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 お互いを庇ったアマーリエとキヨツグの目の前で、銃弾は静止していた。それと分かるくらい色褪せた金属の色が見て取れる。何者かが摘んでそこに置いたようにして、弾はころりと草の上に落ちて影に見えなくなった。
 キヨツグが首を巡らせたのに気付く。同じように見た先、遥かな向こうに、獣の影と人の影が見えた気がした。
 モルグ族。その異能力による守護だった。
 エブラが恐慌を来して続けざま二度引き金を引いた。つんざく銃声。それでも撃ち出された銃弾は二人の前で静止し、守護の力に弾かれてどこかへ消えた。
 いつの間にか、アマーリエの口からその言葉が紡がれた。
「あなたには、殺せない」
 背後に控えるリリスとモルグ、異種族の人々を見回し、アマーリエは言い放った。
 引き攣った悲鳴をあげたエブラは、周囲の市職員に押し寄せられ、突き倒されて腕を捻り上げられる。イリアが指示し、第二都市職員たちが対応に動き回り始めた。他都市の職員や警護も、モルグ族の存在を感じてそれぞれの市長を守っている。
 エブラは項垂れてはいたがぎらつく目を忙しなく動かしていた。アマーリエがじっとその憎々しげな表情に目を注いでいたが、つと、一人動かない人物がいることに気付いた。
 背筋が、冷たくなる。
「甘いですよ、エブラ市長……」
 感情がこもりすぎて熱に浮かされたような呟き。
「こういう場に来るんです。こういうものも用意しておかないと……」
 キヨツグの腕を振りほどいて、アマーリエは前に出る。
 モルグ族と戦争を行うヒト族は、彼らに対抗した武器も開発、使用している。でなければ、異能力と科学力が拮抗するものでも、ヒト族はあっという間に攻め込まれている。
 だから、彼、異種族交流課のモーガンが手にしているのは、対モルグ兵器の拳銃だった。
「私が、異種族を制する――!」
 今度は不思議な力をも貫いて。銃弾は、真っすぐに。

   *

 今度の攻撃は市職員たちも想像していなかった。もちろん、キヨツグもだった。アマーリエが前に出ようとし、彼女はまるで導かれたようにするりと腕を抜けた。
 音が響き、白い裾が舞い、風が止まり、世界も思考も停止する。
 崩れ落ちる身体を呆然と見ていたキヨツグは、愕然として叫んだ。
「エリカ……エリカ!!」
「アマーリエ!」
 ジョージが叫び、崩れ落ちたアマーリエに駆け寄ろうとする。キヨツグはその前に妻を抱き上げ、伸びて長くなった髪を掻き上げる。その白い顔。温かい頬。
「エリ……」
 呼んで、一瞬思考が飛びかけたために途切れる。
 リリスの怒声が聞こえる。ぴりぴりと空気が感電したように走って音を立てるのは、モルグたちが能力を使おうとしているためだろう。その音と、リリスたちの武具の音が、大きなうねりとなって地を満たし始める。
 リリスの面々が剣を手に踏み込もうとした瞬間、「待て!」と声を上げていた。親衛隊から伝わった意志によって、疑問を抱いたリリスたちが訝しげに沈黙していく。
 その中心地点とも言える場所で手を挙げたのは、傷付いたはずのアマーリエだった。
「…………」
 キヨツグは、どういうことか尋ねようと都市の面々を見る。アマーリエを知るジョージ、アンナ、イリアは、黙って視線を受け止める者、痛ましく見つめる者、顔を逸らす者とにそれぞれ分かれた。
 アマーリエは自ら身体を起こし、肩口から手を離した。白いはずの服装のどこにも、手のひらにさえ、紅の染みは見当たらない。細い身体は傷付くことなく、暗く、俯いていた。
「ウイルスに冒された血を輸血したことが原因と思われるわ」
 アンナが静かに答える。
「それ以外に考えられないのよ。ヒト族とリリス族の結婚は可能なのに、どうしてこんなことになったのか」

