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 写真の中のマリア・マリサ・コレットは永遠に二十歳のままだった。変わらぬ美しさ、勝ち気さが華やかな笑顔から滲み出て、いつまでもいつまでもジョージに微笑みかけてくる。そして、その唇が囁きかけるのだ。父さん、と。
 違う。これはアマーリエではない。
 同じように十九歳で都市を去り、二十歳になって戻ってきた。偶然であったようにも思えたが、ジョージは今更ながら、自分が意図したことではなかったかという疑問を抱き始めていた。
 アマーリエをリリスと政略結婚させたのは、それが都市の政策だったからだ。リリスは大陸の大部分と、驚異的な身体能力と寿命を有していた。欲しいと思える要素ではあったが、多くの者はそれをヒト族の脅威として認識し、隷属させるか破滅させるかという考えを持ち、リリス族の消滅という点で合致していた。
 そして、刺客として選ばれたのがアマーリエだったのだ。リリスに生態を調査し、主立った使命としては、彼らの細胞組織を採取すること。
 しかし、ジョージはそれを握りつぶした。知られれば、アマーリエにどんな危険が及ぶか分からなかったからだ。偶然的に手に入れたリリス族の細胞で、細菌兵器フラウは開発され、最初にモルグ族へばらまかれることになった。
 最初から決まっていた計画だった。だが。
 切り刻んだ写真をジョージは覚えている。半年前、都市のマスメディアがこぞって騒ぎ立てた、世紀の恋、リリス族長と都市の少女の一枚。
 幸福そうに笑う娘の顔に覚えたのは、怒りと憎しみだった。
 お前が私たちを捨てることは許さない。幸せを決めるのは私。マリア・マリサが幸福になれなかったのだから、自分で幸福を決めてはならない。悲劇的な結末を迎えないようにできるのは私だけ。マリア・マリサと同じ轍は踏ませないようにできるのだから、幸せになれるよ。だから、戻っておいで。
 懇願する言葉の中に、いくらでもマリア・マリサの名が出て来る。
 マリア・マリサの、最期の瞳。憐れんでいたその目。許しを訴えるのだ。許してほしい、許してほしい、愛しているから。
 誰を?
 逃げ切れるとは思っているはずがなかった。死んだ父の力をマリア・マリサも知っていたはずだ。見つからなかったのは奇跡的だった。上流階級にいたマリア・マリサが、本来いるはずもない一般層に身を潜ませていたからといって、いつまでも逃げおおせるはずがない。
 自分に連絡を取ったのは何故。
 今になってそんな問いが浮かんだ。マリア・マリサを思う。奔放で、自由な、美しい娘。何不自由ない娘が、一般市民層の男と駆け落ちして、新しい生活に耐えられるだろうか。不和は、なかったろうか。それまで育ってきた『令嬢』を、マリア・マリサは捨てられたのだろうか。化粧気のない顔、地味な服装。それらはもしや、相手に合わせようとした努力か。
 弟に連絡を取ることによって、戻ろうとするか、あるいは相手との関係を父へ取りなしてもらうためだったとしたら。マリア・マリサが、ジョージを唯一信頼していたからだとしたら。
 マリア・マリサは死んだ。理由は子どもを愛したこと。連れ戻されたことによって、相手の男への愛が深まったからではないか。失われて初めて気付いたのだと、思ったのではないか。
 うっすらと見え始めた、死んだ姉の姿がある。
(私は、何をした……?)
 幻影を打ち破るように内線が鳴った。市庁舎の最上階の一室では、人の気配は遠く、やけに響く。一瞬これが何か答えてくれるのではないかと考え、伸ばした手はいやにゆっくりと受話器を掴んだ。
 ざわめきに大声が混じっている。
「どうした」
 市職員が焦った様子で喋る後ろで、電話や内線がひっきりなしに鳴っているのが聞こえている。職員の熱に浮かされて慌てふためいて混乱した声を、風の音も聞こえない場所で、ジョージは冷静に聞いていた。
 テレビを点ける。ニュースが流れて、緊急のテロップが流れていた。数分もすれば、臨時ニュースに変わった。
『リリス族とモルグ族の連合軍と思われる集団が境界に向かっており、目標は第二都市と思われ……』
 再び内線が鳴り、切り替えた。
『異種族交流課です。リリスより宣戦布告がまいりました』
「イリアかい?」
『そうですわ、おじさま。先だってのこと、不問にしてくださってありがとうございます』
 元妻の姪は、明るく溌剌とした声で言い、こんな時だというのにジョージは何故か笑ってしまった。
「構わないよ。優秀な職員は必要だからね。降格はさせてもらったが、君ならすぐに這い上がれるだろう?」
 少し言葉を切り、ニュース番組を見ながら尋ねる。
「交流課に宣戦布告が来たのかい?」
『はい。誰かが操作したのか、アマーリエの携帯電話から、交流課課長にメールが来ました。明らかな宣戦布告でしたので、各所のパソコンに転送しておきました。必要ならば他に転送なさってください』
「メールで宣戦布告とは聞いたことがないな」
 イリアも少し笑ったようだった。内線を片手にパソコンを開き、メールソフトを立ち上げると、確かにイリアからの転送メールで、宣戦布告が来ていた。
 リリス族およびモルグ族は、ヒト族の卑劣なる手段に抗議する。したがっては使者をアマーリエ・エリカ・コレットとその子どもに立て、境界を交渉の場とし、参られたし。
 そういった内容だった。リリス族は、あのモルグ族との対話を成功させたらしい。余程ヒト族に対する恨みは深いと見える、とジョージは唇の端に笑みを刻んだが、画面に表示されている『アマーリエ・エリカ・コレット』の文字に、その表情を消した。
「あの子は……」
 集中治療室に運び込まれたという連絡を受けて病院に駆けつけたジョージは、そこで世話を頼んでいた、娘の大学の友人たちと会った。何故か、市職員のビアンカ・トートも一緒だった。誰も青ざめた顔をして、泣きそうになるのを必死に堪えており、ジョージの顔を見ると、気丈にも挨拶したのが二人、あとの二人はお互いの手を握りしめて俯いていた。冷静に事態を説明したのはトートだ。
 アマーリエが彼女たちに愛されていたことを、ジョージは初めて知った。遅れてアンナが駆けつけ、医師に容態を聞いていた。
 次の瞬間、不吉な音が響き渡り。
 泣きわめく少女たちの声が、思い出せば思い出すほど、悲痛なものとなって響くのだ。
『……はっきりと伝えるべきですわ。何があったのか』
 関係者としてイリア・イクセンはそう言った。
 パパにとって、私はなに?
 ひとりの聖母。私の天使。失われてしまった幸福を注ぐはずだった――。
「あの子は……誰だったんだろうか?」
 受話器の向こうで、すべてが一瞬黙り込んだ。
 その狭間で、高くあどけない、赤ん坊の声が聞こえたように思った。
『名付けたのは、おじさまです。アマーリエ・エリカ。ジョージ・フィル・コレットとアンナ・アーリアの娘にして、リリス族真夫人。二十一歳の、女性です』
 当たり前と言えば当たり前のプロフィールを聞きながら、ジョージは別のことを考えていた。
 何かの拍子に会話や音が途切れ、しんとした瞬間のことを、天使が通った、ということがあった。
 今通ったのは、誰だったろう。

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