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 ぼんやりと目を開ければ朝の光でぼんやり明るくなった天幕の天井が見えていた。王宮のきらびやかな寝間ではなく、シンプルな作りの白い幕が、帽子の裏側のように見えている。すぐ側で何事か書き付けていたユメが気付き、朝の挨拶をする。それに返しながら、額にじんわり滲んだ汗を拭った。
「よくお休みになれましたか」
「うん。……薬が効いたみたい」
 安堵したようにユメが微笑む。
 夢は見ていなかった。しかし、払拭されない恐怖が、見えないところで夢を見せていたようで、胸の辺りに乗られたような重さがあった。薬を飲んでいなければ本当の悪夢を見ていたかもしれない。
 ユメが支度を持ってくる。最低限の装備の上から、更に確かな一式を身につけるのを手伝ってもらいながら、今日の仕事を考える。一人でいるより、仕事をもらった方が考えなくても済むことを知っていた。
 昨夜の襲撃で、リリスには負傷者は出たが幸いなことに死者は出なかった。モルグに使者を立てようという話はこの件でほぼ白紙に近い状態に戻ったらしく、キヨツグは様子見にあちこち歩き回って意見を聞き、説得しているようだと用意を整えながらユメに聞いた。
 アマーリエのサイズに合わせた重くない子ども用の篭手を巻きながら、キヨツグの傷を思い出す。そして、あの襲撃者のことを。
 襲撃者は全員死んだと昨日の内に報告をもらっていた。リリスがすべて殺したのではなく、捕らえられた者たちは自殺を選んだのだと、場違いに立っていたアマーリエを前に言いにくそうに軍医は告げた。何らかの毒が仕込まれており、どうやらそれを飲んでからの襲撃のようだった、と。
 種族としての統制を考えるのなら、モルグ族の可能性がある。ヒト族に、捨て身の攻撃を行い、自身を犠牲にして種族を秘することはないと、キヨツグとリオンには考えられたようだった。
 しかし、キヨツグは、以前にも襲撃を受けたことがあり、それがモルグだった可能性があると言った。ヒト族と同盟を組みモルグと敵すると構えたが、リリスの体勢上、宣戦布告とはしなかったのだと。リオンは眉を跳ね上げたが何も言わない。
「ヒト族とリリスには北から南へ連なる境界がございます。対して、モルグ族とリリスには西から東への境界がない。彼らなら侵入も容易でありましょう」
 ユメが言うと、リオンが目を向けた。果たして本当かと。
「境界に沿って隙間なく守を並べているわけではない。その気になれば、ヒト族もまた侵入が可能となる」
 境界は壁だ。彼女の言うように、常に人間を置いているわけではない。無理に侵入を果たそうとすれば、ヒト族の技術なら可能性が生まれはしないか。
 政略結婚の騒ぎの時、それでもマスコミに侵入をされなかったのは、キヨツグが領主に監視の役目を言い渡したことがある。そして、アマーリエも知っている、リリスの土地に不法侵入すれば死刑もあり得るという噂があったのだろう。まだヒト族にとって、リリス族は全く違う未知の異種族なのだ。それも野蛮人の色合いが濃い、機械を受け入れられない異種族。
 先程制したキヨツグを先制するように、リオンは兄に目を向けた。
「加えて、境界の守手となる修復人が、常に修復を報告しているというわけではないでしょう。何もないと信じているからこそ、修復人の報告を滞らせている領主もいるはず。さて、このことに異論はお持ちか?」
 キヨツグからは出なかった。違わないようだった。その代わりアマーリエに休むよう言った。余程顔色が悪いままだったのだろう、ユメと一緒に天幕へ戻り、天様に言いつけられたと軍医が睡眠薬を持ってきて、それを服用して眠った。
 キヨツグとリオンが何者による犯行と考えているのか、襲撃者は何を思って自害を選んだのか、キヨツグを傷付けた襲撃者はアマーリエに何かを言いたかったのか。
 誰が何を思っているのだろう。
  自分自身が見えないアマーリエに、その問いは不毛だったかもしれない。

「包帯、きつくないですか?」
 巻き終えた白い包帯の腕を、照れたようにさすりながら、リリスの青年は「はい」と頷いた。
 ここでの仕事は傷病者の手当だった。ユメを連れて現れると、噂は本当だったのだと大騒ぎになり、おろおろする軍医に代わって、看護の女性が叱り飛ばすという一幕があった。
「この分だと大丈夫そうですね。じゃあ、あとお願いします」
「分かりました」
