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「止めて――!」
 理解が降ったと同時にアマーリエは腕に縋り付いていた。がちがちと歯が鳴っている。身体は震え、全身で彼の手を押しとどめようとした。何故なら、彼のその腕は、戦いを始める合図に他ならなかったから。
「どうし、どうして、そんなこと言うんですか!? 私、一生懸命考えました。どうすればみんな納得してくれるかって。どうしたら犠牲が少なくてみんなが平和で幸せなのかって。私一人でどうにかなるんなら、私は自分を捧げます。それが一番良いことでしょう!?」
 この人に出会った。
 恋をした。
 偽れないほど、思いは育った。
 だから、自分を引き換えにしても、愛する人を守れるのなら、惜しくはあっても後悔はない。幸せを望んでいたいと口にしたことは忘れてはいないけれど、それよりも、ずっと大事なものがあった。
 今まで自分の道を決めようと、立ち続けようとしたけれど、守りたいものが出来て生まれた『私の願い』。この人がいつまでも穏やかに生き続けられるようにと願うそれは、寂しいことではない。
「……なら何故泣く」
 意味が分からずにしがみついたまま頭を振る。
「……泣いているだろう」
「泣いてません! 泣いたら……」
 泣いたら。どうなるというのだろうと疑問が浮かんだ。その不意をつくように、覚えているかとキヨツグが尋ねた。
「……私は、笑っていろと言った。だが、今では少し違う」
 何故か決定的なことを暴かれてしまう予感があった。耳を塞ぎたいのに、キヨツグの腕を抑えていなければならない。風が渡るただ中、人々が息を詰めて見守る中で、アマーリエは心を閉じようとする。
 しかし、あれほど上手く厚くし凍らせていたはずの心は、もう、すでに解けてしまっていた。目の前に、キヨツグを見てしまったせいで。
「……私たちは、政略による婚姻で夫婦となった。しかしいつの間にか、私はお前に恋を抱いていた」
 とくんと胸が打ち始める。
「……いつからかは知らぬ。少なくとも私はそう思った。お前がいないことは心失ったに等しかった。……お前はそうではなかったか」
 凍った心が溶けては雫を生みだしていく。零さないようにするのが精一杯だ。
「……笑え。そして泣いてほしい。苦しいのなら訴え、怒りを覚えるのならぶつければ良い。すべて、受け止める」
 言わないで。望んでしまう。
 泣いたら、きっと側にいてくれる。泣き叫べば、きっと願いは叶えられる。そうしてその人の時間や、果てには可能性まで奪ってしまうかもしれない。でも、人は、誰かのものには決してならないのに。
「私、私は、市長の娘で……」
 涙を一生懸命に呑み込む。
「リリスの敵です。私の父が、ヒト族が、あなたたちを、」
「――もう、ひとりで立とうとするな」
 言葉が消えた。キヨツグは、そんな些少なことをと聞こうとしない。自身の命や、彼が守ってきたものを脅かしたというのに。許されるはずはないのに、キヨツグの態度をひどいと思ってしまうくらい、彼は自信ありげに笑っている。彼が視線を向けた先のリリスの軍勢に、アマーリエはやがて、ゆるゆると答えを得ていく。
 この軍勢は、彼らが自分を迎えに来るためのものなのだ、と。
 力も抜けてしまったアマーリエから優しく腕を解き、キヨツグはこちらの顎を持ち上げて顔を上げさせると、頬に指先で触れた。そして、包み込んだ。彼は、笑っていた。
「もう大丈夫だ。ひとりにはせぬ。ひとりでひとつだけを選ばせはしない。お前も、私も、私たちの子も。ひとりには」
「――――」
 雫は、アマーリエの瞳から生まれた。頬を包むキヨツグの指に触れて、また薄く溶けるように消えていく。
 顔を上げさせられているから、顔を覆えない。キヨツグの手首を掴んで離そうとするが、すぐそばから離そうとする意志は消えてしまう。顔を歪ませた。かわいくはない顔で、唇を震わせた。
「……ひとりは……いやです……」
 真実が、零れた。
「……うん」
「……喧嘩して、仲直りしないままなのも……」
「……うん」
「……一生別れ別れになるのは……っ」
「……共にいる。いつまでも」
 押さえつけていたものが決壊したように、涙があふれ、声をあげて泣いた。
「……さびしかった。寂しかった寂しかった寂しかった……っ!」
 大声で。恥ずかしさもなく。響き渡るくらい。
 思いを口にして初めて、アマーリエは自分がずっと寂しかったと知ってしまった。両親は愛情を注いでくれたし、育ててくれた祖母も厳しかったけれど躾けてくれた。でも、それがひとりではないということにはならない。愛情はあっても、人々の態度は義務に似ていたのだ。
 両親や周囲を見て、成長したアマーリエはやがて気付く。変わらないものなんてない。絆は切れてしまう。別れは必ずやってくる。
 ――そうなったら寂しいでしょう? ひとりで生きていけた方が自分に優しいでしょう?
