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 入れ替わりに市職員がやって来て、四人で揃ってアマーリエの部屋を後にした。ミリアには、少しだけ、アマーリエに落ち着きが戻ったように見えた。深く沈んだ水の底で、目を閉じて何も聞かないのではなく、目を開いて何かを待つような。
「ねえ」
 マンションを出て、それぞれに別れようという時、ミリアは三人に向かって声をかけた。
「なーにーミリア」
 リュナが棒付きアイスを舐めながら振り向く。いつものようにキャロルは穏やかに待ち、オリガは、相変わらず察しよく厳しくこちらを見ていた。そしてこう言った。
「嫌よ」
「まだ何も言ってないよ」
「分かるわよ。アマーリエをリリス族のところにやろうって言うんでしょ」
 リュナがアイスを頬張ったまま目を見開いて、落ち着いているキャロルを見ている。オリガはきつくこちらを睨み据えた。
「私たちに何が出来るの? あの子には監視がついてるのよ。下手すれば、市長なんかより最重要人物だわ」
「それでも、アマーリエは見つけたんだよ。本当の恋を」
 眉間に皺を寄せて、しばらく黙り込んだ後、オリガはゆっくりと言葉を吐き出す。
「そんなの、ただの熱病だわ。無理矢理離れ離れにされて、盛り上がってるだけよ。ここにいればいずれは元通りに鳴るわ。あの子は、ただの恋をしただけよ」
 言うその側から、誰もの胸に、アマーリエの語った恋の物語があるのだろう。少し伏せがちの目が、水の底を覗き込むように暗くなっているのが見えていた。みんな分かってるんだとミリアは思う。
「ほんとに?」
 本当に、ただの恋だったのかと問いかける。
「みんなも、聞いてたでしょ。アマーリエの」
 あの時、アマーリエが告白するような重さを持って話した恋を、リビングのキャロルだけでなく、オリガも、リュナも、ミリアも聞いていた。
 自分なら、恋をしたのならきっと周囲に話すだろう。あたしは今こんなに幸せ。こんなに誰かに愛されている。アマーリエはしなかった。胸に秘めて、思い出の水に漂っていた。誰かに愛された、そのことを話したくないほど独占したいのだと、リビングの扉の向こうから、ミリアはアマーリエを改まった目で見つめてしまった。ピュアな人だ、とミリア自身が泣きたくなった。苦しんでいる彼女を、大好きだった友人を、愛したという男性に変わって守ってやりたいと思った。
「あのね、自分の汚いところを認めるのが、本当の恋だってあたし思うんだ」
 いくつもの恋を知っていた。自分は恋をしたと思っていた。でも別れはきてしまった。小さな齟齬や裏切りや、逃亡があった。いつだって、美しい自分を愛してほしいという自尊心と怯えがあった。
「みんな、恋人に良いところ見せたくなる。好きになってほしいからだよね。汚いところ見せて嫌われるのって恐いもん。でも、アマーリエは認めてたんだよ。自分の恋心に、汚いところがあったんだってさ。そういうのって」
 みんな分かってる。
 恋をすることには勇気が必要だ。
 たくさんの恋を知っていることが優れているとか、たったひとつの恋に捧げることが優れているとか、優劣をつけるつもりは全くないけれど、思ったのだ。
 幸せになってほしい。
「……何が言いたいの」
 三人を代わる代わる見つめるミリアに向かって、オリガは強ばった声で尋ねる。息を吸い込んで、小さく、周囲に聞こえるだけだが、強い声で主張した。
「アマーリエを、帰してあげよう。そうしなきゃダメだと思う」
 一人でも、やるつもりだった。いつか、遠いところに行くのだと言ったアマーリエを何も出来ずに見送った時、真実を隠されていたことにミリアは後になって一時期怒っていたことがあるけれど、今はもう消え失せた。もう会えなくなろうとも、いつだって幸せを願っていたい。そんな風に思える人が出来たことを、ミリアは誇りに思っていた。
 その時、すっと小さな手が挙がった。
「わたし、賛成」
「リュナ」
「だってさー、アマーリエ、ちっともわたしのご飯食べてくれないし」
 手料理を振る舞っていたリュナは、少しだけ肩をすくめておどけたように言った。
「私も協力するわ。遠く離れても、アマーリエのことを思っていられるのは私たちだけでしょう?」
 キャロルも手を挙げ、顔を見合わせて二人は手を下ろし、オリガを見た。綺麗な顔に皺を寄せていた彼女は眉間を揉みながら深々と息をついた。
「……策はあるんでしょうね」
 三人で顔を見合わせて沸いたのを、オリガが仏頂面で腕組みをして睨んでいる。
「うんっ! トートさんって市職員の人、いるでしょ。あの人に協力してもらえると思うんだ!」

    *

 誰かを待っている。冬の都市だ。行き交う人々の中から待ち人を探している。冷たくなった素肌の手を擦り合わせて、はーっと息を吐きかけると少しだけ熱が灯るが、すぐに消え失せて、先程よりずっと冷たくなっていく気がした。
 呼び声がして、顔を上げる。どこ、と尋ねるけれど、音が溢れるようで無音の場所だということに、この時気付く。夢だ、と思った自分がいるが、そこにいる自分は声の主を求めて走り始めた。
 声は聞こえる。走っている呼吸が苦しい。あの人だ、あの人だと思うのに、苦しさが増していくと、もう見つからないのではという恐怖感が押し寄せてきた。この声は聞こえているのではなく、自分が聞かせている声なのではないか。
 どこにいるの。
 会いたい。抱きしめてほしい。
 耳鳴りのような響きが世界を見たし、世界が白く塗られていく。視界が埋まる寸前に、空にそびえ立つ光の塔を見た。
 これは夢だ。でもすべてが夢でなかったはずだ。
 どこにいるの。
 どこに、いるの。

   *

 天にありながら夜の底にいるような場所で、地上からのほの明るい光に照らされる窓辺を見ていた。目が覚めていた。

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