|  <<  |    |  >>  |

 異論を挟む者はいなかった。あまりの気迫に恐れを成したのかもしれなかったが、誰も目に入らぬ勢いでキヨツグは数週間で体調を回復させた。滞った政務と、臣下たちとアマーリエが成した仕事を引き継いで処理し終えると、更に後継についても話をつけた。もう何の未練もないというところまできていた。
 以前身につけたものよりも安価な略装を着たキヨツグは、その目を隠すために色付きの眼鏡をかけ、髪をまとめて、都市の市職員と変わらない格好をして、都市へ戻るための馬車に乗り、境界からはイリアの運転する車に乗り込むことになった。
 境界を越える手続きの、手の抜かない様子を注意深く観察した。引き継ぎは、油断なく行われている。都市方向にはいくつかの車両が寄せられており、長たる女性を待っている。
「課長」
 都市から来ていた迎えに呼びかけられ、イリアは冷静に振り向いた。
「なに?」
「運転ならわたくしが」
 くすっとイリアは笑い声を漏らす。
「私にやらせてください。車の運転、好きですから。でもありがとうございます、モーガンさん」
 はあと日差しが強いせいかひっきりなしに汗を拭いている男に笑いかけ、彼女はキヨツグに目配せし、共に車両に乗り込んだ。
 先頭が走り出してしばらくしてから、車は動き出す。順調に流れ始めた景色をしばらく眺めてから、キヨツグは口を開いた。
「身籠っている子が都市にとって最重要だとは分かった。だが、エリカはなんだ。市長は何故それほどまでにエリカに執着する」
 リリスとヒト族の最初の混血。腹にいる子は、都市に蔓延する死病から救う手だてであると聞いていた。胎内の子からどのようにして薬を作るのかは、都市の医療技術によるだろうが、あまり良いものには感じられない。妻も、子も、苦痛に襲われているであろうと思うと、いつの間にか唇を噛んでいた。
「父親の情、は、あると思います。……ですから、これからのことはただの独り言です」
 舗装されていない道を、イリアはじっと見据えていた。こちらを見ようとしない。複雑な思いがあるようだと横顔を見る。
「アマーリエはおばさまに似ているそうです。コレット市長の実のお姉様、マリア・マリサ・コレットに。コレット市長は彼女を敬愛しておられたそうですが、マリアは若くして亡くなりました。一年間の失踪の後、発見された直後に妊娠が発覚し、情緒不安定が過ぎて亡くなられたと」
 アンナとの会話を思い出す。傷であろうと触れずに遠ざけた話が、こうして流れを引き連れて戻ってきたらしかった。
 子どもを身籠ったまま死んだ女。
 アマーリエは身代わりに感じられたと、義母はほのめかしていた。
「疑惑があるのです。順番が逆だったのではと。妊娠で心を病んだのではなく、ある人の子どもを妊娠したから気が触れたのでは、という」
 愕然とした。「まさか」とイリアの横顔をさきほどとは一変した思いで見つめる。彼女は苦笑を浮かべた。
「ええ、邪推です。口さがない人の噂話。でも、アマーリエはマリアが亡くなってしばらくしてから生まれました。最愛の姉と彼女の子どもを失った弟が、生まれたばかりの『娘』に、偏愛を注ぐ理由にはならないでしょうか?」
「もしそうであるのなら、義母上がエリカを見捨てるはずがない」
 イリアはこちらをちらりと見て、ええ、と頷いた。信じていると示したのだった。
「コレット市長の心は見通すことができない。何重にもなっていて、見通せるとしたらアマーリエだけ。市長が娘に強く執着しているのは事実です。そして、その愛する娘を遠ざけるように政略結婚という利用を行った、矛盾を取っていることも」
 誰がどんな花を抱き、どのようにして守ろうとしているのか。
