」
 本当は車の免許が取りたいんですが無理ですねと彼はため息をついた。
 キヨツグは窓側に頬杖をついて、ため息をつく。
「なんです?」
「不本意なら呼び戻そうと思っていた」
「そっちの方がごめんですね。俺はこっちの生活の方が性に合う」
 新しい乗客があって、二人して黙り込む。イリアもユメも、楽しげに会話していた。あの二人の相性は良いだろう、気質がよく合っている。しかしどちらかというと、ユメの方が普段穏やかでいそうだ。イリア・イクセンは時折激しい。
「アマーリエは?」
 走り出したエンジン音に紛れた声が問いかける。キヨツグも短く答えた。
「来ている」
「なら早く済ませましょう。鉢合わせして何か言われるのなんてごめんです」
 前を向いたままのその台詞が彼の決心を表している。キヨツグは胸の内で頭を下げた。感謝の言葉は口にしない。彼が言葉を受け取るには、キヨツグの立場は複雑な位置にあった。

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