 その看護士はアマーリエに手当を任せると、他の天幕へ治療に向かっていった。
 次に手当てする兵士の傷は裂傷だった。モルグに偵察に赴いた彼は、戻ってきた時に正気を失い、数日間うわごとを言い続け、夜には自身の爪で自身を傷付けるという行為に及んでいた。傷付いた上半身や手足は痛々しく、爪に剥がれた皮膚や血の色が見えて痛々しかったが、ようやく落ち着いてきたとのことだった。
「……真様は、ヒト族なのですよね?」
 喉が潰れて掠れた声に、微笑む。
「はい。みんな小ささで見分けるそうですよ。一列に並んだらすぐに分かるんだって」
 彼はくすりと笑った。
「真様がお小さいんじゃないですよ。私たちが大きいだけです」
 ヒト族とモルグ族はよく似ていると、リオンもずっと言っている。アマーリエは見たことはないが、ヒト族とよく似た姿をしているらしい。
 そう思った時、種の起原の話を思い出す。大学の授業で、絶対に講義を受けるものだ。ヒト族とリリス族とモルグ族の血が混じり合っても問題ないと言われているのは、皆同じ生き物だからだという。
「真様って……」
 先程手当を終えた青年がふと言った。
「確か姫将軍と打ち合いなさってましたよね? かなり前の話ですが」
 かーっと顔が熱くなった。恥ずかしすぎて目を閉じることもできず、思わず頬を押さえる。
「よく覚えてますね……っていうか、もう忘れてください……」
 あれはひどい。ひどかった。一方的に敵対して、一方的に打たれ続けて。よくリオンも勝負を受けたものだが、アマーリエも自分をよく恥ずかしくなくやったなあと思う。
 救護天幕の中で笑い声が起こる。
「でもあの時、俺はこの人が真様でよかったなあって思ったんです。リオン将軍にかかっていくなんて俺たちでも出来ないのに。かっこいいなっていうのと、この人リリス族じゃないのに一生懸命でいいなって」
 その場がしんとした。そして、彼は慌てたように頭を下げた。真様に気安い口を利いてと、慌てすぎて顔を真っ赤にしてつっかえながら。
「こいつ……恥ずかしいやつだなあ」
 他の傷病者が声を上げる。次の瞬間どっと笑い声が弾けて、あの看護士ががばりと天幕を開けて現れ「元気ならとっとと出てけ!」と叫んだので慌てふためく者が続出し、また笑いが起きた。
 アマーリエもまた顔を赤くしてしまったが、けれど言わなければならないことを言う。
「ありがとう」
 なんだか告白したみたいだと思いながら、照れに顔を緩ませてしまう。心境は、年下に告白された時はこんな感じなのだろう、だった。
「……そういえば、変な夢をたくさん見ました。今思うと気が変になっていたからですけど、おかしなものがたくさん見えました」
 その雰囲気を邪魔しないように、しかし不安だったのか、頬にも絆創膏を貼った兵士はアマーリエにこっそり告げた。
「一番恐かったのは、音です。ぱきん、ぱきん、って、自分が歩く度に音が鳴るんです。何かを踏んで割っている。すると、その踏み割った穴から無数の手が伸びてくるんです……」
 そこまで言って兵士は目を閉じた。青くなった顔を、そっと拭う。
「あれは骨の音だ」
 後ろで手当てしていた兵士が低く言った。
「俺は白骨の山を見た。そこをずっと歩かされるんだ。悪夢だった、あれは」
 骨、と呟いた。
 次の瞬間、フラッシュのように様々な情報が閃いた。
 昇る煙。何を焼いているのか。生きていくためだろうかと考えた、その生の対義語。
「あの、モルグ族の埋葬法って知っていますか?」
 兵士たちは突然の話題の変わり様に面食らって顔を見合わせたが、多分土葬だと答えた。森と地の民ゆえ、火は使わぬ彼らは、死者の肉体を土に帰すはず。
 礼を言い、伝えねばならないことがあると軍医と看護士に断って、キヨツグたちの天幕へ向かう。キヨツグは戻ってきており、リオンも、領主や、他の将軍や隊長たちも顔を揃えていた。
 アマーリエは、あの煙は火葬のためのものではないかと指摘した。
「火葬?」
 戦場で火を使う理由には、暖を取ったり灯火にしたりする他に、荼毘に付す目的がある。そう言った。
「それでは毎日死体を焼いていることになる」
「もしかしたら……何か病気が出たのかもしれません」
 さっと天幕内に緊張が走った。
「彼らは土葬が習慣なんでしょう? 遺体を焼くに至ったのは、そういうことだと思います」
 遺体が感染症流行にすぐに結びつくことはないことを、都市に住み医学をかじったヒト族のアマーリエは知っている。しかし、モルグ族はどうか。彼らは、遺体が感染症の原因だと思っているのではないか。