 歳が十ほど違う、老成した気配を持ちながら、華やかな気配を持ったコレット市長を思い浮かべる。彼ならアマーリエをよく愛しただろうということを、キヨツグは我がことのように感じられた。あれは恐らく自分と同じ種類の人間だ。
 自身で手に出来るものはあらゆるものと言って相違ないが、しかし唯一を欠いていた。何か重要なものが欠損した者は数多くいるが、その欠損が同じものであることは稀だ。キヨツグと彼の場合、欠けたのは『絶対的な存在』であっただろう。平等を知り平等を与える者にとって致命的なものだ。必要でないという意味で。己を省みずに己の全てを捧げることのできる、唯一の存在。
 先程の話に登場するマリアなる人物が全てであったとして、彼が彼女を失ったのなら、それであの男は為政者になったのだ。平等から唯一へ辿ったキヨツグとは、道を逆さに。
 しかし一度絶対を見つけた者に喪失が訪れれば、時間は進んでいる、その心は元通りにはならない。花の香りか花の毒か、もう、失っては生きていけないところまできているのだ。
 都市が見えてきた。イリアは変わらずに車を進める。

 イリア・イクセンの肩書きは強大なものらしく、彼女の後ろに控えていれば何の障害にも遭わなかった。また、彼女がアマーリエの親族であるということも影響しているらしく、病院と聞いていた建物にはすんなり侵入を果たすことができた。同じ職員ということでずさんなのか、それともこのように奪還しにくると誰も予測していないのか。
 だが、部屋にきて身分証提示を求められた。
「…………」
「早く見せて」
 いかにも面倒そうに手をひらつかせる男に、キヨツグは黙って懐から、入れ替わった男の物を渡す。それを機械に滑らせると、緑の光が走って音が鳴った。一瞬身構えるものの、音と光は許可の意味合いだったらしい。通された。
 薄暗い、部屋だった。機器類が並んでおり、数人の職員が画面を覗き込んでいる。人数は三人。こちらは四人だ。掌握は容易い。協力者の二人が自然に配置に付く。
 それよりもざわざわと耳に感じられる音は、機械が発し続けている音らしく不快だった。高い音も、規則正しく心臓の音のように打っている。かちゃかちゃと固い音が、白衣の者たちの手が動く度に、大きく小さく聞こえてきていた。
 照明を落としている部屋の向こうに、硝子を一枚隔てて明かりを灯し続けられている部屋がある。
「――……」
 眠っているのは、キヨツグの真。
「様子はどうですか?」
「ええ、安定しています。脈拍も、血圧も」
 会話が遠くなる。硝子に近付いた。手を伸ばすと、突き抜けそうなほど透き通っているというのに、冷たい感触がぶつかるだけだった。
 広い部屋の中央には、白い薄物を一枚まとっただけの娘が眠っていた。口の覆い、腕には数本、管が機器とを繋いでいる。
 キヨツグは己が倒れてからの時間を聞いていた。たったそれだけの時間で、アマーリエは様を変えていた。青白い顔、濃くなった睫毛や髪の色、細くなった腕、手首には骨が浮いている。痩せ衰え、儚くなっていた。
 愕然としたのは、時間の流れだった。気付かぬうちに、アマーリエはキヨツグの数倍の時間を進んでいた。そして恐らくは、このようにして差は開いていくのだ。否応なく。別れに向かって。
 食い入るように見つめているその先で、再びキヨツグは言葉を失うことになった。
 偶然だったのかもしれない。しかし気付いてしまった。
 その小さな手が、優しく腹部に添えられていることに。
 ――硝子を殴りつけた。
 があんっ! と分厚い壁が揺れる音がして、全員がぎょっと硬直する。職員たちが慌てて誰何するが、それをキヨツグは投げ飛ばした。
 慌てて外で脱出しようとする彼らの前に、黒く光るものが突きつけられる。女性職員が机の下を探っていたが、その鈍い色の銃口に、青ざめながら後じさった。部屋の隅に集められ、イリアが宣言する。
