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 速やかに任務を遂行したユメがアマーリエに報告をもたらした。診察施設内には均等に配置されたリリスの武士たちが目を光らせており、ヒト族の医療知識に遅れをとっている彼らが、今では静かに主導権を握る光景が、歩いていると随所で見られた。
 ユメには責任を負ってもらうことになってしまった。ここまで来ると話さないでいられなかったのだ。しかしそのおかげでユメが事を巧く伏せてくれ、武人たちを動かすことができた。
 それに、彼女がいなければアマーリエは本当にルーイを傷付けていただろう。過った殺意に目を逸らすことはできなかった。精神状態が危ういことに、自分自身で気付いている。恐らく自制が聞かないことも分かっていた。
 手段は選べない。いつだって、どんなものでも、選べるのは一つだけだ。
 ウイルスは都市が開発し、ばらまいたもの。最初はモルグに、次にリリスに。モルグやリリスの血中成分によって発病するウイルス。そんな都合のいいものが、モルグはともかくリリスとの交流の始まった短い間に完成できるとは思えない。いくらヒト族の技術でも。
 だが、次に考えたことに脳内が冷たく凍り付く。
(まさか……)
 キヨツグの、都市訪問。半年前の。あの時、リリスの細胞を取ったとしたら?
 あの時から、否、その訪問が行われることまで仕組まれていたとしたら。
 その全てを市長が命じた。自分の父親が。
 吐き気がして、思わず倒れ、欄干に寄り掛かった。それでも胸悪いのは収まらず、嘔吐してしまった。涙が滲み、喘ぎながら、声を押し殺そうとする。収まらない不快感と叫び。ひどい。どうして。
 醜かった。悪だった。身勝手で、残酷だった。滅びる者と生き残る者の戦いが歴史ならば、ヒト族が望み勝利として残したいそれ(レコード)を、唯一憎悪するのはアマーリエだった。
 考えろと言い聞かせる。足を止めるな。
 ウイルスを作ったならばワクチンも開発できていなければならない。それを引き出す方法を。
 ヒト族が欲しいのは土地だろうか。しかしそんなものは滅んだ後に奪えばいいのだ。待てば汚点を残さずに住む。緩慢に滅ぼそうとしたことから、彼らが人知れずに事を成そうとしていることは分かった。リリスの長寿や容貌のようなものを欲しがっても、ヒト族はやがて勝手に方法を生み出し手に入れるだろうとも予測できる。
 なんのためにこうなったのか。
 ルーイはなんと言ったか。
 都市が欲しいもの。市長が欲しいもの。
「…………」
 やがて、絶望が降りるように理解が来た。
(こんなものに価値などないのに)
 次の瞬間にはすべきことが決まる。
 いつか、願ったことがある。どうか、自分がリリスにとってこれ以上害ある醜いものでないように、リリスを、守れるように。苦しみで滲んだ涙が、意志に反して一雫だけ頬を伝い、アマーリエはきつく胸元を握りしめる。
 確かに、彼の言うように方法はあった。そして覚悟さえあればいい。
 そして今の自分は、何をも顧みないそれを手にしている。
「真様、真様!?」
 アイたちが走り出てくる。うずくまっているアマーリエを起こし、彼女は水を用意するよう命じた。
「ご気分が優れないのですか、顔色が」
「大丈夫。長老方を集めて。話をするから。会議が出来る場所はどこ? そこに警備を配置するよう、ヨウ将軍に言って」
 ああ、と額を押さえる。
「でもだめだ、私じゃ長老たちを抑えられない。カリヤさんを呼んで。説明しなきゃ。あの人なら手を貸してくれるかも」
 考えることが呟きとなって漏れていることにも気付かず、アマーリエは命じていた。
 厚く厚く。白粉を塗って、顔色を隠す。心が麻痺するように塗りたくる。そうすれば、どんな非道にも足を止めずに済む。例え、後に断罪されても。
 予防接種と称して打たれていたのがワクチンではなくただの栄養剤であったことを告げると、憤怒する者と嘆く者と呆然とする者の三つに分かれた。集めた長老、重臣たちの席はところどころ空きがある。緊急で領地に帰った者、病に臥せっている者がいるのだ。
「卑劣な……」
 という声がやけに大きく響いたのは、アマーリエに罪の意識があったからかもしれない。
「それほどまでに我らが憎いか!」
「軍を組織すべきだ。都市に攻め込む」
「それを許すことは出来ません」
 怒りの矛先が自分に向けられるのが分かった。しかし、怯まない。
「リリスは今弱体化しています。それで勝てるとは思えません」
 カリヤが冷静に言い添えたために少しだけ和らいだものの、奸物の同族がという憎しみはどの目にもある。何故か心揺らがない自分を、アマーリエは感じていた。恐くはない。弁解の余地がないと思っているが、卑屈に頭を下げることはなかった。
「血液型を、調べます。発病者の」
 訝しげに全員が眉を寄せた。
「私の従姉と母を呼びました。母は医者、従姉は市職員ですが信頼できる人です。母が血液型を調べ、従姉が都市との交渉を取りなしてくれるはず」
 息をつく。
「ヒト族とリリス族、モルグ族は、違いはあれど婚姻は可能。成分に違いはあっても、輸血に問題はないと都市の医療関係者が発表しています。先程確認も取りました。ユメ御前」
 はいと肯定するユメの声は固い。
「血液によるヒト族の感染の可能性は、聞き及んでますよね」
 まさかという呟きが聞こえ、アマーリエは宣言した。
「発病者の血液を私に輸血します」
 場が静まり返った。リリスの医療責任者として呼ばれた医師のリュウ夫妻が、絶句しながらもなんとか身を乗り出した。
「それがどういうことが、お分かりで仰る……?」
「異論は聞きません。この方法をとります」
 キヨツグでは行わないであろう、独裁を口にする。そもそもアマーリエには、この場で命令する権限は本来はないのだが、全員が異論を唱えず神妙にアマーリエを見ていた。アマーリエは、その誰にも目を逸らさなかった。
「……お待ちを、真様」
 一人、声が上がる。
「確かに、御身の存在はヒト族とリリスにおける政略によるもの。失礼を承知で申し上げるのなら人質であります。ですが、それほどの価値が、本当にお有りでしょうか」
「確かに、真様はヒト族の街より来られたが、常々不思議ではあった。天様は、先程の言葉を借りるなら価値を、お認めになっておられたようだが」
 価値で誰かを愛するわけではない。
 考えた言葉は、口にしなかった。
 最初は政略、次に恋、最後に愛を結んだ。夢と現の狭間に交わした言葉をアマーリエは覚えている。キヨツグは、もしかして最初に恋をしてくれたのではないのかと。政略結婚という結び付きで始まったキヨツグとアマーリエだが、恐らくキヨツグは、愛を始まりとして政略結婚を選んだのだと、思う。
 だから、こんな身体や、血に価値があるのなら、リリスは聖域だった。愛してくれた彼から降り注ぐ思いは、運命や幸運だった。本来なら出会わなかったかもしれないものだ。価値があるとすれば、彼と交わした思いにある。
 目を閉じた。だが、そうは思わない人が都市の、高い高い塔の頂上にいるのを、知っていた。
「私の価値は、都市には認められません。ですが」
 あの人が本来天使と囁きたかったのは、アマーリエというたましいではない。
「コレット市長には、あります」
 生まれるはずだった子どもだ。

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