 声はやがて無意識に刷り込まれ、残ったのは、自分に言い聞かせられて頑なになってしまった心。
 でも、ずっと言ってほしかった。
 ひとりにはしない。切り捨てなくていい、愛するものを望んでいいと。
 望めるものは限りないと、教えてほしかった。
「愛している」
「キ……」
 涙のあまり喉が塞がって名前が出てこない。手を離したキヨツグはアマーリエから数歩下がり、厳しい顔で一声した。
「来い!」
 名前を呼んで。
 抱きしめて。
 キスをして。
 一緒に眠って。
 たくさんある望みを、どうか叶えて。
 いくつもいくつも、やってきたこと、多くの後悔、残していくものが過った。けれど、こうして両手を広げて待たれているのを前にした時、何を望むのか。瞬時に見えた答えに、アマーリエは初めての問いと答えを得る。
 そしてアマーリエは選ぶ。
「――キヨツグ様!」
 刹那に見えたものが、最も大切なもの。
 キヨツグは、腕の中にしっかりとアマーリエと、コウセツを抱きかかえてくれた。こんな時でもコウセツは不思議そうに瞬いて、泣いたアマーリエの涙の雫がおかしいのか笑っていた。
「ごめんね……ごめん……」
 呟くアマーリエに、コウセツは笑った。それを見て、また涙が溢れた。また選ぶものを間違えたのだ。この子までをも置いていこうとした。時の流れよりも、ひどい形で。今こうしてキヨツグに抱かれているのを見て、静かな喜びと切なさが込み上げる。
 コウセツは近付いてきたアイが受け取り、彼女はアマーリエに涙をにじませながら一礼し、下がった。感謝の念を込めてアイを、ユメを、親衛隊の人々やリリスたちを見つめていたアマーリエは、腕の力が強くなったことで顔を上げ、都市の方向を見た。
「コレット市長。リリス、モルグの代表として、改めて、同盟の意志を問う」
 キヨツグは何かをかざした。声を上げそうになって、口元を押さえる。
 白い滑らかなボディは長く持っていたために傷付いてはいたが、変わらない、アマーリエの携帯電話だった。
「これは都市にいるリリスに繋がっている。指示一つで、都市の機能を止めることが可能だ」
「馬鹿な。リリスが都市に入れるわけがない。リリスが機械を使えるわけがない!」
 声を上げた第三都市のエブラ市長を、キヨツグは一瞥する。
「時間があれば可能だ。幸いエリカが残した教科書類があったことで、収集家であるリリスが機械の構造や電子ネットワークについて早い理解を得ている」
 次の瞬間場違いに着信音が鳴り響き、都市の人々が滑稽にも一斉に懐を探るのが見られたが、アマーリエはキヨツグの手の中のそれが震えているのを見た。彼はそれをアマーリエに手渡し、アマーリエは驚きで揺れる手で、知らないメールアドレスのメールを開く。
『都市より、愛を込めて』
 ただそれだけの文章だったが、誰の言葉なのかすぐに分かる。携帯電話を額に押し付け、彼の名を思った。こんな時でも、こんな自分でも、彼は助けてくれたし助けてくれるのだ。
「参考に第二都市の一部を停電させてみるが」
 ジョージは首を振った。キヨツグと、慌てふためく一部の市長や職員に向かって。顔の半分をしかめるようにして、低い声が言う。
「……君の最後のカードはこれかね? リリス族長」
 キヨツグは答えなかった。
「コレット! どうするのかね!?」
 エブラが声を上げ、第四都市のロータスは真っ青だった。平然としているボードウィン第一都市市長はゆっくりと周囲を見て、リリス、モルグ連合軍を確かめている。
「どうするもこうするも」
 ジョージは肩をすくめた。この状況に似つかわしくない、とてもひょうきんな仕草で。
「仕方がないね。私も第二都市を攻められるわけにはいかない。都市は、都市とは名ばかりの一つの国だから、国主には義務と責任がある。第二都市は同盟に応じようか」
「コレット!!」
 それは他の都市については関与しないという答えであり、必要であれば四都市から第二都市は離反するという回答でもある。ヒト族同士の敵対の可能性を示唆したジョージは何事もなかったかのように、しかし苦笑のような笑みを浮かべている。
 都市はすでにそれぞれ独立の体勢が強いことは分かる。特に第二都市は、アマーリエの行動でリリスにワクチンを譲ったこともあり、その後はアマーリエとコウセツを手にしていた。巨大な第一都市と比べても、劣らぬ力をつけている可能性を感じる。
「な……にを言う、コレット市長! リリスなどに! それに何の茶番かね、これは!」
 エブラは憎々しげに声を上げて言う。
「何故私たちがリリスと対等にならなければならんのだ!」
「それが分からない君は、市長には向いていないよ、エブラ」
 第三都市市長の顔が瞬時にどす黒くなった。瞬間、彼は懐に手を入れていた。引き抜かれた黒いものに、アマーリエは息を呑んで身を乗り出す。それを押しとどめられて、庇われた。
 鈍く光る銃口は、キヨツグを向いていた。
「今すぐリリス族長を殺す。そうすれば私たちの勝ちだ。リリスと戦争だ。私たちが勝てる!」
 泡を飛ばしてエブラが叫ぶ。
「大体、伝染病などというまどろっこしい方法は嫌いだったんだ。結局私たちにも感染するようになったしな。その点、戦争はいい。明らかに勝てるのが分かっているのだからね!」
 淡い春色の草原に、鈍く光る黒。キヨツグはアマーリエを庇おうとし、アマーリエは前へ出ようともがく。
「キヨツグ様離して! 私なら……!」
「まずはそいつを殺して、私が、第三都市がリリスの遺伝子情報を手に入れる……!」
 私がヒト族の王だと叫ぶように、エブラは引き金を。
 高く突き抜けるように銃声が上がり、世界は沈黙した。

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