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 アマーリエはこっそり、しかし焦って双方を窺っていた。しかし双方の間には未だ沈黙と周囲の慌ただしい言動がある。アマーリエにもまた、様々な人々が声をかけて確認を要求されていた。
 北の境界。リリス陣営で、久しぶりに対面を果たしたであろう兄妹を、アマーリエは一人はらはらと見守っていた。リオンがキヨツグを、というよりも性格を気に食わないと思っていることは聞いていたし、キヨツグはそのリオンの一時帰還に関して何も言わなかったのだ。そうか、とだけ言われたのだったのだが、きっと彼は各所から報告を受けたはずだ。しかし、リオンをどう思っているのかは言わなかったし、聞けずにいた。
 どちらも恨みはないらしいとは信じていたが、複雑な事情が気軽さを許さないのだろうと勝手にそわそわしている。なんだかゴシップに騒ぐはしたない女性のようだと思うのだが、出来れば険悪であってほしくないと思うのだ。せっかくの兄妹、家族なのだから。
 人がぱらぱら、所定の位置についていく。ようやく顔を合わせた二人の間に沈黙が落ち。
 最初に口を開いたのは、リオンだった。
「しばらく。兄上」
「お前も壮健で何より」
 という挨拶までアマーリエは息を詰めていた。ほうっと息を吐き出すと、それに気付いたのか、ふっとリオンが笑み崩れてこちらに笑いかけた。
「あなたも元気そうだ、アマーリエ」
「はい。あなたも」
 キヨツグに対するよりも親しそうにしてくれるのは、気を使ってくれているのか自分に正直に振る舞っているのか。
 半年ぶりに再会したリオンは、雪の照り返しで肌は透き通るようだったが、仄かな疲労の影のせいでやつれてみえた。隙ない装備は血に濡れてはいなかったが、使い込まれて光っている。出発前にアマーリエに着せられた新品の防具など、ただの飾りのように思えた。
 早速ですが、とリオンは騎乗を促し、そのまま小隊を率いて境界へ向かった。
 援軍ではなくそれぞれの親衛隊のみを引き連れて、アマーリエとキヨツグは北の境界へ足を運んだ。北から西へ壁が続いているのがヒト族とリリスの国境であるが、その北の境目から東へ伸びるのが、リリスとモルグ族の国境だった。
 ヒト族との間とは違い、モルグとの国境には明確な形はない。リオンに連れられて、数メートル先のあの支柱がおおよその境界ですと言われた。攻撃はされないと彼女は確信しているようなのだが、境界は曖昧なので近付きすぎて攻撃されても苦情は受け付けないと笑って言った。
「あれです」
 遥かに望める森の方向に、確かに煙の筋が天へ伸びている。
「もう一ヶ月ほどになります。森を焼いているわけでも、焼き畑をしているわけでもなさそうだ。だが何かを焼いている」
「確認はしたか」
「いいえ。彼らには異能力がある。結界、というやつです。踏み込むと気が触れ、数日間使い物になりません。兵の士気も下がるので今は人を出せていません。しかし、モルグ族が自分たちに恐怖感を抱かせるのが目的だったとしたら成功と言えましょう。気を触れさせるなど、どのようなことをすれば、と」
「それ以外に動きはあるか」
「いいえ。それが一層不気味なのです。最後にモルグが現れたのは、三十七日前のヒト族との戦闘。その戦闘はヒト族に対して、モルグ族が奇襲を仕掛けたというもの。この戦闘はヒト族を後退させることが目的だったのか、すぐに終息。その七日後からあの煙です」
「古典だが狼煙というのは」
「二十七日間、毎日煙を上げ続け誰に何を知らせると?」
 キヨツグは考える仕草を見せ、数人に意見を求めた。アマーリエにも質問があったが、何を焼いているのか、何のためなのかはまったく分からなかった。キヨツグはひっそりと控えていたオウギにまで意見を求めたが、彼もまた首を振った。
「しばらくここで様子を見る。使者を立てるか検討する」
「モルグは使者を受け入れますまい。あの者たちは誰の言うことも聞きません」
「それでもだ」
 キヨツグの強い言いように何かを察してリオンは黙り込む。そのまま馬を反転させて、一団は陣営へ引き返した。
 煙をアマーリエは振り返る。暖をとるわけではないだろう。確かに冷え込むが、それまで彼らは火を使うことがなかったのだ。信念を曲げてまで、そうしなければならない理由。彼らがそうしなければ生きていけない理由。
(そうしなければ、生きていけない……?)
