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 事態を重く受け止め、しかし安易に事を進められぬと誰もが思っていることを感じ取って、カリヤが会議を設けることを提案した。どこか腰が重い様子で了承した長老方が交わす会話を、アマーリエは聞かないことに決めて外に出た。
 目が眩んでいるというのならそう言えばいい。迷う暇も必要もどこにもないのだから。自分の選ぶ道が正しいことをアマーリエは歪ながらも確信していた。この身はリリスとヒト族の契約の証。人質だ。自分がそれを使って何が悪いというのだ。
「アマーリエ!」
 鋭く呼び止められ、振り向くと、血相を変えたシキが追い付きアマーリエの手首を取った。
「なんて……なんてことを……」
 アマーリエはくすりと笑みをこぼした。彼が顔色を真っ白にする必要はないのに。
「信じられない、そんな危険なことをするつもりなのか、君は」
「発病するかもしれないし、発病しないかもしれない……」
 指を柔らかく解きながら、歌うように口にする。
「でも、どちらにしろ、見逃すわけにはいかないから。私は、責任を取らなくちゃいけない。できることをやらなくちゃ」
「それはできることとは言わない!!」
 庭の鳥たちが驚くくらいに響いた怒声だった。
 シキの眼鏡の向こう、和らいでいるはずの目尻が、赤くなっているのに気付く。
「それは単に命を盾にした無謀だ。君のできることの範囲を超えている」
 彼の、握られ震える拳をじっと見ていた。
「……それでも、やる」
 冷たく心を固めて。他に何もいらないと叫ぶ声だけを聞いている。周囲を見ず、自らも顧みず。アマーリエが今信じて、大切なのはたった一つだけだった。種を見つけて芽吹かせてくれた人、その、花の名前。
 あの人がもう一度呼んでくれるのなら、きっともう何も恐ろしくはない。
「君は……今でも自分が役に立たないと思っているんだね」
 苦しげに言われて、アマーリエは目を上げる。彼の瞳に光が溜まっていた。溢れさせるようにシキは呟いた。
「天様がお可哀想だ」
 思わず、顔を背けた。きつく目を閉じ、まだだめなのかと心で呟く。心を動かされるようでは、誰も救えないのに。
「それだけじゃない、君を大切に思っている人たちを、君は蔑ろにしてるんだよ。君自身を粗末に扱うことで」
「選べるのはひとつだよ」
 今度はシキが言葉を呑み込む番だった。
「私は、私よりリリスを選ぶ。私よりキヨツグ様を。私より、みんなを」
 納得なんてしないという表情を、シキは浮かべている。彼が今にも叫び出しそうに見え、微かに頭を垂れた。涙を零せるのならそうしていたかもしれないが、まだやらなければならないことがある。
 それでもシキは、なおも食い下がろうとする。
「カリヤ様、ユメ御前、アイ殿、リオン将軍に言って……君を閉じ込めるよ」
「できるものなら」とアマーリエは声を立てて笑った。歪んでいて、哄笑に近かった。黙り込むシキに、そうして言った。
「心配してくれてるのにね。こんなことでしか返せなくて、ごめんなさい」
「……君は、ずるいよ」
 本当にずるいと、シキは子どものように零した。そのうち、狭間に落ちる沈黙が、許してほしいという言葉に変わってしまう。アマーリエはすぐさま続きを防ぐために口を開いた。
「お願い、みんなには黙っておいて」
「アマーリエ」
「きちんと会っている勇気、出ないから。ごめんなさい」
「君はただの女の子なんだよ」
 懇願するような声音。優しい心に触れているのに、胸に辿り着く前に、決意を鈍らさないように心が凍らせて届かない。申し訳なさだけが降り積もり、何故か空虚にも思える笑みだけが浮かんでしまう。
「ありがとう。シキは、お兄さんみたいだね」
 シキが、顔を背けた。その場に彼を残し、アマーリエは裾を返し、供を連れずに背を向けて歩み始める。誰が縋り付いても、止めることはない足取りで。

   *

 日に温められた冬の風は、それでも吹き付けると冷たかった。片腕を、堪えるように握りしめてシキはようやく顔を上げる。やって来た広間はまだ会議が終わる様子はなく、それでも、シキにはどういう結果が出るのかよく分かっていた。
 許してほしいと思った。どれだけ残酷なことを、リリスは彼女に強いようとしているのだろう。政略結婚でヒト族としての未来を奪い、今度は生き残る手段として彼女を使う。彼女は選んだつもりでいるけれど、シキからすれば強要だった。運命が、アマーリエという花を風でもてあそび、その身を千切らせることを望んでいる。
 風から彼女の身を守ってくれるはずのキヨツグは、この状況から考えるとかなり危険であるはずだった。なのに、アマーリエは一言も不安を口にしない。不自然なほどだった。容態を見に訪れるが決して泣き言は口にせず、不安を口にすれば現実になると思い込むように頑としていた。
 次期族長の話や、後継になった場合の話も聞いているはずだった。しかし周囲を顧みずに、彼女は問題を自分一人のものとして立ち向かおうとしていた。その問題の名は、世界というのに。
 顔を上げたシキは、庭師の老人が変わらずにかくしゃくと働いているのを見た。そして、いつものように木の枝の様子を見ているのを眺め、老人が優しく目を細めたのに気付いた。
 枝を見た。固い蕾がついていた。
 よく見ると冬にも分厚い深緑の葉や、細くとも花のように広がる枯れ枝、寒いところでも鮮やかに咲く花があった。こんな景色も彼女は足を止めて見ていないに違いない。やがて来る春にも、アマーリエは足を止めないだろう。
「そうだよ、君は、ただの女の子なんだよ……」
 なのにどうして、幸せが許されない。

   *

 市長室に、異種族交流課から極秘のROMが届けられた。先んじて視聴を請われたジョージはそれをパソコンにセットする。市販のビデオカメラで撮られたらしい映像には、彼の娘の姿があった。
 挨拶から始まり、医療スタッフはリリスに拘束してあること、危害は加えていないことを告げると、バストアップだった構図が引いて、座っている彼女の全体像が見えた。
 その腕には、点滴が入っている。しかし、そのパックや雫は紅色をしていた。
『私が輸血しているのは、フラウ発病者の血液です』
『このままでは発病が予測されます』
 そう目眩を覚えるほど淡々と述べた上で、アマーリエ・E・コレットは声色を変え、表情を変えた。少女のように、麗しく微笑んだ。
『パパ。私を助けたかったら、モルグ族とリリス族すべてが、助かるだけのワクチンを用意して』
 映像はそこで終わる。真っ暗になったモニター。ROMの再生終了を合図するかのように、再生用のアプリケーションのウィンドウが縮小され、それに隠された都市シンボルの入ったデスクトップが表示される。
 静けさの中で、ぶるぶる震える何かの音が聞こえた。それが自身の怒りの呻きだということに、ジョージは気付かなかった。机に、拳を叩き付ける。
「アマーリエ……!」

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