「全員動くな! こちらの要求に従えば命は取らない。大人しくしてもらいましょう」
 そして主任らしき男に、隔離室を開くよう命令する。男は震える手で機械を操作した。しかし、不快な機械音がびりびりと鳴り響いた。
 キヨツグが近付く前に、イリアは銃を押し付ける。男は悲鳴を上げた。
「そ、そんな! 確かにこのパスワードなのに!」
 再び打ち込んだ。しかし画面の表示は赤く点滅する。
「残念だがね、イリア」
 新しい声にイリアは銃を向け、呆然と口を開けた。
「そのキーでは開かないよ」
 高価な服に、磨かれた靴。髪を撫で付け、笑顔は麗しい。恐ろしいほど優しい顔をして、第二都市市長ジョージ・フィル・コレットがそこにいた。
「おじさま……」
「さあ、武器を置いて。君を傷付けたくないからね」
 彼の周囲に武装した職員たちが自らと武器で盾を作っていく。構えを取ったキヨツグに職員たちが怯むことなく銃口を向ける列の中央で、ジョージは微笑んだ。
「リリス族長、君も大人しくしたまえ。君も無謀だね? まさか乗り込んでくるとは思わなかったよ。愚かにも程がないかね」
 懐から取り出した銃は、その手、その顔、その声には似つかわしくなく、それでも使い慣れた様子でキヨツグに照準を合わせている。
「でも手間が省けた。やっと、アマーリエを家に帰してやれるよ。君を殺してね。それとも捕らえる方がいいかな? 貴重なサンプルになるかもしれないね、研究長」
 誰もが竦み上がっている中で、ジョージだけが笑顔だった。
「君たちも知りたくはないかね。自分たちの生まれた意味を」
「…………」
「この世界に文明を築くのはヒト族だけのはずだった。しかし、何故動物たちに変化があったのだろう。君たちのような異種族が存在するのだろう。異種族とは、一体どこから来たのだろうね」
「……どこから来たとしても、ここで生きている。それがすべてなのではないか」
 慎重に、時間を稼ぐため周囲を探りつつ言えば、ジョージは笑った。
「我慢ならない人間はいるのだよ、族長」
 拮抗する沈黙。彼は躊躇いなく銃を使うだろう。それだけ、キヨツグを殺すことを望んでいるのだ。己の全ての身代わりにしていた、唯一の娘を奪った者を。
「……答えが欲しいのなら、差し上げる。だが妻を返してもらいたい」
 望みと、挑発を口にする。
 相手に嘲笑が浮かんだ。
「異種族ごときの答えなどたかが知れているのでは?」
「……血液成分表と、リリス族長家の家系図」
 表情が変わる。
「主なリリス一族の系図とその記録。当時の記録文書。各地に点在する祠、社、廟、遺跡の調査。……あなた方がロスト・レコードと呼んでいる時代が、明らかになるのではないか」
 それでもジョージは笑みを漏らす。
「他民族の伝承に過ぎないと思われるだろうね」
「その価値は他者が見出す」
 そこで初めて、彼は何かに気付いた節を見せた。
「……今挙げたものの他に、明かしていないカードがあるのだね?」
 市長、と囁く声に、ジョージは下げかけた腕を上げた。イリアが息を呑んで身を竦めた、その獰猛で優しい笑み。
「ここで生きていることがすべてなのだろう?」
 ここまでかとキヨツグが唇を噛み締めた時、イリアが飛び出した。銃口を突きつけた彼女に、周囲から火は噴かずとも、無数の筒が向けられた。
「逃げて。あなたが無事なら何度だってアマーリエを助けられる。あなた一人なら逃げ切れる!」
「イリア・イクセン……こんなことをすると反逆罪だと言われるよ?」
「その是非はアマーリエにしてもらいます。おじさまに権利はありませんわ」
「アマーリエは……」
 ふっと硝子に顔を向けたジョージが、時を止めたように目を見開く。誰もが引きずられるように目を向けた。規則正しかったはずの高音が、ひどく早く響き始めていた。

|  <<  |    |  >>  |



|  HOME  |