 何かが引っかかったのに、するりと抜けていってしまう。
「真様」
 ユメに呼びかけられ、はっとしてアマーリエは手綱を振るう。
「ごめんなさい。考え事を」
「お気をつけを。いかに静かであろうとここは境界でございまする」
 静かだった。ここで血が流されるとは思えないほど、振り返った雪原は真っ白で足跡一つない。
 アマーリエはゆっくりと馬首を翻し、駆けていく。
「問題は」
 と追い付いたところでキヨツグとリオンが話していた。
「問題は、何故ヒト族が、姿を現さなくなったモルグ族に、これを好機と戦闘を仕掛けないかということです」
「真夫人」
 振り返ったオウギがぼそりと呟いたことで二人は話を止める。
 白い息を吐きながらリオンを、キヨツグを見れば、キヨツグは少しだけ暗い目でアマーリエを見ている。罪悪感と秘密の影に、思わず襟元を握りしめた。
 世界が暗くなったのは、暑い雪雲が空を覆い始めたからだ。
「ヒト族は……文明が進んでいるからと言って、人間らしい心をなくしているわけじゃないです。家族や、友人や、恋人の存在がきちんとあります。利益や欲望だけに忠実なわけではありません」
「分かっている。ですが、戦線でのヒト族の行動は私たちにも目に余るところがあった」
 答えたのはリオンだ。キヨツグが諌めるように名前を呼ぶ。
「あなたが知らないだけです。ここしばらく、ヒト族は率先的に戦おうとしていた。守るためではなく、奪うために見えた」
 逆に、とリオンは息を吐く。
「私は他のヒト族を知らない。私が見ているのはヒト族の一面に過ぎない。守ろうとする者も中にはいるでしょう」
 リオンがアマーリエの瞳を捉えた。逃がしてくれない。
「しかし、政略結婚したあなたがそれを言えるのか」
「リオン!」
 荒げた声にも心臓が跳ねた。周囲も驚いて息を呑んでいる。リオンは黙って目を伏せ、静かに謝罪を口にする。気遣うように振り返ったキヨツグに、アマーリエもまた目を伏せた。
 リオンの言葉は否定できない。ここしばらく、都市に対する恐怖は膨らんでいたからだ。
「……戻るぞ」
 強ばった空気を振り払うように、キヨツグが号令をかける。再び走り出した一団の中で、親衛隊に守られながら、アマーリエは呟いた。
(信じてないかもしれない……でも)
 鳴り響く電話。暗い廊下、その向こうの煌煌とした照明。反響する音はやがて激しさを増し、怒りと悲しみの声が形作られていく。
 目の前に並ぶ二人。迫られる選択。否定すれば困らせるから、望む通りの答えを口にする。それが二人のためなのだと知っていたから。聞けないことには蓋を。言う必要のないと決められたことは聞いてはいけない。それは、根幹を揺るがし、その人たちを傷付けるから。
 ――信じなければ壊れてしまうものがあるのだ。
「――!!」
 声が聞こえた気がして顔を上げた瞬間、先頭に火柱が立った。耳が壊れるような爆発音が響き渡り、先頭集団が転ける。慌てて後続は手綱を引くが、その直後、伏せていた何者かが武器を手に馬上の者たちを引きずり下ろし始めた。馬の悲鳴、リリスたちの怒号が飛び交っている。
「奇襲! 奇襲!!」
 元通りになっていく聴覚にその声を拾い、ぞっと背筋が泡立った。心臓を掴まれたように視界が揺れ、かろうじて自身も腰の剣を手にしようとする。だが、探るようにうまく手が動かない。
 リオンが叫んでキヨツグの小隊に別進路を取らせたところで、獣の吠えが聞こえた。警察犬や軍用犬のような、大きな獣の声だ。何故獣がと考え、モルグには獣の一族と称されることを思い出した。次の瞬間。