   *

 ある者は、それを不老不死と名付けた。
 アマーリエは手のひらを見つめていた。そこに何かが残っているのを望むように、静かに視線を落として。けれど手の中には、ヒト族ではなくなった何者かがいた。
 だからこそ都市で一生幽閉されていくことを考えもしたのだ。常に流れるようにして生き、定住の地を見つけられなくとも、見守ることは出来る。いつまでも、リリスを守っていられる。
 リリスの守護聖地である遠い場所で、化け物と口にした女性を何度も何度も思い出す。こういう苦しみを持ってなお微笑んでいたあの人のことを、羨ましく思った。
 彼女を思うことで強さを貰おうとして、キヨツグを見ようとした。しかし。
「……私の血だったのか……?」
 揺れた声。アマーリエは項垂れたまま頷く。お互いにしか聞き取れないやり取りに、アマーリエは密かに肩を震わせる。
 輸血の際、アマーリエはまずキヨツグの検査を請うたのだ。結果、二人の間では輸血に問題ないことが分かり、アマーリエは一も二もなく彼を選んだ。周囲には秘した、自分だけの秘め事があった。
 もし死んでしまうのなら、血と病に殺されてしまうのなら、この人がいい。
 なんて、残酷だったろう。
 リリスでも、リリスの中のリリスである血。濃いリリスの血脈。リリスの純粋であるキヨツグの血液。リュウ医師、ハナ、シキは可能性を示唆した。キヨツグの血は始祖の血に近い。何らかの変化がアマーリエにあるかもしれないと。
 ジョージの指した、キヨツグの「明かしていないカード」。広くリリスに蔓延した感染症、だからどうやらキヨツグの体組織はフラウ開発の原因ではないらしいと、輸血をしながら気付いた時、アマーリエはそのカードの存在にもいち早く気付いた。そして、自身が都市とリリスを繋ぐかもしれない外交のカードであることも。最初から、戻ることなど考えてはいなかった。
 何を言われるのか、恐かった。ここにいるのは、ヒト族のアマーリエ・エリカ・コレットではなくなってしまった。傷付けられれば治りは早く、ヒト族よりも、リリスたちよりもずっと長く生きるであろう、何かの生き物。
 自分が生きていくことが正しいのか、分からないけれど。謝罪を口にしようと、意を決して顔を上げた。
 その前に、手が伸びて触れた。
「……ならば私は」
 震え。
「……お前に去られてしまう恐れを抱かなくとも良いのか……?」
 微かだというのに、打たれたような衝撃だった。
 きっと忘れられてしまうと思っていた。悲しんでくれるだろうけれど、それが当然なのだと受け入れて、変わらない姿で強く立っていることを想像した。なのに。
 今初めて見る彼の涙、たったひとつ、失敗したように溢れた雫の透明さや、触れても感じられる温かさに、アマーリエはようやく気付いた。
 ずっと自分のことばかり考えていた。この人の悲しみを思おうとしなかった自分がいて。自分の方が気持ちが大きいとばかり。
 この人はこれほどにも。
(この人と、生きたい)
 どこにも行けないということは、この人の側に居場所を作れば良い。だって、きっと、出来上がるまで側にいてくれるから。
 アマーリエは起き上がる。キヨツグに手を取られて。
 モーガンはわなわなと震え、叫んだ。
「化け物……!」
 再び銃声が響く。
 硝煙を上げる銃口は天を向いて、ボードウィン市長の手の中にあった。泡を吹いてモーガンは倒れた。
「銃声ごときで泡を吹くようでは程度が知れる」
 ボードウィンが銃を投げ捨てるとどっと空気が緩み、市職員たちによって再び、今度は周囲の様子に気を配りながら、拘束が始められる。
 アマーリエは都市の頂点と認識される第一都市の市長を見た。武器の所持の確認を怠り、エブラとモーガンをずっと止めなかった彼は、アマーリエの視線を受けてあくまでにこやかさを崩さない。自分の娘に微笑むように笑い、第二都市市長の青い顔に言葉を投げかける。
「なるほど。第二都市が隠していたものが分かったよ、ジョージ。これは手放すわけにはいかないんじゃないか?」
 ジョージはこれまでに見たことがないような、絞め殺されているかのごとき青白く暗い顔をしてボードウィンを睨んでいた。
「ヒト族がヒト族でなくなったとは。これほど十分な研究材料を、私は手放したくないがね。ヒト族が、新たなる人種になるチャンスではないか?」
「パパ!?」
 アマーリエは愕然として叫んでいた。
「話して……なかったの……?」
「…………」
 ジョージはアマーリエを見た。そして眉間に皺を刻むほどきつく目を閉じて、答えた。
「……アマーリエ・E・コレット、およびその子どものサンプルは採取済みだよ、ボードウィン。血液も、体液も、皮膚組織や爪、髪に至るまで」
「それで?」
 ボードウィンは楽しげに笑っている。
「……都市の共有財産としようじゃないか」
 思わず袖を握ったアマーリエを、キヨツグが抱く。
 ワクチンの開発だけではない。それらは、更に、ヒト族の新たなる科学のために利用される。いつかなくしてしまった、ヒト族の栄光の証が、再び彼らの手に戻ってくるのだ。
 にやりと第一都市市長は笑い、朗らかに頷いた。
「まあいい。私としては、アマーリエ嬢に定期的に都市を訪問していただきたいが……このままでは物理的に切り刻まれてしまいそうだから、今後の話し合いで決めることにしようか。見苦しいところを見せた。お詫びする。第一都市も、同盟に応じよう。第三都市もだ」
「だ、第四都市もです!」
 泡を食ったようにロータス市長も言った。賛同はしていないが、周囲は沈黙で呼応した。
 次は、ヒト族同士の戦争かもしれない。不意に、そんなことをアマーリエは考えた。この選択が正しいのか混乱したアマーリエを、キヨツグが支えてくれる。その腕に、少しだけ癒される。
 心からこれが正しかったとは思えないけれど、幸せになりたいという気持ちが強かった。そして、この腕はそれを叶えようとしてくれるのだ。
「感謝する」
 ヒト族の戦争が起こるかもしれない、それでもキヨツグは言った。
 ジョージがそれに手を振る。取るに足らないことだと示しながら、困ったような苦笑で。
「……ヒト族が滅びなければ、なんでもするさ」
 アマーリエがいなければ。コウセツがいなければ。ヒト族は滅ぶ。ジョージは都市を取った。市長として、今後のヒト族のためにアマーリエを再びリリスに戻した。そして一方で、父としてこちらを見たように思った。
「……すまなかったね。でも、愛していたよ」
 分かっている。ボードウィンからアマーリエの命を救い上げた人がいたこと。顔を青くして、その選択をしてくれた父親のこと。
「ごめんなさい」
 そして母を見た。アンナは、いつもは厳しい表を崩し、温かく見送る微笑みを浮かべていた。もう一度見た父も選んだことを知り、その言葉が、アマーリエから生まれた。
「愛してた。これからも、愛してる」
 アマーリエの父、ジョージ・フィル・コレット市長は初めてのような感情の顔で顔を歪めながら、一度首を振って、正しい言葉で送り出してくれた。
「幸せに、なりなさい。いつまでも」

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