「そのような考えに至った理由は?」
「偵察に行った人たちが、ずっと聞いていたと言うんです。骨の踏む音を」
 リオンは首を振った。
「それだけでは推測の域を出ないが……しかし」
「しかし気になる推論ではある」
 キヨツグが続けた。
「ですが天様、リオン様。モルグ族に足を踏み入れることは叶わぬこと、ヒト族も情報を持っておりますまい。如何致します」
 将軍の一人が尋ね、考え込む沈黙が満ちる。
 次の瞬間、ごうっと風が唸って天幕が揺れた。そして入口が誰かが開いたように大きく口を開る。その方向から閃光が走った。オウギとユメが反射的に主君を庇い、キヨツグはアマーリエを庇った次に。
 舞い上がったきらめきが落ちる、たんっ、という音が響いた。
 同じように庇われていたリオンが、その光の元に手を伸ばす。あり得ない方向、地面に突き立った光であった、矢を抜いた。
「矢文とは……」
 古風なとでも言いたかったのか、複雑そうで気味悪げに誰かが呟く。
「モルグの異能力か?」
 開いた天幕の入口は、矢の飛来に気付いた兵士がぴたりと閉ざしたままで、風は本当にそこだけ吹いたかのように、周囲は静かで何も音がしない。ここは陣のど真ん中、それも天幕の中である。誰にも止められず遠方からこんな正確に、それも頭上から射たように矢を射かけられるはずがなかった。
「……『我らが使う疎通の力を持たぬ故、そちらの古典的な方法で連絡をとること、ご容赦願いたい。』だそうです」
 リオンは、ちらりと目を上げて、これから言うことを心して聞くようにと周囲を見回した。
「『即刻陣営を解き境界を離れられよ。これは助言である。我が一族に原因不明の病が流行し、死者を多数出している。被害が及ばぬ保障はない。』」
 キヨツグがリオンから受け取り、丁寧に目を通した。
「確かに、奇病が流行しているとある。病を得た者は、身体に花のような赤い印が現れる」
 重苦しい空気が流れ、文は回覧された。その間にキヨツグとリオンは動きの大まかなことについて話し始めている。アマーリエは、陣営の一人に推測通りだとねぎらわれたが、ただキヨツグに注目していた。
「死者数は膨大らしい。ヒト族側にも接触を図るとある。支援を請うと。事実上の降参と言えよう」
 リオンが後ろに告げた。
「ヒト族の様子を探るよう」
 それを見送るとキヨツグはリオンを見る。
「モルグが撤退を始めているように見えたのは、死者で数が減っていること、流行を広げまいとしたことと見て相違ないか」
「恐らく。我らも陣を解きますか」
「準備しておこう。医師たちに滅菌消毒の準備を」
 そしてアマーリエを見る。
「何か他にすべきことはあるか」
「え、ええと……」
 咄嗟のことだったので、必死に考える。
「……何を媒介にしているか確かめる……ことは、恐らくヒト族の方が適していると思います。隔離できる施設があるので。感染疑いの人を診察した場合、診断がされるまでの隔離と、上への報告の義務を。もし感染が出たとしたら、感染者とその他の患者を分ける対策もしておいた方がいいと思います」
 後は何があったろう。それで言葉を切ったアマーリエにキヨツグが頷き、同じことを復唱して人に告げていた。アマーリエはその人に医師の判断を優先するようにと告げておく。いくら都市の人間だからと言って、アマーリエは医者ではないし、こういった状況に対する判断が備わっていない。キヨツグを見ると、よくやったというように頷いていた。
「数日後陣営を解けるよう準備を。感染の疑いのある者は速やかに医師に報告するよう申し伝えよ」
 全員が一斉に動き出した。
 アマーリエは離れたリオンにいたわるように肩を叩かれ、彼女の代わりにキヨツグの傍らに立つ。キヨツグは腕を握りしめ、何も見ずに佇んでいる。
「……キヨツグ様?」
 瞼を開いてアマーリエを見たキヨツグは、怪我をしていない方の腕を伸ばし、アマーリエの頭を抱えて胸に押し付けた。髪と裾がふわりとなびく、不意のことだったが慣れたものだ。そのまま両手を回そうとして。
「……すまぬ」
 離された。拒むように。
 天幕を出て行くキヨツグを見ながら、アマーリエは呼びかけることができなかった。
「キヨツグ様……?」
 ただ一人きり、空しく呼ぶ声が消えた。

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