 閃光。目を潰された馬が一斉に転けた。
「エリカ!」
「天様と真様をお守りせよ!」
 キヨツグが側に来る。だがその前に、アマーリエの横から何かが飛び出した。
 気配を察して振り返った瞬間、何か光るものが見えた。鋭く息を呑む音が、何故か相手からも、はっきりと聞こえたように思った。
「っ!」
 剣は二つ、一つは腕に斬りつけ、もう一つは振り下ろされ息を止めた。
 硬直して狭まった視界に、倒れている何者かが映る。そしてぼたぼたと水が流れ落ちる音を拾う。鉄の臭気が鼻を突いた。
「き………………キヨツグ様っ!」
 アマーリエは一瞬呆然として、すぐに弾かれたように駆け寄った。
 キヨツグは左腕を負傷していた。
 音は収束していった。代わりに、風の音がごうごう鳴っている。
 アマーリエはへたり込みそうになりながら、キヨツグの腕を取って布を裂いた。すっぱりと傷が走っており、深く傷付けたのか出血量が多い。止血をしなければと布を裂き、それを巻き付けて強く押さえた。血に濡れた手で懐を探り、時計を取り出す。一回の止血帯法で止血できるのは三十分程度。そうして時間を確認する。
 すぐ側には動かない身体がある。一瞬迷った後駆け寄ろうとした瞬間、強い力で肩を掴まれた。じわりと熱く湿るのが分かる。濡れたキヨツグの手だ。首を振られ、どっと力が抜けた。相手が怪我人だというのに思わずしがみついた。
「兄上、義姉上、ご無事か!?」
 ほっとしたようにリオンが来る。キヨツグはもうあちこちに確認を要請し、傷などなかったかのようにしている。リオンが来たことで、彼女にも確認を求めた。
「何者か」
「リリスでないことは確か」
 そう言って、リオンは目を細めた。
「モルグ族とヒト族は区別がつきませぬ」
 一瞬強ばったアマーリエを見て、肩をすくめた。
「まあ、ヒト族が攻撃を仕掛けてくる謂れもない。モルグが伏兵を動かした可能性が大きいでしょう。あの煙は、やはり狼煙だったのか」
 目眩を起こしそうになり、かろうじて踏みとどまるアマーリエをいつまでも抱えながら、キヨツグは動き回っていた。腕の中にいたから気付かない。キヨツグとリオンが物言いたげな目を交わしていることに。
 ずっと頭の中で点滅している。斬られた傷と、血の色、そして。
 気持ちが悪い。何かが訴えている。でも何かが判別できない。ざわざわと胸が鳴り、目眩で視界が揺れている。思い出そうと目を凝らし、断片的なものがひとつを形作ろうとしていく。
 目だ。
 あの時、襲撃者は一瞬身を強ばらせた。キヨツグに気付いてではない。アマーリエを見て、だ。だがアマーリエに何を見たのか、暗いのと、覆面で、分からなかった。ただ目だけが、はっきりと声を発したのだ。
 助けて、と言うように。
(あの人は私を傷付けようとした。キヨツグ様を傷付けた。私の知っている人じゃ……)
 襲撃犯の死体ということで連れていかれる、それを見ながら、駆け寄ろうとすることはできなかった。いくら医師見習いの真似事をしていても、殺そうとし殺された者の顔を見る勇気は出なかった。
 あり得ない。知っている誰かであるなどあり得ないのだ。リオンも言った。リリスにも、ヒト族にも、襲われる謂れなどない。だから。
 壊れてしまう。信じなければ、壊れて。

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